乙女解剖学



 坂本くんの様子はいつもと違っていた。呆れたような顔。いつものやさしい彼はどこに行ったのだろう。あれ、なんか、へんなかんじ。



「どしたの。(うらら)ってこんなキモい待ち伏せとかするような子だったっけ?」



 王子様みたいに可愛い顔をした彼の薄い唇からは、黒い言葉が呼吸に合わせて流れ出している。

 あれ。こんな声だったっけ。こんな、痛々しい敵対心を向けるような人だったっけ。



「……それは、坂本くんが浮気、してたからで」

「俺が女の人とホテルで会うのと、麗があの男の人と一緒に待ってたのって、何か違うの?」

「坂本くんは、あの女の人と、その」

「セックスをしたかって?」



 静かに頷いた。

 ホテルにいたあなたたちと、それを待っていたあたしたちには雲泥の差があるはずだ。だってあなたたちは身体を重ねたんでしょう。

 それをボソボソと呟くように言うと、坂本くんは鼻で笑った。



「処女グダ拗らせて、挿入前にやっぱ無理、って拒むくせに、彼氏が欲を発散させるのは許さないなんて、狭量だね」



 するすると魔法が解けていく。彼はぜんぜん王子様なんかじゃない。ただ容姿がすこし整っていて、口がうまいだけの化け物だった。

 あ、そういうこと。なんだ。最悪だ。

 愛されない恋愛なんかするつもりはないので、後ろ髪を引かれる想いを押しつぶして、喉奥から言葉を絞り出した。



「……別れたい」

「うん、おれも」

「……」



 後腐れなく立ち去る彼の背中を見ると、悔しくてたまらなくなった。

 猿のくせに。猿。猿。猿。

 こうやって別れを告げることはできても、頭の中に根付いた王子様への幻想は簡単にはなくならない。つまるところ、あたしはきちんと傷ついていた。だけど相手を猿だと思い込むことで、自分を納得させようとした。