乙女解剖学



 さっきから空蝉さんが変だ。

 急に家庭環境の話をしたり、学歴なんかの話をして。彼の思考回路にぜんぜんついていけない。



「…….さっきから、空蝉さんが何を言いたいのか、わからないです」

「説明してあげる。だけど最後にもう一つだけ答えて」

「はあ、」

「おれが大学に行かなかったのは、どうしてだと思う?」



 ……そんなの、わかるわけない。

 想像してみる。私立の、そのそこの進学校だったあたしの高校で、大学に行かなかった子って、いたっけ。専門学校に行った子ならいたんだっけ。そういう子って、どんな子だったっけ。



「……勉強が、苦手だったとか?」

「あのね、麗。世の中には成績以外の理由で大学進学を諦める人がいるんだよ。夢見がちなあなたにはわからないだろうけど」



 それを聞いた瞬間、失敗した、と思った。ぶわ、と顔中に熱が集まる。

 じょうずに言葉にできない後悔に苛まれた。何かを間違ってしまった感覚。言っちゃいけないことを言ったのだと、察してしまう。

 そんな感覚を、空蝉さんはご丁寧に、ひとつひとつ言葉に起こしていく。



「おれはね、成績以外の理由で大学進学を諦めた人なの。あなたに、想像できる?」

「……」

「夢見がちになれるのは、あなたがお金を気にせず、あたたかい家庭で幸せに育った証拠だよ。だから、あなたはおれを理解できないし、おれはあなたに歩み寄りたくない。そういう恨みが募って、ゆるやかにあなたを嫌悪してる」



 なんとなく、わかってしまったような気がした。空蝉さんが、こんなに酷い現実主義を拗らせた理由と、あたしが、こんなに酷い理想主義を拗らせた理由。ふたりの、決定的な違い。



「あなたを見ていると、自分が低俗な出自をしていることを突きつけられてるみたいだ。はやく、あなたを絶望させておれの前から消してやりたい。なのに、温室育ちの麗が感じる不幸は、おれの想像しうる不幸と質が違う。現実的な方法で、おれは麗を不幸にさせられない。おれはあなたの不幸を想像できない。だから、おれはこの勝負に勝ち目なんてないんだよ」



 空蝉さんに言わせれば、あたしの感じうる不幸は、生ぬるいのだ。

 吹雪の夜、風を避けるために木陰に身を潜める不幸が空蝉さんの不幸だとしたら、あたしの不幸は、あたたかい部屋でたまに入ってくる隙間風にぎゃあぎゃあと騒いでいるようなもの。小さい怪我に怯えて、泣いている子どもと同じだ。

 あたしが空蝉さんの不幸を想像できないのと同じで、空蝉さんはあたしの不幸を理解できない。

 なるほど、このゲームは最初から破綻していたのか。

 だが、今更辞めるつもりはない。あたしを絶望させたい空蝉さんと、空蝉さんのそばに居られれば何でも良いあたし。ふたりの関係が破綻してることなんて、言われなくてもわかってる。