乙女解剖学



 退勤時間になった瞬間にタイムカードを切ったあたしを、嵐先輩は咎めなかった。むしろ「あとは僕がやっておくから」なんていう気の利いた言葉すら投げかけてくる。


 制服を脱ぎ、ピンクブラウンのシックな花柄ワンピースに袖を通す。たまたまお気に入りの服を着てきてよかった。すこしでも可愛いあたしでいたいから。

 前髪を直して、淡いピンク色のリップクリームを塗り直す。きっとこの後に起こる行為で唇にのせたリップは取れてしまうだろうけど、そういう問題じゃないのだ。

 爪先を見る。ここは個人経営の喫茶店だから、アルバイトのネイルに制限はない。乳白色のマニキュアが塗られた爪をよく確認すると、左手小指の先が少しだけ欠けていて、残念な気持ちになった。


 裏口から出てお客さん用の出入り口側にまわり込むと、植え込みの側に空蝉さんの姿があった。



「空蝉さん」



 つんと高い鼻筋と薄い唇が絶妙なバランスで配置されていて、横顔がすでに神々しい。だけど触れたくなるような愛嬌はそこに含まれていなくて、むしろ完璧すぎるシンメトリーを見たときの恐ろしさに近い感情になるのだから、空蝉さんはやはり普通の人とは違う。



「終わったの? じゃあはやく行こ」

「今日も家ですか?」

「あたりまえ」



 すらり長い脚が踏みだす一歩はふつうの人のそれよりも随分と大きい。そのうえ空蝉さんはゆったりと歩くから、いつも歩幅が合わない。

 半歩前を進む空蝉さんに会話もなくただ着いていく。こうやって彼の家に行くのはかれこれもう片手では数えられないくらいにはなっていた。

 だがあたしたちの関係性は指折り数えようが何をしようがまったく進展しないし、むしろ悪くなっていく一方だ。