乙女解剖学



 運命、なんていう不安定なものにすがるあたしを、誰もが笑う。そんなあたしを笑わなかったのは、まずは坂本くん。そして、喫茶店のバイト先の先輩。今にも先にもその二人だけだと思っていたけれど、空蝉さんはどうだろうか。

 空蝉さんをじっとりと見つめる。目の前の彼はペットボトルを握ったまま言った。



「ううん、信じない」



 彼は至極まじめな顔をしていた。ゆっくりと目を細め、そのまま言葉を重ねる。



「それ、古典的なナンパみたいだね」



 ぐ、と唇に再度ペットボトルが押し当てられ、液体をしずかに流し込まれる。されるがままに水を飲み込むと、幾分か気分が落ち着いてきた。だが心臓の鼓動は早まっている。



「ナンパって言ったら、どうしますか?」



 何を言っているんだろう、と思う。だが口をついて出てくる言葉は止まらない。止められない。

 だって、むしゃくしゃしてたから。

 好きだったはずの人は化け物で、友達だって知らぬ間に猿になっていた。みんな性に溺れて、あたしから離れていく。

 だったらあたしも色欲に溺れてやろうか。あたしだけが不幸だなんて、やっぱり許せないし。どうせ溺れるなら、王子様みたいに格好良い人がいい。たとえば、空蝉さんみたいに。

 ……それに、彼は笑わなかった。運命の存在を「信じない」とぴしゃりと否定してみせたけど、決して、あたしを馬鹿にはしなかった。

 空蝉さんはペットボトルのキャップを閉める。



「運命とかよくわからないものを信じちゃう、あなたの可愛い夢をぐちゃぐちゃに壊してやりたいので、おれの家に来ませんか?」

「それじゃあ、空蝉さんがあたしのことナンパしてるみたいじゃないですか」

「そういうことでも良いよ。夢見さん、顔だけは悪くないから」



 すこしだけ、まんざらでもなかった。

 もう、この人に抱かれちゃおっか? なんて、処女のくせにそんな不埒な想像だけが捗ってしまう。

 だけど空蝉さんは、人間のままだった。



「ほら、今日は帰りな。水はあげるから」



 乗り場まですぐそこだから。と言って、彼はあたしを抱き起こした。少し休んだら歩けそうになったので、言われた通りタクシー乗り場に向かって歩いていく。