乙女解剖学



 もうすっかり冷たくなっていたはずの、あたしの中の乙女の部分が、ぐわりと動き出す。

 空蝉真がトリガーとなって、震え出す。



「あたし、夢を見ても良いんでしょうか」

「あのときの麗は、ウザかったけど真っ直ぐだった。そういうところに、心打たれたから」

「でもあたし、変わってしまった」

「変わっても、麗は麗でしょう」



 あたしと空蝉さんには、きっと、見えない壁がある。

 表向きに身分差はなくても、あたしは知ってしまった。空蝉さんの育ちの悲惨さと、自分が一般的な水準よりも、幾分か良い育ちをしてきたということに。

 それが何を意味するか、今のあたしにならわかる。あたしたちが結ばれることに反対する人がいるかもしれない。それに、幸せに育ってきたあたしは、無意識の発言で、彼を傷つけてしまうことがあるかもしれない。



「空蝉さんといると、思い出しそうになるんです。あなたを好きだった、ばかで一途で乙女な自分を」

「……それで」

「あたしのところから、いなくなってください。もう、みっともないところは見せたくないんです」



 人目を憚らず、空蝉さんはあたしの肩をぐ、と引き寄せる。彼の手は震えていた。



「嫌だ」



 細い声で、はっきりと伝えられる彼の意思が痛かった。あなたはいつから、そんな弱いところを見せるようになったの。

 だけど最低なあたしは、そう言われるのを心のどこかで望んでた。あまのじゃくで、ばかなところはあの時からすこしも変わってない。



「ぜんぶを棄てられなくても、そこに居てくれれば十分だから、おれ、空っぽだから、麗が運命の人じゃなかったら、ずっと、呪われたままだ」

「……ばかみたい」

「俺も、運命に毒されてる」



 現実の檻にかたく閉ざされていた心が、ゆるやかに解けていくのを感じた。

 現実と闘う生き方。夢に溺れる生き方。どちらにしたって、あたしには空蝉さんが必要で、空蝉さんにはあたしが必要だと、信じたかった。



「運命って、信じますか」

「こんなふうに呪われたら、信じるしかなくなるな」



 ——全てが動き出した。

 淡いピンクのワンピースを翻し、似合わない化粧で、それでも全身から煌めきを放って、全身砂だらけになって、彼に縋った記憶。彼はそれを受け止めて、泣いていた。あたしも泣いた。あのときの砂の感触、抱きついた体温、夕陽の煩わしさ、ぜんぶ、ぜんぶ、覚えてる。

 蕾がひらく。

 これでやっとあたしは、不完全な夢物語を降りて、等身大の運命に身を投げることができる。



「あたしも、信じてる」



 運命がまた、やってきた。