言い切ったとき、なぜかすごく泣きそうだった。
目の前にいる彼は、確かに、あの夏の夢見麗にとっての王子様だった。そして、あのときのあたしは、すこし間抜けではあったけれど、確かにお姫様だった。
そのとき、手すりに触れていた左手を掴まれた。彼はそのまま、あたしの手を口元まで持っていく。
突然のことに戸惑ってしまって、されるがままになっていた。
そして彼はあたしの薬指を奥深くまで咥えて、根本をがぶりと、強く噛む。
「い、っ……!」
彼は黙って、ギリギリと指を噛む。指先で、咥内の温度を感じると、なぜか無性に、胸が詰まるように苦しかった。
しばらくして、解放される。
「現実に毒されすぎだよ、お姫様」
見ると、左手薬指の第二関節よりすぐ下のところに、赤い噛み跡がついていた。すごく歪な、指輪のようにも思われない、ただの醜い痕だった。
「……あなたに暴かれたんです」
「現実の部分はおれが担当するから、お願いだから、麗はお姫様でいて。また夢を見させてあげるって麗が言ったあの日に縋って、おれは今日まで生きてきたから」
視線が交錯する。
その後ろ側で、太陽の余韻がなくなった街が煌びやかに光る。
空蝉さんが泣きそうな顔をした。あたしだって泣きそうだったのに。
違いすぎる世界が交わっていいのか、わからない。だけど、たしかにあたしは、彼に触れたかった、はずだった。
「……あたし、お姫様になれますか」
歪な薬指の痕が、それでもいとしいと思った。
心の奥底に秘めていた、熱い、熱い渇望が動き出す。
「麗が、夢を見せてくれるんでしょ」


