乙女解剖学



 あの夏、あたしが走り出した後の空蝉さんの姿を想像した。きっとあれから彼は、働いて、働いて、働いて。

 あたしが現実を見つめて何かを諦めている間、彼はずっと、現実と闘っていたのだろう。



「空蝉さんの場合は、違うでしょう。仕事、なのだから」

「仕事というより、搾取だよ」

「……それ、聞かないほうが良いんですかね」

「聞いてよ。麗が聞いてくれなかったら、誰がおれの話聞くのって感じだし」



 黙って耳を傾けると、空蝉さんはあの夏の続きを教えてくれた。

 駅であたしと空蝉さんを引き留めたのは、あたしの勝手な想像通り、闇金と呼ばれる、違法な金利で貸金業を行う人たちだった。

 空蝉さんのお父さんが借りた元金はたったの20万円だったが、本人であるお父さんが亡くなったことにより返済が遅れ、その分の延滞によって金利が跳ね上がり、あの時すでに400万円以上の借金になってしまったらしい。

 あり得ない、と思うけれど、そういう世界らしい。空蝉さんはそれを、さも当然のように語る。

 10日5割(トゴ)の法外な金利ではいつまで経っても完済ができないことをあの瞬間に悟った空蝉さんは、その日のうちに消費者金融をまわり、そこで新たにお金を借りた。それを使ってあの怪しげな男たちに、お父さんの借金を一括で返済したのだそう。

 とはいえ、相手が闇金から消費者金融に変わっただけで、空蝉さんの手元には500万円に近い借金が残った。

 彼は、この3年でまた働いた。自分を捨てたお母さんと、あたしを守るために、ずっと、この3年間、片時も休む間もなく、何かをすり減らしながら働いていた。

 あたしが別の男に抱かれている間、あたしがのうのうと大学で学び、暇な喫茶店で1時間を約1000円で売っている間、彼はずっと、ずっと、ずっとずっとずっと、一人で現実と闘っていたのだ。