こうして彩は、この日だけで、4組のカップルとの打ち合わせをこなし、最後の来客を見送り、オフィスに戻った時には、時計は既に午後8時を回っていた。自席に着いた彩は、息つく暇もなく、今日の打合せ記録をPCに入力して行く。それに30分程を費やし、ようやく家路につく。


さすがに疲れを感じ、駅に向かう足取りは重いが、明日もまた同じようなスケジュ-ルが待っている。まだまだここで音を上げるわけにはいかない。


(よし、明日も頑張るぞ。)


改めて、気合を入れ直し、駅に急ぐと、バックに入れていたスマホが騒ぎ出した。急いで取り出して、着信相手を確認した彩は、慌てて通話ボタンを押した。


「もしもし、ご無沙汰してます。」


直立不動とまではいかないが、姿勢を正して電話に出た彩の耳に


『おぅ、お疲れ。』


響いて来た声。本郷(ほんごう)斗真、彩が颯天高弓道部に入部した時の主将で2年先輩。


『由理佳から聞いたよ。今年のOB・OG会、出席出来るんだって?』


由理佳と遥に尻を叩かれ、8月の休暇取得を上司に申告した彩だったが、現時点で担当挙式の予定もなく、特に支障がないと許可が下りて、その旨を彩はふたりに報告していた。ちなみに、斗真と由理佳は高校時代からの恋人同士、このことが斗真の耳に入ることは、何ら不思議なことではなかった。


「はい、よろしくお願いします。」


緊張気味にそう答えた彩に


『いや、よかったよ。大学時代も、今も8月は忙しいのは知ってたけど、でもお前、OB・OG会どころか、ほとんど帰省もしてないんだろう?なんか故郷に帰りたくない理由でもあるのかって、みんなで心配してたんだよ。』


闊達な声で斗真は言う。


「この前、遥にも同じようなことを言われたんですけど、全くそんなことはないです。ただ、時間が取れなかっただけですから。」


『それならいいけどさ。楽しみにしてるぞ、廣瀬の久しぶりの袴姿。』


「大学出てからは、もうほとんど、弓を握ってないことは、斗真先輩もご存じのはずじゃないですか?」


『そんなの関係ない。俺はお前が弓道をしてる姿が好きなんだ、憧れと言ってもいいかもしれない。』


「からかわないでください。」


(袴姿に憧れてたのは、こっちの方なんですけど・・・。)


そんな彩の心の声に、当然気付くはずもなく


『きっと、二階も喜んでるぜ。じゃ、当日は楽しみにしてるぜ。』


「はい。」


言いたいことを言うと、斗真は通話を切った。不通音の鳴るスマホを思わず見つめ、1つため息をついた彩は、その携帯をバッグにしまうと歩き出した。