『将来、あんな仕事をしたいな』
 漠然とした憧れはあった。
 
 けれど両親が宗方の使用人だったから。
『高校まで出させてもらったら、私も宗方の家でこのままお手伝いさんとして働くんだろうな』とも確信していた。

 けれど諦められず、でも誰にも言えないでいた。

 たまたま悠真さんを訪ねてきた鷹士さんがどうしたの、と聞いてくれた。
 堪えかねて、思いの丈をぽつぽつこぼすと、彼は真剣な表情でアドバイスしてくれた。
 
『日菜乃ちゃんが本当にやりたいなら、諦めちゃいけないよ。なんでも言ってほしい、俺が君を助けるから』

 勇気をもらって修復の道を調べてみた。
 すると、専門学校や大学で学んだほうがいいらしいこと。
 日本は修復後進国だから、技術が確立している外国で修行したほうがいいとも。

 両親の生活は慎ましいもので、そんな贅沢な願いを口にすることは許されない。
 もちろん、幼馴染に頼るなんて論外。
 でも、鷹士さんの言葉が常に心にあって。
 就職して、学費を貯めてから留学しようと思った。

 私は、進路相談で『就職、家事手伝い』と申告した。
 美術の先生から連絡が入ったのかもしれない。
 なにより両親は、子供の頃から宗方の本宅で美術品をうっとりと見ていた私を、知っていたのだろう。

『今まで誕生日も祝ってやれなくてすまない。お前はわがままを言わない子だった。将来くらい、行きたい道を進みなさい』
 両親は学費を出してくれた。