――あぁ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。
急に悲しくなってきて、涙が出そうになる。
「ねぇ、なんで階段から引きずり落とそうとしたの。結局あなたの方が下敷きになって腰を打ったじゃない」
正確にいうと、中身が入れ替わってしまったので、腰の痛みを感じているのはこのあたしなのだが。
相も変わらずキリコはあたしになりきることができなくて、おどおどとしていた。
「ご、ごめんなさい……ケガをさせようとか、そんなつもりじゃなくて……」
「じゃあどうして」
迫ろうとしたら、ガラガラとドアが開いて担任が帰ってきた。
とっさに音無花音から離れる。なんとなく気まずい空気が流れた。
祐子先生はどう思っているだろう。
双葉と友梨奈、そしてあたしがクラスを取り仕切っているのは薄々感づいているはずだ。
でもそこへ最下層のキリコが不自然に立ち入ってきている。
祐子先生はあたしの肩にそっと触れた。
「霧島さん、落ち着いてきた?」
「……はい」
あたしは自分が霧島桐子の姿をしていることを受け入れ、返事をした。
スマホをブレザーのポケットに突っ込んで、おとなしくベッドに座り直す。
祐子先生も近くの椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「青柳先生の車で病院へ行くことになったから。保護者の方はそちらへ来てくださる」
祐子先生はそっとため息をつくと、やっかいごとに巻き込まれたときのような困った顔をした。
「それで、なにがあったの」
あたしのほうを向いて聞いた。
こっちが聞きたいくらいだっていうのに。
たぶん、祐子先生は勘違いをしている。
まさか入れ替わっているなんて思いもしないだろうから、音無花音がキリコになにか嫌がらせでもしたのではないかと、心配しているのだ。
いや、心配というか、自分が解決しなきゃいけない面倒な問題を見つけてしまったような、ちょっとしたいらだちまで感じてしまう。
なんて答えようか。
間があくとキリコが口を開いた。
「わたしが悪いんです」
こちらからすれば、その一言だけでも迫真の名演技だった。
堂に入った音無花音が無言のままうなだれている霧島桐子に手を差し伸べる。今までにもよくあった。
ニセモノはいつの間にか音無花音になりきるコツを見つけて調子よく振る舞っている。
「わたしが足を踏み外して、それで後ろにいた霧島さんにぶつかってしまって……」
ね?と問いかけるようにあたしに目配せする。有無を言わせぬ気迫があった。
あたしをかばっているようにみえるけど、本当はキリコが引きずり落としたんだから。
そういってやりたい。
キリコは自分がしでかしたことを隠そうとしている。
でもあたしがキリコの姿をしている以上、キリコが引きずり落としたとも言いにくい。
だからもうこの話はおしまいだ。
あたしは素直にうなずいておいた。
別に先生に真実を知ってもらいたいわけではない。
霧島桐子が音無花音にケガをさせたことなんて、今はどうでもいい。
なんでこうなったのか。キリコが何かたくらんでいるのなら、それを知りたい。
そして早く元に戻る方法を知りたい。
ただそれだけ。
元に戻ったらまたキリコに睨みをきかせてやるんだから。
あたしは今、きっとふてくされた顔をしている。
だが、音無花音の姿をしたキリコは、あたしが注文をつけたとおり、いつの間にか凜としたたたずまいで、キリコの姿をしたあたしに微笑みかけてさえいた。
そして、音無花音が「なんでもない」というのなら、先生のほうも「なんのトラブルもなし」とそれを真に受ければすむ話だった。
いつものとおりで、それはそれで間違ってはないのだけど、あたしのふりしたキリコはどことなく不気味に見えた。
ものすごい上から目線で、霧島桐子が否定することを許さない。
大正解。完璧。お見事!
って。感心している場合じゃない。
キリコは――キリコはどうすればいいんだっけ?
座ったまま無表情でやりすごす。
そうだよ不満を見せちゃいけない。
キリコであるあたしは楯突いてはいけない。
そういう役割なのだ。
わかっているけど。
キリコになりきる苦痛を誰にもわかってもらえないなんて。
キリコなんてイヤだと暴れたいのを押さえる。
いつかは元に戻るんだから。それまでのがまん。
あたしは霧島桐子を引き継ぎ、キリコは音無花音を引き継ぐ。
キリコにそつなく演じてもらいたければそうしないと。
急に悲しくなってきて、涙が出そうになる。
「ねぇ、なんで階段から引きずり落とそうとしたの。結局あなたの方が下敷きになって腰を打ったじゃない」
正確にいうと、中身が入れ替わってしまったので、腰の痛みを感じているのはこのあたしなのだが。
相も変わらずキリコはあたしになりきることができなくて、おどおどとしていた。
「ご、ごめんなさい……ケガをさせようとか、そんなつもりじゃなくて……」
「じゃあどうして」
迫ろうとしたら、ガラガラとドアが開いて担任が帰ってきた。
とっさに音無花音から離れる。なんとなく気まずい空気が流れた。
祐子先生はどう思っているだろう。
双葉と友梨奈、そしてあたしがクラスを取り仕切っているのは薄々感づいているはずだ。
でもそこへ最下層のキリコが不自然に立ち入ってきている。
祐子先生はあたしの肩にそっと触れた。
「霧島さん、落ち着いてきた?」
「……はい」
あたしは自分が霧島桐子の姿をしていることを受け入れ、返事をした。
スマホをブレザーのポケットに突っ込んで、おとなしくベッドに座り直す。
祐子先生も近くの椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「青柳先生の車で病院へ行くことになったから。保護者の方はそちらへ来てくださる」
祐子先生はそっとため息をつくと、やっかいごとに巻き込まれたときのような困った顔をした。
「それで、なにがあったの」
あたしのほうを向いて聞いた。
こっちが聞きたいくらいだっていうのに。
たぶん、祐子先生は勘違いをしている。
まさか入れ替わっているなんて思いもしないだろうから、音無花音がキリコになにか嫌がらせでもしたのではないかと、心配しているのだ。
いや、心配というか、自分が解決しなきゃいけない面倒な問題を見つけてしまったような、ちょっとしたいらだちまで感じてしまう。
なんて答えようか。
間があくとキリコが口を開いた。
「わたしが悪いんです」
こちらからすれば、その一言だけでも迫真の名演技だった。
堂に入った音無花音が無言のままうなだれている霧島桐子に手を差し伸べる。今までにもよくあった。
ニセモノはいつの間にか音無花音になりきるコツを見つけて調子よく振る舞っている。
「わたしが足を踏み外して、それで後ろにいた霧島さんにぶつかってしまって……」
ね?と問いかけるようにあたしに目配せする。有無を言わせぬ気迫があった。
あたしをかばっているようにみえるけど、本当はキリコが引きずり落としたんだから。
そういってやりたい。
キリコは自分がしでかしたことを隠そうとしている。
でもあたしがキリコの姿をしている以上、キリコが引きずり落としたとも言いにくい。
だからもうこの話はおしまいだ。
あたしは素直にうなずいておいた。
別に先生に真実を知ってもらいたいわけではない。
霧島桐子が音無花音にケガをさせたことなんて、今はどうでもいい。
なんでこうなったのか。キリコが何かたくらんでいるのなら、それを知りたい。
そして早く元に戻る方法を知りたい。
ただそれだけ。
元に戻ったらまたキリコに睨みをきかせてやるんだから。
あたしは今、きっとふてくされた顔をしている。
だが、音無花音の姿をしたキリコは、あたしが注文をつけたとおり、いつの間にか凜としたたたずまいで、キリコの姿をしたあたしに微笑みかけてさえいた。
そして、音無花音が「なんでもない」というのなら、先生のほうも「なんのトラブルもなし」とそれを真に受ければすむ話だった。
いつものとおりで、それはそれで間違ってはないのだけど、あたしのふりしたキリコはどことなく不気味に見えた。
ものすごい上から目線で、霧島桐子が否定することを許さない。
大正解。完璧。お見事!
って。感心している場合じゃない。
キリコは――キリコはどうすればいいんだっけ?
座ったまま無表情でやりすごす。
そうだよ不満を見せちゃいけない。
キリコであるあたしは楯突いてはいけない。
そういう役割なのだ。
わかっているけど。
キリコになりきる苦痛を誰にもわかってもらえないなんて。
キリコなんてイヤだと暴れたいのを押さえる。
いつかは元に戻るんだから。それまでのがまん。
あたしは霧島桐子を引き継ぎ、キリコは音無花音を引き継ぐ。
キリコにそつなく演じてもらいたければそうしないと。



