「まぁまぁふたりとも」
夕凪は優しく諭すように取り持った。
「やられたらやり返すとか、そんなことやってたらきりないよ。水に流せともいえないけどさ。まぁ、どっちが悪いといったら、音無さんのほうだけど」
「ちょっと!」
あたしの不満顔に夕凪はフフフと笑った。
「音無さんは今さら謝れないようだけど、キリちゃん、どうする? 許せるの?」
急に裏切るようなことをいうので間髪入れずにいった。
「どうするってなによ。最初に意地悪したのはあたしじゃないよ。許すも許さないもないでしょ。へんに関わって、今度はあたしがターゲットにされるなんて、そこまで普通、体張れないよ。キリコならできるの?」
キリコは不服そうにしているが、黙っている。
答えなんてないよ。
みんなわかってる。後戻りできなくて。やめなよって、言えない。
自分でなければいいやって、逃げてる。
でも、それを楽しんでるようじゃいけない。
あたしには罪悪感がなくなってた……
「キリコ、ごめん……でも、あたしは救えないよ……」
「救ってくれなんていってない」
意地を張っているだけじゃなかった。
キリコは案外強い人間なのかもしれない。
「わたしは、わたしにできることをしようとしただけ」
キリコも自分の居場所を探してもがいてる。
誰かを蹴落としたりしないでそれができたらいいのに。
「あたしは……元に戻りたい。夕凪からも頼んでよ。それともグルだったの? あたしを困らせようと陥れたの?」
「まさか!」
夕凪は両手を振って全力で否定する。
キリコもその様子にうなずいた。
「今回の入れ替わりのことはわたしも全然知らない。でも……風太は戻れなくてもいいと思ってるんでしょ」
「そんなことないよ。念願がかなうってのは、こんなことじゃないって気がついた」
「え? 念願がかなうって、なに?」
キリコにはわかっているようだったか、あたしにはなんのことかさっぱりだった。
もう少しあたしの体でいたいとか、いってたけど、それってなんだったのだろうか。
夕凪は覚悟を決めたようにあたしに視線を向けた。
「自分は女子として生まれるはずじゃなかったのかなってこと」
「え? 意味わかんない」
「わかんないと思う。男でありたくないなんてこと、わかんないと思う」
「え?」
とんでもないことを聞かされているようで、夕凪よりもキリコの顔をまじまじと見つめてしまった。
キリコはとくだん驚くこともなく、ソファーの背もたれに寄りかかってクッションを抱えている。
「だと思ってた」
キリコの反応は落ち着いたものだった。
肯定的でも、否定的でもないような、キリコにとって、夕凪は夕凪でしかないというような……
「あえて聞くようなことでもなかったし」
「……そうなの?」
戸惑っているのはあたしだけだ。
いくら夕凪が女子っぽい一面を持っているな、女子を演じるのが楽しそうだなと感じてはいても、そこまで男子であることを受け入れていなかったなんて……
食事制限をしているのも、たくましい男子っぽい体つきになっていくのがイヤだったから?
夕凪が女子でいたいと言ったとき、「キモい」なんて軽い気持ちであたしはあしらった。あのとき本当はすごく深く傷ついたから泣いていたのかな。
男子でいたくないってことを家族も気づいていて、受け入れてもらえていなかったのだろうか。
考えれば全部ピースがはまっていく。
あたしという女の子の器を手にしてさほど違和感なく見られていたのも、本来の夕凪に近づいたからなのか。
あたし、ひどいことをしていたのかも……
「夕凪……ごめん、あたし……」
言葉が出てこないでいると、夕凪はあたしの肩をそっとなでた。
「わたし、自分の顔にメイクできたんだよ。ヘンに思うだろうけど、ようやく自分を受け入れられたような気がする。たぶん、自分でも自分のことを否定してた。だから音無さんのおかげ」
「そんな……」
「戻ろう。自分はほかの誰かになりたかったわけじゃない。音無さんでもなく、誰でもなく、やっぱり自分でいなきゃいけない。自分らしくするのは難しいけど。戻らなきゃ」
「……そ、そうなんだけどさ。どうやって?」
あたしは気を取り直してキリコにたずねた。
「まぁ、見届け人になることぐらいしかできないよ。事故が起こりそうになったあの瞬間も、そのまま風太と音無さんが入れ替わっちゃえばいいのにって、思っただけだし」
「ウソでしょ。キリコが首謀者?」
目を丸めるあたしにキリコは吹き出した。
「大げさね。本当に入れ替わるなんて思わなかったよ。ただ、そうなればいいのにって」
「入れ替わったおかげで女子の洗礼を浴びた気分だった」
夕凪までのんきに軽口叩く。
「こっちはなんもいいことなしだよ」
あたしはさっさと右手を夕凪に差し出した。
「さぁ、もう一度。元に戻ろう」
夕凪はうなずいてあたしの手を取った。
そうして相手の心に思いを寄せる。
つかの間の女子の体験はどうだっただろうか。
きっとそれでもすべては救われなかった。
手にしたかったのは仮の姿ではない。
あたしは音無花音の体を引き寄せた。この体と心で生きていく。
夕凪もその体と心で生きていく。
かけがえのない自分。
答えはすぐには見つからないかもしれないけど――
「自分は……自分は間違ってないって思うんだ」
耳元で夕凪がつぶやいた。
「あたしは――」
あたしは、自分が正しいことをしてきたと、胸を張っていえなかった――
自分に戻って、まずはなにをする?
夕凪は優しく諭すように取り持った。
「やられたらやり返すとか、そんなことやってたらきりないよ。水に流せともいえないけどさ。まぁ、どっちが悪いといったら、音無さんのほうだけど」
「ちょっと!」
あたしの不満顔に夕凪はフフフと笑った。
「音無さんは今さら謝れないようだけど、キリちゃん、どうする? 許せるの?」
急に裏切るようなことをいうので間髪入れずにいった。
「どうするってなによ。最初に意地悪したのはあたしじゃないよ。許すも許さないもないでしょ。へんに関わって、今度はあたしがターゲットにされるなんて、そこまで普通、体張れないよ。キリコならできるの?」
キリコは不服そうにしているが、黙っている。
答えなんてないよ。
みんなわかってる。後戻りできなくて。やめなよって、言えない。
自分でなければいいやって、逃げてる。
でも、それを楽しんでるようじゃいけない。
あたしには罪悪感がなくなってた……
「キリコ、ごめん……でも、あたしは救えないよ……」
「救ってくれなんていってない」
意地を張っているだけじゃなかった。
キリコは案外強い人間なのかもしれない。
「わたしは、わたしにできることをしようとしただけ」
キリコも自分の居場所を探してもがいてる。
誰かを蹴落としたりしないでそれができたらいいのに。
「あたしは……元に戻りたい。夕凪からも頼んでよ。それともグルだったの? あたしを困らせようと陥れたの?」
「まさか!」
夕凪は両手を振って全力で否定する。
キリコもその様子にうなずいた。
「今回の入れ替わりのことはわたしも全然知らない。でも……風太は戻れなくてもいいと思ってるんでしょ」
「そんなことないよ。念願がかなうってのは、こんなことじゃないって気がついた」
「え? 念願がかなうって、なに?」
キリコにはわかっているようだったか、あたしにはなんのことかさっぱりだった。
もう少しあたしの体でいたいとか、いってたけど、それってなんだったのだろうか。
夕凪は覚悟を決めたようにあたしに視線を向けた。
「自分は女子として生まれるはずじゃなかったのかなってこと」
「え? 意味わかんない」
「わかんないと思う。男でありたくないなんてこと、わかんないと思う」
「え?」
とんでもないことを聞かされているようで、夕凪よりもキリコの顔をまじまじと見つめてしまった。
キリコはとくだん驚くこともなく、ソファーの背もたれに寄りかかってクッションを抱えている。
「だと思ってた」
キリコの反応は落ち着いたものだった。
肯定的でも、否定的でもないような、キリコにとって、夕凪は夕凪でしかないというような……
「あえて聞くようなことでもなかったし」
「……そうなの?」
戸惑っているのはあたしだけだ。
いくら夕凪が女子っぽい一面を持っているな、女子を演じるのが楽しそうだなと感じてはいても、そこまで男子であることを受け入れていなかったなんて……
食事制限をしているのも、たくましい男子っぽい体つきになっていくのがイヤだったから?
夕凪が女子でいたいと言ったとき、「キモい」なんて軽い気持ちであたしはあしらった。あのとき本当はすごく深く傷ついたから泣いていたのかな。
男子でいたくないってことを家族も気づいていて、受け入れてもらえていなかったのだろうか。
考えれば全部ピースがはまっていく。
あたしという女の子の器を手にしてさほど違和感なく見られていたのも、本来の夕凪に近づいたからなのか。
あたし、ひどいことをしていたのかも……
「夕凪……ごめん、あたし……」
言葉が出てこないでいると、夕凪はあたしの肩をそっとなでた。
「わたし、自分の顔にメイクできたんだよ。ヘンに思うだろうけど、ようやく自分を受け入れられたような気がする。たぶん、自分でも自分のことを否定してた。だから音無さんのおかげ」
「そんな……」
「戻ろう。自分はほかの誰かになりたかったわけじゃない。音無さんでもなく、誰でもなく、やっぱり自分でいなきゃいけない。自分らしくするのは難しいけど。戻らなきゃ」
「……そ、そうなんだけどさ。どうやって?」
あたしは気を取り直してキリコにたずねた。
「まぁ、見届け人になることぐらいしかできないよ。事故が起こりそうになったあの瞬間も、そのまま風太と音無さんが入れ替わっちゃえばいいのにって、思っただけだし」
「ウソでしょ。キリコが首謀者?」
目を丸めるあたしにキリコは吹き出した。
「大げさね。本当に入れ替わるなんて思わなかったよ。ただ、そうなればいいのにって」
「入れ替わったおかげで女子の洗礼を浴びた気分だった」
夕凪までのんきに軽口叩く。
「こっちはなんもいいことなしだよ」
あたしはさっさと右手を夕凪に差し出した。
「さぁ、もう一度。元に戻ろう」
夕凪はうなずいてあたしの手を取った。
そうして相手の心に思いを寄せる。
つかの間の女子の体験はどうだっただろうか。
きっとそれでもすべては救われなかった。
手にしたかったのは仮の姿ではない。
あたしは音無花音の体を引き寄せた。この体と心で生きていく。
夕凪もその体と心で生きていく。
かけがえのない自分。
答えはすぐには見つからないかもしれないけど――
「自分は……自分は間違ってないって思うんだ」
耳元で夕凪がつぶやいた。
「あたしは――」
あたしは、自分が正しいことをしてきたと、胸を張っていえなかった――
自分に戻って、まずはなにをする?



