なりきるキミと乗っ取られたあたし

 キリコの家で過ごした何日間が、はるか遠い過去のことみたいだった。

 音無花音として自分の置かれた環境がなんだか損しているみたいに思えて、他の誰かのことをうらやましく思ったことはある。
 他の家に生まれたかったとか、他の誰かになりたいとか。
 でも、自分ではない体でいることがこんなにも落ち着かないなんて。

 早く戻りたい。

 キリコの家のチャイムを押しながら、あたしはできるだけ夕凪風太の顔をカメラに近づけて音無花音の姿が映らないようにした。
 でも、入れ替わりに気づいているなら、中身があたしだってことにも気づいているってことか。
 あんまり意味ないけど、音無花音の顔で迫るよりはいいだろう。

 ほどなくしてキリコが応答した。
「話があるんだけど、いいかな」
 という呼びかけには素直に応じてくれた。
 制服からワンピースに着替えていたキリコが玄関から出てくる。

 夕凪風太と音無花音のそろった顔を見て、「そんなことだろうと思った」と素っ気なくいった。
「いつから気づいてた?」
 と聞けば、
「転がってすぐ。まぁ、あがれば」
 と、あたしたちを招き入れた。

 リビングのソファーに腰掛けるよう勧められ、夕凪と並んで座る。
 相変わらず整然とした空間だった。ひとのお宅の匂いというのもなく、塵もなにも生活感さえもないような、モデルハウスみたいなところだった。
 だけど、この家の住人は決して歓迎しているのではなくて、空気が重い。
 キリコはあたしのすぐそばにあるひとり掛けのソファーにどっかりと座った。

「それで、わたしに、何を期待しているの?」
 うじうじとしたキリコからは想像がつかぬほどの高圧的な態度に、イラッとした。
 誰がキリコをどん底から救ってやったと思っているのだ。
 それどころかあたしの居場所まで奪っておいて。

「なにをしにきたかって? わかってるくせに」
 つい突っかかってしまって、夕凪にとがめられる。
「キリちゃんが頼りなんだから。落ち着いて」
「そうはいってもさ、双葉と友梨奈にウソつくことないでしょ。先輩にからまれたっていってたくせに。なんであたしがキリコにすり寄ったことにされるのよ」
 腹が立って口調が荒くなる。

 それでもキリコは物怖じしなかった。
「ああ、それね。最終確認だよ。もし入れ替わりなんて起こっていなくて、音無さん本人だったら否定するだろうから」
「ひどいウソをつくよね。そんなウソをつかれたからさ、本当は先輩たちとなにがあったのか気になるじゃない。だからさ、陸上部の草加先輩に全部聞いてきたんだ」
「え?」
 そこまでするとは想像していなかったのか、キリコは驚いていた。

 あたしはこれとば責め立てる。
「九重先輩とのこと、聞いたよ。草加さんたちに、顔が赤くなるところ、見られていたんだってね」
 意地悪くいうと、それまでの威勢の良さが消えて、キリコは声をつまらせた。
「……ちがう。別に、なんとも思ってない。助けてほしかったわけじゃないし、ああいう目立つ人と関わると、余計に面倒が起こるだけだから」
「日向くんのように?」
 キリコの過去に触れたら、少し目を伏せて、黙り込んだ。

 意を決して陽向くんにハグをしてもらったという、そのとき。
 陽向くんとの関わりを絶つ決断までしたのに、状況は何も変わらなかった。
 いじられ、ハブられ、誰にも相談できず、ずっと。
 そのときからキリコのすべてが奪われたまま、キリコの時間が止まっている。

 あたしと入れ替われば、なにかが変わるというとんでもない発想は、たしかにキリコに影響を与えた。
 だけど、キリコが陽向くんとの関係を絶たれたように、あたしだって双葉と友梨奈の関係を絶たれそうになっている。

 双葉と友梨奈に弁明したい。
 決して居心地いい場所でもないけど、それでもあたしには必要な場所。
 あたしは変われない。
 キリコと同じ道は選べない。
 意固地になって、ひとりでもやっていける、だれかがあたしについてくるって、そう思えない。

 でも、反発もしているのだ。
 カースト上位ってなに? 自分はこの辺にいるものだってランク付けして。
 慕われているわけじゃないって気づきながら、必死にしがみついてるだけじゃん。
 ちょっとしたことでそっぽ向かれて、信頼されてなくて。
 あたし、いつから友達の作り方忘れたんだろう。