なりきるキミと乗っ取られたあたし

 放課後、双葉と友梨奈を連れ立って帰るところだった。
 上履きをぬいで履き替えようとしたら、ぽつんと一点、上履きにシミがついていることに気がついた。
 お昼の時、ここにも飛び散ったのか。

「そうだ、忘れ物。とってくる」
 あたしは洗ったハンカチをベランダに干していたことを思い出し、双葉らにそう告げて取って返した。
 給食の盛り付けをしているとき、ソースがはねて制服の袖を汚されてしまったのだ。
 やらかした相手の糸川さんはビビっていたが、あたしは「気にしないで」と表情を変えずに自分のハンカチで拭き取った。

 上履きまで汚されていたなんて、ちょっとウツだ。
 家に持って帰って洗ったら、明日までに乾くかな。でも、持って帰る袋も持ってきてないし。
 今日のところはしかたない。
 だけどハンカチは気に入ってるものだし、そのまま放っておけないので取ってきた。

 戻ってくると――双葉も友梨奈も待ってはくれてなかった。
 急いで靴を履き替えて表へ出る。
 通りを見渡せば、なぜかキリコまでがいつの間にか合流していた。
「ちょっと!」
 大声張り上げて呼び止める。

 十五メートルくらい先の十字路に横断歩道があって、三人は道路を渡ってさらに先へと進んでいた。ふたりの後ろを歩いているキリコが「早く!」とのんきに叫んでいる。
「早くって……急に親しげに話しかけないでよ」

 文句を言いながら走って追いかける。
 横断歩道を渡ろうとしたときだった。視界の端に車が飛び込んできて、ブレーキをかける大きな音がした。

 ――ウソ……間に合わない……っ!

 油断していた。
 横断歩道に信号はないけど、通学路でもあるから警察官がたまに立っていることもある。横断歩道は歩行者優先だから、歩行者に道を譲らないドライバーを取り締まる場所として知られていて、手前で待っていると止まってくれる車も多い。
 だけど、飛び出したあたしが悪い。

 ――戻らなきゃ……

「いやぁぁぁぁ!」
 誰かの悲鳴が聞こえた。
 と、同時に強く腕を引っ張られ、あたしは誰かに抱え込まれながら転がった。ぐるぐるとめまいを起こすくらいに。

 ようやく足の捻挫もよくなったというのに、またあちこちに激痛が走る。
 だが、車に跳ね飛ばされたのなら、こんなんじゃすまなかっただろう。
 あたしは助けてくれた人の下敷きになったが、なんとか無事だった。
 相手の長い髪が顔に覆い被さって邪魔でも文句はいえまい。

 自分と同じトリートメントの香りがした。
 黒髪の男性アイドルがCMをしていたこのトリートメントはあまりに人気で、一時期は品切れが起こっていたほどだった。
 男性がCMしているとはいえ、女性向けの商品だ。まさか、女子が体を張って助けてくれたの?

 その命の恩人は、自分の腕でゆっくり体を支え起こすと顔を上げた。
 ――え?
 彼女の顔を見てさらに驚いた。
 想定などするはずない。
 目の前にあたしがいるなんて。
 キリコならともかく、あたしが入れ替わり体質になってしまうとか、とばっちりもいいところだ。

 驚いたとはいえ、あたしはこれが二度目だ。
 入れ替わりがはじめての相手はものすごくびっくりしているはずだった。
 なのに――目の前にいる音無花音は髪をかき上げ、こちらの姿を認めると、「あっ、ごめんなさいっ」といって飛びのいた。
 こちらの姿を見て動揺する様子はない。
 相手の目の前には自分の姿があるはずだけど、入れ替わったのではないのだろうか。

 まさかの、分裂? あたしがふたりに? そんなバカな。

 痛む体を気遣いながら上半身を起こすと自分の足が見えた。黒いズボンをはいている。上半身を見ればうちの学校の制服である学ランを着ている。
 ――えぇ。男子になっちゃったの?

 そのときだ。「おい!」と怒鳴り声が降りかかってきた。
「危ねぇだろうが!」
 車の助手席に乗った男が窓を全開にし、身を乗り出すように怒りをあらわにしていた。
 なにもそんなに大人げないことをいわなくても……と、思っていると、すかさず音無花音が「そっちも気をつけなさいよ!」と、すごみをきかせる。

「ちょ、ちょっと……」
 ヤバくないか。あたしはその威勢の良さにひるんでしまった。
 でも、周りにいた歩行者や、学校の駐車場にたまたまいた先生が集まってきて、相手も分が悪いと思ったのか、それとも運転手の方は冷静だったのか、走り去ってしまった。