なりきるキミと乗っ取られたあたし

「音無さん? 日向だけど、いま、大丈夫かな?」
 陽向くんはインターホン越しに話しかけている。

 あたしたちは音無家へ向かった。
 キリコとちゃんと話しをしなくてはいけない。
 だけど、あたしが直接きちんと話しをしようと申し出ても、拒否されてしまうかもしれなかった。今さらなんなのって。
 だから陽向くんにもいっしょに来てもらったのだった。

 キリコはなにも知らず、音無花音を装ったまま上機嫌で玄関口に出てきた。
 陽向くんの後ろにあたしがいるとわかると、その表情を崩す。
「霧島さんもいっしょなんだね。ヘンな組み合わせ。どうしたの?」
「ああ、春田先生にも会ってきた」
 陽向くんがいうとキリコは「なんで……」と、絶句した。

「思い出したんだ。オレたちが入れ替わろうとしたことを」
「え……」
 今度はあたしが驚く番だった。
 キリコは一度、入れ替わりを陽向くんと試してみたことがあるということなのか?

「あれは……」
 キリコはそういうと顔を赤らめた。けれどもすぐにきっぱりといった。
「とにかく、もういいわ。彼女と話しをするから陽向はもう帰って」
「……わかった」
 陽向くんはあたしをちらりと見やり、「がんばれ」とでもいってるように力強い視線を残して帰って行った。

「中へ入ろう」
 キリコにうながされてあたしの部屋へ向かった。
 もうずいぶんと長いこと離れていたような、そんな気さえする。
 自分の部屋ではあるけれど、キリコに我が物顔で占拠されていて、落ち着かないどころか腹立たしい。

 キリコはのんきに勉強をしていたらしい。
 机の上にあたしの物じゃないノートと、なにかのテキストが開いたままになっていた。
 あたしはベッドに腰掛け、キリコはローテーブルの前にぺたんと座った。

「陽向くんとも入れ替わろうとしたの?」
 あたしはまずそれを聞いた。
 そのときの失敗は赤面する事態だったようなのに、なんでまたあたしなんかと入れ替わろうと思ったのか。

 キリコは黙ったままうなずいてそれを認めた。
「なんで陽向くんだったの?」
「そういったら……入れ替わろうっていったら、陽向が抱きしめてくれると思ったから」
「え、ぇええ! なに、それじゃなに、ふたりはただの幼なじみじゃないってこと?」
 こちらがうろたえてしまうほどの衝撃告白。キリコのくせに生意気な。

 荒ぶるあたしだったがキリコはこちらの気を知ってか知らずか静かに首を振った。
「関係性としては幼なじみだよ。わたしの一方的な片思い。でも、陽向ってモテるから」
 キリコはまた背中を丸めて、いつものキリコみたいにボソボソと話しはじめた。
「わたしと陽向が仲良くしてるのをよく思わない子たちがいるんだよね、やっぱり。ただの幼なじみのくせにって。見せつけてるわけじゃないのに、陽向と仲良くしているからってそれだけでいじめられてた」

 そうだろうな。
 あたしでもねたんで裏でこっそりキリコにあたっていただろう。キリコのくせに生意気だって。
 そんな意地悪をしても陽向くんは振り向いてくれないってわかっているのに。

「だから、最後に陽向に甘えたかったんだ。小三のときかな。春田先生の言ってたこと覚えてる?って。入れ替わりたいなっていったら、陽向はわたしの手を取って抱きしめてくれた」

 閉じ込めていた過去の中に、キリコの大事なものもしまわれていた。
 それを語るキリコはきらめきを取り戻したようだったけど、それも一瞬だけだった。

「それが最後。それ以降、陽向には話しかけないようにした。でももう遅かったけど。ずっと女子から無視され続けて、みんな理由を忘れてしまうくらいにそれが普通になっちゃった」

 キリコはクラスが変わっても、中学生になっても、仕切り直しができなかったのだ。
 あたしも考えもしなかった。どうしていじりの対象にキリコが選ばれたのか。
 あたしがキリコのことを知ったときにはもうすでにキリコは笑われていた。
 この子はいじってもいいんだって、勝手に決めつけて、どうしてそうなのか、理由を考えようともしなかった。

 ひょっとしたら、陽向くんも自分が近づきすぎたら、キリコがつらい思いをすることになると気づいていて距離を取っていたのかもしれない。
 ずっとつきっきりでキリコを守るのは不可能だから。
 それこそ自分とキリコが入れ替わってあげられたらと、思っただろうか。
 どうやったらキリコを救えるだろうかと。