なりきるキミと乗っ取られたあたし

 霧島桐子になりきる鉄則。
 とにかく目立たないことだ。
 極力じっとして時間を過ごす。
 誰もあたしに関わらないでほしかった。
 うつむいて縮こまったところで存在は消せやしないのに、気がついたら背中を丸めていて、ほんとみじめったらない。

 キリコが演じる音無花音がうまくやれてるのか、様子をうかがうこともままならなかった。
 誰かと目が合ったら何かされそうで、面倒くさい。

 キリコはこんな毎日が退屈ではなかったのだろうか。
 誰にも話しかけられず、ひとことも声を発せず、たまに声をかけられたなと思ったらイジられて、愛想笑いで長い一日が終わっていく。
 そんな毎日に嫌気がささなかったのだろうか。

 あたしはもうすっかりキリコになりきり、最後の授業が終わると帰り支度を始め、帰りの挨拶をするやいなや教室を飛び出す。
 先輩にも見つからないよう、脇目も振らず学校を出た。

 だけど、こんなことをしていたって、自分には戻れない。
 どうにか、どうにかしなくちゃ。
 早足でキリコの自宅に向かっていると、後ろから人が走ってくる音が聞こえてきた。

 誰だろ。
 近所の人かな。
 すごく軽快であっという間に近づいてくる。
 陸上部のあの先輩が追いかけてきたりして……。
 どうしよう。逃げたいけど急に自分まで走り出せない。
 たかだか足音なのに。普段は気にしてないことまで気にかかった。

「キリコ!」
 大声で名前を呼ばれてドキッとした。
 だって、その声は……。

 もうすぐ後ろまで足音が迫っていた。
 突然手をつかまれて、グッと引き寄せられると、その人の胸に抱かれていた。

「え……」
 どうして?

 相手の息も上がっていたけど、あたしの鼓動も速くなる。
 こんなの初めてだし、どうしていいのかわからなくて、棒立ちになった。
 ゆっくりと、その人が、合わさった胸から離れていく。

 やっぱり、陽向くんだった。
 焦がれている人に出会ったときのような、底抜けに明るい笑顔で、すぐそこにいた。

 どういうことなの。あたし今、キリコの姿をしているんだよ。キリコとはどういう関係なの。
 まっすぐ見つめてくる陽向くんが、本当はキリコを見ているのだと思うと悲しくなってくる。

「きみは……キリコじゃないね?」
「え?」
 まったく予期せぬことに頭が真っ白になる。

 陽向くんは納得したように微笑んだ。
「やっぱりね。キリコなら、許可なくわたしにさわってんじゃないよ!って怒鳴りつけるから」
「キリコが?」
「その場でセクハラを糾弾するタイプ」
「ええ!?」
「――っていうのはウソだけど」
「ちょ……えぇ?」
 どういうことかわからない。びっくりしすぎてボロが出てしまった。

 今さら取りつくろえないけど、これって、キリコと陽向くんって、相当親しいってことじゃないか? だって、陽向くんはキリコがキリコじゃないって気がついたんだもの。