なりきるキミと乗っ取られたあたし

 よし。階段がだめなら思いっきり突き飛ばして、一緒に転がってみればいい。
 あたしは猛ダッシュで音無花音を追いかけた。
 階段を上りきって三人は横並びに歩いている。このまま突っ込めば――。
 まっしぐらに走って行く。

「あっ!」
 ふいに足下になにかが飛び出してきて、足に突っかかった。
 思いっきりスピード上げて走っていたものだから、どうにも止まらない。勢いよく前につんのめって転び、強く体を打ち付ける。

「うっ」
 胸が苦しい。
 痛いのはあたしだけだ。伸びた手の先でさえも音無花音には届かなかった。

「あら、ごめんなさい」
 謝罪の意も感じない声が響いた。
 追いかけるのに夢中で気づかなかったが、廊下の端に糸川さんが立っていた。
 彼女が足を出してあたしを転ばせたのだ。
 いつも連れ立っている中野さんと深井さんもやってきて、廊下で伸びたままのあたしを取り囲んだ。
「いいこと? 花音には半径五メートル以内に近づかないでね?」

 なんなんだこれは。あの三人の差し金か?
 霧島桐子を取り巻く状況がひどくなっている。
 キリコがあたしに手を出したことが知れ渡り、それをきっかけにエスカレートしていってるのだろうか。

 騒ぎに気づいた双葉ら三人は立ち止まり、「なにしてんの」「うける」とかいいながらあざ笑っていた。

「あ、そうだ」
 キリコはわざとらしくそういうと、さっそうとあたしの前までやってきて、視線を合わせるようにしゃがんだ。
 あたしがいつもやる立ち振る舞いに引けを取らない。
 なんでこんなにも板についているのだ。
 あのネクラなキリコが。どうしてここまで音無花音を演じられるのか、悔しいくらいキリコは音無花音になりきっている。

「あのね、わたし、きょう日直なんだよね。誰かさんのせいで足痛いから、キリコが代わりに日直の仕事してくれない?」

 あたしはすっころんだままの情けない格好だったが、せめてもの反抗心で睨み返す。
 だけどキリコはあたしが断らないことを知っている。
 霧島桐子は頼み事を断らない。初めて断る相手が音無花音であってはならない。断じて。音無花音にこれ以上の恥をかかせてはならないのだ。

 キリコはあたしの耳元でそっとささやいた。
「イメージ、崩さないよね?」
 あたしがきのういったことをそのまま返してきた。
 このタイミングでいうかと腹が立ったが、あたしの答えは決まっている。
 日直の仕事くらい。どうってことはない。本来はあたしがやるはずだったのだから。そう言い聞かせる。

 打ち付けた体が痛いけどおなかの底に力を入れた。
「もちろん。代わってあげる」
「そう、よかった。ありがと」
 キリコは満面の笑みを浮かべ、ニヤついている双葉と友梨奈の元へ戻った。
 そこへ糸川さんたち三人も加わる。

 このままではカースト底辺どころではない。ひとり対クラス全員になってしまう。
 ひとりの絶対女王に支配されるより、いじるターゲットがひとりに絞られる方がよっぽど結束が固くなる。

 それをあたしが請け負うなんて冗談じゃない。
 キリコとあたしが入れ替わるなんて不当だ。全然釣り合ってない。
 もう、イヤ!
 一刻も早く自分の体を取り戻さなければ。

 キリコは空気ぐらいの存在だったのに。
 気にかけてもらうこともなくて、思い出すのは用事を押しつけるときと、笑い話のネタにしたいとき。
 キリコのことなんて誰も見てないはずなのに、なんだか視線を感じるのは気のせいだろうか。
 誰かに何かをされるんじゃないかって、一日おびえてた。

 もうひとりの日直は夕凪風太だったが、女子の空気の変化に気づいていたのかいないのか、霧島桐子に用事を押しつけるというノリに便乗してこなかった。
 音無さんがケガしているから、あたしが手伝うと言ったら、自分一人でも大丈夫だからと、逆に気を遣われた。
 というより、今はまだ女子のいざこざに関わりたくないってかんじかな。