――放課後、校庭に出た私は校舎を見上げる。
この学校ともお別れ。通ったのは3ヶ月程度だったけど、楽しい思い出と辛い思い出は半々に。
もう二度と新汰先輩へお弁当を渡せなくなってしまった。
でも、これでいい。
影武者を選んだあの日から、きっと運命は決まっていたから。
弱虫な自分から抜け出さない限り、同じような結果を生み出し続けるだろう。
私は暗い表情のまま校門を出た途端、「花咲さん」と聞き覚えのある声で呼び止められた。
目を向けると、そこには新汰先輩がいる。
最後に話したのは先週の委員会のとき。
今週は莉麻ちゃんとケンカして制服にシミができてしまったから、気分が乗らずに委員会を休んだ。
作ってきたワッフルはゴミ箱へ。食べ物に罪はないけど、自分の味が嫌いになってしまったから。
「あ……、あのっ。さよなら……」
莉麻ちゃんとお弁当の件でもめたことに先輩は関係ないけど、気まずくてカバンをぎゅっと握りしめたまま横を通り過ぎた。
すると、彼は私の手を握って引き止める。
「どうして逃げるの?」
「逃げてません」
「じゃあ、どうしてウソをついたの?」
「えっ……、なんの話ですか?」
バイオレットとしてウソはついたけど、すみれとしてウソをついてなかったので意味がわからなかった。
先輩は目が合うと、右手にぶら下げていたあるものを差し出す。
そのあるものとは、私が今朝莉麻ちゃんに渡したはずのお弁当袋。
「昼に莉麻ちゃんがこれを持ってきてくれたよ。僕がよく知ってる味だから食べて欲しいとね」
「えっ……」
莉麻ちゃんのために作ったお弁当なのに、どうして先輩の元へ?
私はくすんだ気持ちのままお弁当袋を見つめた。
「作った張本人から受け取ったと言ってたよ。その人はもう二度と作れないから、自分にこの味を覚えて欲しいってね」
「……」
「でも、ひとくち食べて思ったらしい。お弁当箱の小さなスペースにどれだけの努力と工夫と世界観が含まれているかをね。なのに、作った人の気持ちも考えずに自分は手柄を横取りしてたと言ってた。残念ながら、最後まで持ち主を教えてくれなかったけどね」
「……」
莉麻ちゃん、私のお弁当を食べてくれたんだ……。
無理に押しつける形になってしまったから、食べてもらえないと思っていたのに。
でも、どうして先輩に渡したの?
不利になるようなことをしなければ、問題をうまく乗り越えていけたかもしれなかったのに。
「最初は誰が作ったかわからなかった。でも、お弁当袋を眺めていたら紫繋がりで委員会のときにキミが配っていたお菓子のラッピングのリボンを思い出した。すみれ柄のお弁当袋と紫色のリボン。二つに共通していたのはすみれ色。英訳したら”バイオレット”。花言葉は『誠実、謙虚』。それがキミのインスタのニックネーム。キミがお弁当を作り続けてくれた張本人なのに、どうして気づかなかったんだろう。いままでたくさんの贈り物をもらっていたのにね」
「先輩……」
「キミがバイオレットだと名乗り出なかった理由を教えてくれないかな」
答えられなかった。
拘っていたことが、小さくてバカバカしくて。人に迷惑をかけていると知りつつも、最後まで変わろうとしなかったから。
私が暗い顔で数秒間黙り込んでいると、先輩は言った。
「左手を出してくれる?」
「えっ」
「手のひらは下で」
「あ、はい」
素直に左手を出すと、彼はスラックスのポケットから紫色のリボンを出して、私の小指に結んだ。
「どうしてこれを……」
それを見た途端、目頭がカッと熱くなる。
ラッピングのリボンなんて、目を楽しませるだけのものなのに。
「マドレーヌを余分に貰ったときにとっておいたんだ。また食べたいと思っていたから」
「先輩……」
「これをくれた子に感謝してる。母が亡くなってから元気と栄養を与え続けてくれたからね。だから、知りたいんだ。僕にお弁当を作り続けてくれた理由をね」
そう言われた瞬間、後ろ向きだった気持ちは向かい風に巻き込まれた。
私、気持ちを伝えてもいいのかな……。
迷惑じゃないかな。
嫌がられないかな。
先輩と不釣り合いなのはわかってるのに、ずうずうしいって思われないかな。
心の中が不安な気持ちで膨れ上がっていると、ふと駿先輩の言葉を思い出した。
『キミの努力は、本人の努力として認めてもらわなきゃ意味がないからね』
私はずっと影武者だった。
先輩の喜んでくれる姿を見るのが幸せで、明日はもっと美味しいお弁当を作ろうと思っていて。
次第に遠くから眺めるだけじゃ物足りなくなって、莉麻ちゃんに勝手に嫉妬して傷ついていた。
周りの目が気になるあまり自分の想いなんて後回しにしていたけど、それは正解じゃない。
私は私として幸せにならなきゃ意味がないから……。
「っ……」
「ん? ゆっくりでいいから言って」
「……新汰先輩が好きだからです」
「うん……、それで?」
優しい表情が瞳に映った瞬間、視界がじわっと歪み始めた。
「男の人は莉麻ちゃんみたいにスリムで可愛い子が好きでしょ。だから、こんな体型の人が好かれたいと思うこと自体迷惑なんじゃないかと思って」
「そんなこと一度も思ってないよ」
「先輩は優しいから……。正直に言うと、名乗る勇気がなかったんです。私はデブと言われ続けても変わろうとしなかったし、努力をしない人間が近づいても先輩を困らせるだけだと思っているから。結局弱気な自分に勝つことができなかったから莉麻ちゃんを傷つけてしまいました。だから、私は自分が嫌いなんです」
結局最初についたウソが自分を苦しめていたし、太っていると自覚しつつもダイエットをしなかったのは自分に甘かっただけ。
そんな人間が、みんなが憧れているような人に近づこうだなんて筋違いだから。
「僕は好きだよ。花咲さんの味が」
「えっ」
「気づいたんだ。この味が世界で一番だってことにね。さっきお弁当を食べて再確認したよ」
「せ、先輩……」
「そこに体型なんて関係ない。一生懸命な気持ちはちゃんと伝わるし、誰もキミの代わりにはなれないからね」
「でも……、先輩はウソつきが嫌いなんですよね。私はこんな自分をがっかりさせたくなくてウソをついてしまいました。だから、好きになる資格なんてない」
すると彼はプッと笑う。
「ウソつきが嫌いなんてどこで聞いたの?」
「そっ、それは……」
「ウソつきが嫌いなのは、自分がウソつきだからだよ。あれは自分に向けた言葉」
「……どういうことですか?」
「母がしらす入りの卵焼きを作ってたのはウソ。本当は母が道端で倒れたときに救急車を呼んでくれた人にお礼を言いたくて探していたんだ」
「えっ」
たしかに数週間の登校中に私は人助けをした。でも、周りの大人が手助けしてくれて「後は任せて」と言われたし、学校に遅刻しそうだったのでそのまま任せることに。
学校に到着したときにお弁当袋がなくなっていたから、あのとき落としたんだと思っていた。それがきっかけでお弁当袋は手提げに入れるように。
「救急隊員は母のお弁当だと思って間違って持ってきてしまったらしい。僕が代わりに持ち帰ってからお弁当を開いたらしらす入りの卵焼きが入ってた。これが助けてくれた人の伝になると思ってインスタを開いたら、バイオレットにたどり着いたんだ」
「そう……だったんですか」
「でも、ようやく会えたはずなのに、なにかが違った。インスタの投稿を見ていた分、彼女のイメージが湧いていたから。だから、薄々気づいてた。莉麻ちゃんがバイオレットじゃないってことにね」
「……」
「なかなかお礼を伝えられなくて申し訳なく思っていた。いまさらだけど、あのときは母を助けてくれてありがとう」
「……そんな。私は全然大したことができていないので」
それがバイオレットを探していた理由と知った瞬間、自分のこだわりがバカバカしく思えた。
「でも、バイオレットが花咲さんで良かった」
「どうしてですか?」
「少し前からいいなと思っていたから」
「へっ?!」
意外な言葉が届くと、頭の中は真っ白に。
「お菓子は美味しいし、気配り上手。それに、キミがいるだけで場が温かくなる。キミが委員会を休んだときにそう思ったんだ。なにかが足りないってね。だから、お弁当を作ってくれていた人がキミと判明したときは本当に嬉しかったよ」
「夢じゃ……ないですよね」
「うん。夢じゃない」
「私、体型のことがコンプレックスだったから、先輩に恋をしたら迷惑かなと思っていたんです。でも、本当はこの先もずっと先輩のことを好きでいたい。欲を言うなら、もっともっと傍に居たいです」
私は緊張の糸がほどけてしまったかのように、瞳から大粒の雫がこぼれ落ちた。
一粒落ちたらまた次から次へと追いかけてくる。
もう、自分じゃ止められなくなるほど……。
「気持ちを伝えてくれてありがとう。僕も花咲さ……すみれちゃんのことを好きでいてもいいかな」
「へっ?!」
「引っ越しちゃうみたいだからこれからは難しくなるかもしれないけど、またいつかキミのお弁当が食べたいんだ。今度は二人で一緒にね」
彼はそういうと、私の涙を両親指で拭った。だから私は、赤面したまま元気な声で「はいっ!!」と答えた。
太っていることにコンプレックスを抱えていたから、こんな幸せな日が来るなんて思わなかった。
いま思えば、最初から素直でいたらまた違った人生になっていたのかもしれない。



