――翌朝。
私は少し早めに家を出て、学校の下駄箱である人を待っていた。
そのある人の姿が見えると、校舎の外へ飛び出す。
「あ、あのっ……莉麻ちゃん!」
彼女は一旦足を止めたけど、私の顔を見た途端に横を通り過ぎる。
でも、これは想定内。私はその後ろを追いかけて呼びかけ続けた。
「話があるの」
「あたしはない」
「お願い。少しでいいから」
「もう二度と関わらないでって言ったでしょ」
「そこをなんとかっっ……」
「しつこいんだよ!」
私は彼女が振り向いた隙をついてお弁当袋を両手で突き出した。
「あのっ……。こ、これを……」
彼女は見覚えのあるお弁当袋を見た途端に目を大きく見開く。
「……冗談でしょ。あたしがそれを新汰先輩に持ってけとでも言うの?」
「ううん。これは先輩に渡すためじゃない。莉麻ちゃんのために作ったものなの」
「え、あたしに?」
「うん。私、引っ越し前に莉麻ちゃんにこのお弁当を食べて欲しくて。一度食べれば味を覚えるから、今後のお弁当作りに役立つかなと思って」
もう二度と先輩にお弁当を作ることができないから、いま自分が最大限にできることを模索していた。
そこでたどり着いたのが、彼女に”味を覚えてもらう”こと。
彼が好物なしらす入りの卵焼き入れた。これさえマスターすれば、気に入ってもらえると思うし。
正直ここまでするなんて押し付けがましいかもしれないけど、後悔したくない。
「なに。味を覚えるってことは、あたしにお弁当を作りを続けろって意味なの?」
「うん……。袋はあげる。お弁当箱は昨日のものだから」
「断る。先輩にはもう呆れられてるから恋に終止符を打とうと思ってるの」
「終止符って……。そんな簡単に諦められる恋なの?」
「そんなのすみれちゃんには関係ないでしょ!」
「関係あるよ。私のレシピを見てお弁当を作ったのは、先輩に喜んでもらいたいから。オリジナルを入れたのは、自分の味も好きになってもらいたかったから。それだけは紛れもない事実なんじゃないのかな」
昨日床に撒き散らされたおかずを見て思った。そこには彼女らしさが含まれていたと。
私のレシピを見ただけじゃなく、目新しさを出すためにオリジナルを加えて、新汰先輩に喜んでもらうことを願いながら作ったお弁当は努力の結晶だった。
彼女は恋のライバルであるけど、同じ目標に向かっている。一度挫いてしまったとしても、努力を重ねていけばいつかわかってもらえるはず。
そう考えていたら、役割は彼女に託したほうがいいと思った。
「……」
「私にできることと言ったらこれくらいしかなくて。よけいなお世話かもしれないけど」
「そうよ! よけいなお世話なの。だいいち、押し付けがましいんだよ。やってらんない……」
彼女はフイッと背中を向けて一歩踏み出したので、私はその背中に言った。
「傷つけてしまってごめんなさい!」
「……」
「あのとき、紙袋を渡す役割を頼んでしまったことを後悔してる。断られた時点で諦めればよかったのに、どうしても渡したくて莉麻ちゃんに代理を頼んだの。でも、最終的に傷つけてしまったことを後悔していて……」
と言ってる最中、彼女は背中を向けたまま低い声で呟いた。
「そうよ。全部すみれちゃんのせい。あのときどうしてあたしを選んだの?」
「それは……」
「『こんな体型だから』とか言い訳してたけど、結局勇気がなくて逃げてただけ。料理に信念を持っているなら渡せたはずでしょ」
「えっ……」
「あたしが一番許せないのは、人を散々利用して最後に叩き落としたこと。おかげで赤っ恥をかいたじゃない。なのに、自分はいなくなっておしまい? そんなの許せるわけないじゃない」
「そんなつもりじゃなかった……。たしかに私が作ったお弁当で迷惑をかけてしまったことは悪かったと思ってる。ごめんなさい……」
結局私は、自分と彼女の足を同時に引っ張っていた。なのに、自分のことしか考えられなかったから彼女を傷つけてしまった。
先輩は私の味に会いたかっただけなのに、私は見た目を盾にして逃げてしまったから。
でも、一つだけ誤解して欲しくないことがある。
それは今日中に伝えなきゃいけない気持ち。
「実はもう一つ、莉麻ちゃんに言ってなかったことがあるの」
「まだなにかあるの?」
彼女は振り返ると、腕を組んだまま私の前で足を止める。
「私も新汰先輩が好き……。お弁当を作り続けていたのはそれが理由なの。いままで内緒にしていてごめんなさい……」
「なによ、それ……。だからあたしたちをストーキングしてたの? 毎回屋上扉から覗いていて気持ち悪かったのよ」
「それは違う!! インスタの会話を合わせようと思ってて」
「信じられない。それに、自分はいなくなるから先輩好みの味をあたしに押し付けようとしてるんでしょ。最悪」
「そーゆー意味でこのお弁当を持ってきたわけじゃない!」
激しく口論していると、彼女は私の手からお弁当袋を取り上げた。
「あんたにあたしの気持ちなんてわかんない! お弁当一つでどれだけ惨めになったか……。人をバカにするのもいい加減にしてくれな……」
と、お弁当袋を勢いよく高々と持ち上げた瞬間。
「やめなよ」
駿先輩が現れて彼女の手を止めた。すると、お弁当袋はぐわんと左右に揺れる。
私と彼女の目線は吸い込まれるように駿先輩の方へ。
「なに、邪魔しないでよ」
「このお弁当は彼女がキミのために作ったものだよ。キミが試行錯誤しながら作ったお弁当を忠実に再現してもらうためにね」
「それがよけいなお世話だって言ってるの!」
彼女は嫌気に満ちた表情で腕を振りほどく。しかし、彼は顔色を変えない。
「じゃあ質問するけど、キミは彼女の気持ちを一度でも考えたことある?」
「……」
「そもそもキミが新汰にお弁当を作る約束をしてきたんじゃなかったっけ?」
「どうしてそれを……」
「彼女から聞いたよ。たしかに彼女には非があるけど、キミの約束を守り続けるためにできる限りの対策を練ってくれたんじゃないの? それなのに、全部彼女が悪いのかな」
駿先輩が冷静な口調でそう言うと、彼女は目線を落としたまま両腕を組んだ。
「それは……」
「俺はどっちの味方もするつもりはないけど、キミはもう少し彼女に歩み寄ってもいいと思うよ。毎日どんな気持ちでお弁当を作っていたかを考えたりね」
「……そんなの、最初にウソをついたんだから責任をとるのが当たり前でしょ。それに、新汰先輩を怒らせちゃったから、いまさらあたしが味を覚えても食べてもらえないだろうし……」
「じゃあ、ひとくちだけそのお弁当を食べてあげてくれないかな」
「えっ」
「新汰がどうこう関係なくね。そしたら、お互い納得するんじゃない?」
駿先輩は莉麻ちゃんの肩をポンポンと叩くと、私の手首を掴んで校舎の奥へ足を向かわせた。
振り返ると、莉麻ちゃんはお弁当袋をぶらんとぶら下げたままなにかを思うように俯いている。
――彼が足を止めた先は人通りの少ない渡り廊下。
先輩は窓の方に体を向けたので、私も同じ方向へ。
「大丈夫?」
「はい。駿先輩のおかげで助けられました」
「俺は見てたよ。キミの頑張り様をね」
「そんな……。でも、どうして助けてくれたんですか?」
「二人が口論してるところをたまたま見かけてね。お弁当袋が見えたから、もしかしたらと思ったんだ」
「先輩って優しいんですね。こんなウソつきのことなんか気にしてくれて」
さっき彼があの場に現れなければ、私は昨日と同じく答えが見えないまま別の解決方法を探していただろう。
だから、とても感謝していた。
「優しいのはキミの方だよ。自分が辛いくせに莉麻ちゃんの気持ちを大切にしようとするなんて」
「彼女のお弁当を見てたら伝わってきたんです。新汰先輩への想いの強さを。結局、関係を繋いできたのは彼女ですから」
私がしたことと言えば、お弁当を作るだけ。でも、彼女はそれを受け取って、先輩に渡しに行って、関係を繋いできた。
もちろん、その間には大きなウソが挟まっているけど、自分だけが努力していたわけじゃない。
「でも、頑張り方を間違えちゃだめだよ」
「えっ」
「キミの努力は、本人の努力として認めてもらわなきゃ意味がないからね」
彼はそう言うと、私の肩をポンと叩いてその場から離れていった。
取り残された私は、今日までの自分を振り返ることに。



