【完結保証】シェアルームには私を振ったアイツがいる

 江口先輩は壁を背に座り窓の外の月を哀しげに見つめている。

 憂いを帯び、儚げにすら見える、その瞳はいったい何を思いそしてふけっているのだろうか。

「先輩、持ってきました」

 かけつけた私は玄関にあった配線コードに足を見事にひっかけた。バシャッと江口先輩にコップの水が頭から、かかってしまう。さきほどまで憂いていた先輩の髪の隙間から――ぽたぽたと雫が垂れていった。

「ご、ごめんなさい!」

 慌てて玄関先に置いてあった綺麗なタオルを出し、江口先輩へとかぶせる。恐る恐る先輩の表情を伺うと怒っているかと思ったのに、江口先輩は逆に笑っていた。

「あちゃー、美奈ちゃん。今、わざとやったね? 泥酔した俺に頭を冷やせ、ってことかな」

「ごめんなさい、わざとじゃないんです」
「それか振られた腹いせ? ひどいなあ。せめて拭いてよ」

 それなら、とかぶっていたタオルで先輩の頭をごしごしと拭く。

「違いますよ、もう……立ち直りましたから」

 先輩の表情が曇って、私はふと手を止めた。江口先輩の顔は――いや、曇っている、ではない。泣きそうだ。拭いている私のその手が思わずそのまま動けなくなるほど、泣きそうになっている。

「そっか、《《終わった》》んだ。あんたは……」
 
「え?」

 先輩は虚ろな目をしていた。

「俺さ、78点、っていわれたことがあるんだ」

 ぼんやりと、月を再び見る。切なく、悲しく、会えない遠くの恋人を見つめるような、そんな表情で。

「……先輩?」

「一番最初に付き合った子だった。中学生の頃で、あっちから告白してきたんだ。――実際、俺も好きだった」

 私の手首を掴み、自虐的に笑う。

「付き合ってみると、何か違った……78点だ。いいのは顔だけで――ただそれだけだと。具体的な数字の理由はわからない、けど別れを切り出されたのは、こんな月の日だった。帰り道に、その子と手を……繋いでた時に」

 ……78点。

 そう、だったんだ。江口先輩は傷ついていたのかもしれない。だから、自分に近寄る人にそうなってしまったのかもしれない。かつて自分がつけられた78点。実はその子のことがとても――とても好きで、でも言われた言葉をいまだに引きずり続けて――苦しくて、たまらないのかもしれない。
 ……かもしれない、ばかりになってしまうけれども。


「告白してくれる子は多かったよ。あんたみたいにさ、好きだ、っていってくる子は俺に幻想を抱いてるんだろうな、って。そこがきっと100点で……あとは、付き合うほどに減っていくんだろうって」

 その言葉を聴き終わり、私は大きく首を振った。

「少なくとも、私が好きになった先輩は、顔じゃなかったですよ」

 先輩は疑うようなそんな表情を浮かべていた。
 
 私が傷ついて立ち上がるのに大変だったように。
 乗り越えることができたのは、時間と――胸の中にいるのは清水くん。

「本当に、違ったんです。実は――……」

***

 私の高校生のころの思い出を長く伝えた。仕事を教えてくれたこと、当時の私の励みだったこと、江口先輩の人気の理由を。

 闇だった夜に窓から朝日が差し込むほど、長い時間、私は語った。

「今でも先輩は、助けてくれたじゃないですか。だから」

 かつて「好きです」しかいえなかった自分が、今はその理由を伝えている。いまだからこそ、心の内を明かせるのかもしれないけれど。

「なんで俺、こんなに俺の魅力を延々と聴かせられなきゃいけないの」
「まだ、まだたくさんありますから。半分もいってませんけど」
「もういいよ、お腹いっぱいだ」

 江口先輩はようやく笑った。
 ――今は、ただ応援しよう。

「あの時――心から好き《《でした》》。だから、江口先輩は顔だけじゃありませんよ。ほら、自信を持ってください」

 かつて好きだったこの人を、いつか素敵な人に出会えるように――再び心から良いと思える人に出会えるように。どうか、また立ち上がってくれるように。今の私には、それだけしかできないけれども。
 
 ……好きだった、からこそ。
 辛い、だけではなかった。
 過ぎ去った今なら、その淡い思いは貴重な、とても素敵な時間だったんだ。
私はこの気持ちを優しく心の中で抱きしめる。

 そうして語り終えると江口先輩が動かなくなった。ぼんやりとしたまま。

「――どうして」
「どうしました?」
「……なんで? 美奈ちゃん、点数稼ぎ?」
「いいえ、もういらないんです。先輩からの点数」

 あっさりと笑っていうと江口先輩は私をじっと見ていた。「ふむ」と、いい何かに気が付いたように、じっと――。

「今さ、たとえば俺が好きだから付き合おうかっていったら、どうする?」

「コップの水じゃ足らないのかなって、バケツで頭から水をぶっかけますね」

「あはは」

 再び明るく笑う。

「確かにね。浴槽レベルの水がいるみたいだ、ついでにお風呂入るわ」

 そういって、先輩は満面の笑みで立ち上がる。

「5点……いや、18点だった美奈ちゃん」

と、私にタオルをかけて


「ありがと」と、言い残して。