「人が居る」
佑樹が大きな声で叫んだ。
「えっ?」
僕が振り返ると、「中に人が居た。誰か居た」と指を指しながら訴えて来た。佑樹の必死な形相がすごく面白かった。僕は吹き出しそうになったが我慢した。必死過ぎて笑うのが悪いと思ったからだ。すると佑樹の自転車からキーッと音がし、それを聞いて僕も自転車を止める。佑樹は自転車を抱えて向きを変えると僕の横に来た。
「ここが何処なのか聞いてみようか?」
「そうだね。そうしようか」
「じゃあさ、行ってきて」
「えっ?」
「いや、えっ?じゃなくて、聞いてきてよ」」
「何言ってるの。二人で行くんだよ」
佑樹は「えー」と言いながら、面倒臭そうな顔をした。僕は片手で背中を押した。本当に嫌そうで背中が重かった。
自転車を「しち屋」の5メートル程手前に置くと、僕らは足音を立てないように歩いた。時折振り返っては「シッ」と人差し指を唇に立てた。
入り口は引き戸だったが、全開のままだった。僕は引き戸の影から左目だけを覗かせた。6畳の部屋の半分くらいの広さの玄関というか、土の地面のところがあった。人影は、そこから50cmほど高い畳みたいなところに座っていた。
陽当たりが悪いのか、室内が薄暗い雰囲気で、人影が男なのは分るが横を向いてる顔がハッキリとは見て取れなかった。もう少し顔を覗かせて中の全体を見ようかとした時、男がこっちを向いた。やばい、気付かれたか。
僕は一度顔を引っ込めて息を飲んだ。佑樹がどうしたのか聞くので、「シッ」と言って黙らせた。
少しして僕は、肝を据えて男に話しかけてみようと思った。ゆっくりと体ごと入り口に立つと、「こんにちは」と挨拶しようとしたが、出た言葉は、「うわっ」だった。男がいつ間にか畳から降りて土間の入り口近くに居たからだ。男はジロリと僕を見てきたが返事をしなかった。僕は男の顔を見た。心臓がバクバクして音を立てている。
「ねえ、どうしたの?」
佑樹が顔を覗かしてきた。そして、「ひっ」と変な声を出したかと思うと、自転車のところまで飛んで逃げていった。そして、顔の前で右手を左右に振り続けながら、口の形で「ムリ」と伝えてきた。僕は男の方に向き直した。そして、また改めて「こんにちは」と挨拶した。心臓はまだバクバクしていたが、気持ちはもうそうでもなかった。男は今度も返事をしなかった。そして、手に何かを取ると、また畳のところに戻って腰掛けた。
僕は、怖いを通り過ぎて不思議な気持ちになってきた。確かに男の顔は不気味だった。だが、一見していくつぐらいの年齢なのか全く想像も出来ない程に歳を取った人間なんて実際に見たこと無かったし、あまりにも色々と有り過ぎて、恐怖心より好奇心のほうが強くなってきたからだ。
「ねえ、おじさん。ここって何処なんですか?僕たち、道に迷ったみたいで」
そう言ってみた。
男は何かを読んでいた。新聞にしては少し分厚いような、雑誌にしては一面が大き過ぎるような、そんな何だか分からないような物に見えた。
「それで?」
「あ、ごめんなさい。それで、元の所に戻ろうとしたんですけど、来た道が消えて無くなって帰れなくなったんです」
男は表情を微かにも変えない。聞こえなかったのかな。
「どうしたら帰れるのか教えて下さい」
今度は少しだけ声を大きくして言った。「そんなに帰りたいのか?」
「帰りたいです、今すぐに」
男は、それでどうしたいのかと聞いてきた。僕は、最初に言ったように、ここが何処か知りたいと伝えた。男は、此処に地名なんて無いと答えたので、「地図があれば見せて欲しいんですが」と言った。
「地図なんかあったってどう使うつもりだ?」
「地図ぐらいは見れるからあるなら見せて貰えますか?」
男はフッと鼻で笑うと、
「地図は無いな。だが、地図があったとしても何にもなりゃあしないさ」
と言って手にしてた物を畳の上にバサッと置いた。
「どういうことですか?」
「何処に行こうとしても何処にも行けないんだよ」
男がゆっくりと腰を上げた。僕は慌てて飛び出すと、「行くよ」と言って祐樹の腕を掴んで引っ張った。
「痛いよ、どうしたの?」
「とにかく行こう」
僕らは自転車に跨った。そして振り返ってみたが、男が追ってくる様子は無かった。
祐樹がボソッと言った。
「来なければ良かった・・・」
僕は聞こえない振りをした。
自転車を漕ぎながら途方に暮れたような気になった。
「どうする?」
今度は僕が佑樹に聞いてみた。
「何て言うか、何か怖いところだよね。最初の麦わら帽子の人もトラックの人も今の人も、みんな怖い感じだったもん」
「そうだね」
「何かもう、何処に行ったらいいのか分からないよ」
佑樹は半ベソになりそうで、への字に曲げた唇を細かく震えさせていた。
僕は、何かを言ってやりたいと思ったが、上手い具合に言葉が思い浮かばなかった。佑樹は、右手で目を何度も擦りだした。
「祐樹、大丈夫?」
それをキッカケに佑樹は本泣きになり、ボロボロと涙を流し始めた。僕も泣きそうになったが、一生懸命に我慢した。
僕はあれからずっと考えていた。何処にも行けないってどういう事なんだろう。僕たちは今、何処へ向かって自転車を漕いでるのだろう。民家はあるが誰も歩いてないし、いったい此処は何処なんだろう。家からそんなに離れてる筈も無いから帰れない事は無い。色んな思いが交錯した。
空は相変わらずの青で白い雲がいくつか浮かんでた。
何十分くらい走ったのか、もう分からなくなって来た頃、祐樹が「ちょっと止まって」と言うから自転車を停めた。そして、「あれを見て」と指差した。僕は、その方向に視線を移したが、ピンと来なかった。
「何?」
「この木って見覚えがある。一度通ったよね、此処」
言われてみて記憶を遡った。そして辺りを見回して、そしてまたその木に目をやった。
「あ、あの大木だ」
「やっぱり、そうだよね」
「どうして此処にあるんだろう?」
僕らは自転車を降りてその大木を触ったり、景色を見たりした。
「また戻ってきたのかな?」
僕は大木に寄りかかりながらポツリといった。
「出れないのかな?」
佑樹が肩を並べて大木に寄りかかってきた。
「どうしたら良いんだろう・・・・」
佑樹が大きな声で叫んだ。
「えっ?」
僕が振り返ると、「中に人が居た。誰か居た」と指を指しながら訴えて来た。佑樹の必死な形相がすごく面白かった。僕は吹き出しそうになったが我慢した。必死過ぎて笑うのが悪いと思ったからだ。すると佑樹の自転車からキーッと音がし、それを聞いて僕も自転車を止める。佑樹は自転車を抱えて向きを変えると僕の横に来た。
「ここが何処なのか聞いてみようか?」
「そうだね。そうしようか」
「じゃあさ、行ってきて」
「えっ?」
「いや、えっ?じゃなくて、聞いてきてよ」」
「何言ってるの。二人で行くんだよ」
佑樹は「えー」と言いながら、面倒臭そうな顔をした。僕は片手で背中を押した。本当に嫌そうで背中が重かった。
自転車を「しち屋」の5メートル程手前に置くと、僕らは足音を立てないように歩いた。時折振り返っては「シッ」と人差し指を唇に立てた。
入り口は引き戸だったが、全開のままだった。僕は引き戸の影から左目だけを覗かせた。6畳の部屋の半分くらいの広さの玄関というか、土の地面のところがあった。人影は、そこから50cmほど高い畳みたいなところに座っていた。
陽当たりが悪いのか、室内が薄暗い雰囲気で、人影が男なのは分るが横を向いてる顔がハッキリとは見て取れなかった。もう少し顔を覗かせて中の全体を見ようかとした時、男がこっちを向いた。やばい、気付かれたか。
僕は一度顔を引っ込めて息を飲んだ。佑樹がどうしたのか聞くので、「シッ」と言って黙らせた。
少しして僕は、肝を据えて男に話しかけてみようと思った。ゆっくりと体ごと入り口に立つと、「こんにちは」と挨拶しようとしたが、出た言葉は、「うわっ」だった。男がいつ間にか畳から降りて土間の入り口近くに居たからだ。男はジロリと僕を見てきたが返事をしなかった。僕は男の顔を見た。心臓がバクバクして音を立てている。
「ねえ、どうしたの?」
佑樹が顔を覗かしてきた。そして、「ひっ」と変な声を出したかと思うと、自転車のところまで飛んで逃げていった。そして、顔の前で右手を左右に振り続けながら、口の形で「ムリ」と伝えてきた。僕は男の方に向き直した。そして、また改めて「こんにちは」と挨拶した。心臓はまだバクバクしていたが、気持ちはもうそうでもなかった。男は今度も返事をしなかった。そして、手に何かを取ると、また畳のところに戻って腰掛けた。
僕は、怖いを通り過ぎて不思議な気持ちになってきた。確かに男の顔は不気味だった。だが、一見していくつぐらいの年齢なのか全く想像も出来ない程に歳を取った人間なんて実際に見たこと無かったし、あまりにも色々と有り過ぎて、恐怖心より好奇心のほうが強くなってきたからだ。
「ねえ、おじさん。ここって何処なんですか?僕たち、道に迷ったみたいで」
そう言ってみた。
男は何かを読んでいた。新聞にしては少し分厚いような、雑誌にしては一面が大き過ぎるような、そんな何だか分からないような物に見えた。
「それで?」
「あ、ごめんなさい。それで、元の所に戻ろうとしたんですけど、来た道が消えて無くなって帰れなくなったんです」
男は表情を微かにも変えない。聞こえなかったのかな。
「どうしたら帰れるのか教えて下さい」
今度は少しだけ声を大きくして言った。「そんなに帰りたいのか?」
「帰りたいです、今すぐに」
男は、それでどうしたいのかと聞いてきた。僕は、最初に言ったように、ここが何処か知りたいと伝えた。男は、此処に地名なんて無いと答えたので、「地図があれば見せて欲しいんですが」と言った。
「地図なんかあったってどう使うつもりだ?」
「地図ぐらいは見れるからあるなら見せて貰えますか?」
男はフッと鼻で笑うと、
「地図は無いな。だが、地図があったとしても何にもなりゃあしないさ」
と言って手にしてた物を畳の上にバサッと置いた。
「どういうことですか?」
「何処に行こうとしても何処にも行けないんだよ」
男がゆっくりと腰を上げた。僕は慌てて飛び出すと、「行くよ」と言って祐樹の腕を掴んで引っ張った。
「痛いよ、どうしたの?」
「とにかく行こう」
僕らは自転車に跨った。そして振り返ってみたが、男が追ってくる様子は無かった。
祐樹がボソッと言った。
「来なければ良かった・・・」
僕は聞こえない振りをした。
自転車を漕ぎながら途方に暮れたような気になった。
「どうする?」
今度は僕が佑樹に聞いてみた。
「何て言うか、何か怖いところだよね。最初の麦わら帽子の人もトラックの人も今の人も、みんな怖い感じだったもん」
「そうだね」
「何かもう、何処に行ったらいいのか分からないよ」
佑樹は半ベソになりそうで、への字に曲げた唇を細かく震えさせていた。
僕は、何かを言ってやりたいと思ったが、上手い具合に言葉が思い浮かばなかった。佑樹は、右手で目を何度も擦りだした。
「祐樹、大丈夫?」
それをキッカケに佑樹は本泣きになり、ボロボロと涙を流し始めた。僕も泣きそうになったが、一生懸命に我慢した。
僕はあれからずっと考えていた。何処にも行けないってどういう事なんだろう。僕たちは今、何処へ向かって自転車を漕いでるのだろう。民家はあるが誰も歩いてないし、いったい此処は何処なんだろう。家からそんなに離れてる筈も無いから帰れない事は無い。色んな思いが交錯した。
空は相変わらずの青で白い雲がいくつか浮かんでた。
何十分くらい走ったのか、もう分からなくなって来た頃、祐樹が「ちょっと止まって」と言うから自転車を停めた。そして、「あれを見て」と指差した。僕は、その方向に視線を移したが、ピンと来なかった。
「何?」
「この木って見覚えがある。一度通ったよね、此処」
言われてみて記憶を遡った。そして辺りを見回して、そしてまたその木に目をやった。
「あ、あの大木だ」
「やっぱり、そうだよね」
「どうして此処にあるんだろう?」
僕らは自転車を降りてその大木を触ったり、景色を見たりした。
「また戻ってきたのかな?」
僕は大木に寄りかかりながらポツリといった。
「出れないのかな?」
佑樹が肩を並べて大木に寄りかかってきた。
「どうしたら良いんだろう・・・・」



