──玄関先にある仏間。
廊下奥の小窓から吹き込む隙間風に乗って
時折こうして、線香が香ってくることがある。
「──母さん、来てんのかな」
「ほんとにやめて」
「ごめんごめん」
母が死んで十数年。
古臭い香りに感じるのは
今はもう遠い、母の幻影。
「まあ仮にマジで来てても問題ないだろ。見守ってくれてんだって」
「…そうかもだけど」
「いちばん怖いのはこれが母さんじゃない場合だな」
「…ねえ」
「…」
「…嫌いになるよ」
「…」
「ほんとに」
「…すまん」
──当時、小学生だった俺と
まだ保育園に通っていた綺世と。
正直母との記憶は俺にもあまりないのだけれど。
綺世などはおそらく、ほとんどない。
唯一覚えているらしい母の姿は
火葬直前の棺の中、目を瞑った青白い顔で
不思議と涙は出なくて
なんだか人形みたいで綺麗だった、といつか話してくれたのをなんとなく覚えている。
違いない。母は美人だったのだけれど。
時々考えるのだ。
生前の母親が脳裏にさえ過ぎらぬということが、これまでどれほど綺世を苦しめただろうと。
母は明るい人だった。
その明るさを継いだのは俺じゃない。綺世だ。
綺世は、母に似ている。
ぼんやりと思う。
それは多分ひどく幸せな夢で。
母が生きていて。
俺たちは不良なんてやっていなくて。
父が、力ある顔で笑っている。
「…」
けれど
その夢が、夢でしか有り得ないということもまた自明の事実。
分かっている。
しかしこうしてふと近くに母の存在を感じるとき
在るはずのない幸せな夢を、どうしても脳に描いてしまうのだ。
「…」
忘れない。
忘れてないよ。母さん。
心の中で呟いた。
「サヨちん。ちょっとママに似てるんだと思う」
「どうなんだそれは」
「いいこと!大好きな人が大好きな人に似てる、素晴らしい」
「…うん、わかったそれでいいよ」
“友達”。
俺はお前が笑ってるなら、多分かなり良い。
