「探してたんだ。今帰り?」
「あ、うん……」
「そっか」
ニコニコと私を見下ろすロンさん。
なんの感情も読み取ることが出来ない笑顔。
(…びっくり、した)
病的に白いその肌を、少しだけ悍ましく感じるのは気のせいなのだろうか。
「…なんだお前」
「…」
「…邪魔してんじゃねえぞ…」
「…邪魔?」
「見りゃ分かんだろ、いいとこだろうが…」
男の方へ振り向いたロンさんは
なんとなくだけれど、変わらずニコニコしていたのだと思った。
下がらない口角。
形の良いそれに嘲り笑われていること。
男が黙って良しとするはずがない。
「…いいとこって、この子、泣いてるけど」
「…それが?」
「やめなよ。みっともない」
「…あ?」
実に柔い物腰。
余裕そうではあったのだけれど、少しだけ不安になった。
よくよく考えてみれば、彼等の喧嘩の強さだとかいうもの、私には皆目見当もつかないのだから。
(大丈夫なのかな…)
なんて。
考えるだけ無駄だったことを
ものの数分で思い知ることとなる。
「…コイツが悪いんだよ…人のことナメやがって…」
「…」
「なんにも出来ねえくせに、キャンキャン吠えるのだけは得意みたいだからよ、」
「…」
「死ぬまで啼かせてやんだよ…」
肩が揺れる。
自然なことだ。
明確に自分へと向けられた殺意に、全身が震えた。
「…」
ロンさんはその言葉に何も返さず、男から外した視線を、今度は私へと合わせる。
「…、」
「…と、供述しておりますが」
「…」
「異論は?」
冷たい声と目。
言わなくてはと、言葉を急いた。
私までこの人に殺されかねないと
本気でそう思った。
「…私、ナンパ、断っただけです」
「了解」
はじめは分からなかったけれど。
この時ロンさんは怒っていた。
「っおいクソ、てめえ」
本当に、すごく。
すごく
「…」
「いい加減にしろよ…誰がお前なんかナンパすんだよ…」
「…」
「ふざけんじゃねえっつってんだよ…!」
「…ね、」
怒っていた。
──ふざけてるのは、本当にこの子?
「っ、」
ゆっくりと男に歩み寄り、口元のチェーンに手をかけるロンさん。
纏う空気が
放つ言葉が
これまで感じた何よりも、重い。
「…」
「っ、はなせ」
「…馬鹿は嫌いなんだよ」
閑静な住宅街の一角。
ロンさんの拳が男の腹へとめり込む。
「っ、が、あ」
男はその場に小さく蹲り、尋常じゃない量の吐瀉物を吐き出した。
「…」
おそらくもう立ち上がれない。
音だけで、この場のすべてが沈んだのが分かった。
「あ、がっ」
途端、男のチェーンピアスを握ったままのロンさんが、その手に力を篭める。
「いっ、いだ、」
チェーンに引きずられるように、強引に上を向かされた男の顔に、既に覇気はなく。
怒りでかなり熱されていたはずの私の心も、知らぬ間にすっかり落ち着いて
助かった、と私は思う。
「…」
ロンさんが男の上着から小袋を取り出した。
粉状の白いナニカが、少しだけ入った小さな袋。
焦ったように男が顔を歪める。
(…ああ、そうか)
助かったのは私だけ。
その時、認識を改めた。
「これ、いくらぐらい?」
「や、っやめてくれ、」
「アンタが捌く予定?それとも私物?」
「…今週中に、捌かないと、殺される」
「ふうん」
「頼む…やめてくれ…」
男の声が涙ぐむ。
懇願という他ないその言葉に、ロンさんはやはり大きく口角を上げると
「お前が死ぬね」
実ににこやかに、粉を男の口へ流し込んだ。
「あっ、が、っや、」
口を閉じまいと、必死の抵抗も虚しく。
男が“捌かないと殺される”らしい白い粉は、その体内へと吸い込まれて行った。
「あ、ああ、……あ…」
最早声にもならぬ声が上がる。
「さて」
「…、」
「どうせろくに、痛みも感じないんだろ」
次の瞬間。
私は生まれて初めて
人間の肉が千切られる音を聞いた。
「ああ、っあああ!」
「あははは」
鋭く光る眼光は誰もを惹き付け
同時に、たくさんの人を遠ざける。
目の前で人間を痛め付けるロンさんが
私にとっては前者に当たった。
長い間憧れ続けた世界の先頭を走るその人は
息を飲むほど、綺麗な人。
