「…まだ、」
脳裏に焼き付いて離れない。
あの日の、彼の優しい笑顔。
言えばよかった。
「…まだ、走れるのに、っ」
走りたい、と。
言えばよかった。
「…ぶつくさ言ってねえで早く死ねよ…」
「…っ」
「まずはごめんなさい、だろ、なあ」
私の前髪を荒く掴み上げる手が
そのまま、私をアスファルトの塀へと連れ戻す。
「っ、あ」
呼吸が止まった。
「…クソがよ」
「…、」
「………おい」
「ごめ、なさ」
「調子乗ってんじゃねえぞ…」
(こんなの、謝っても意味ないじゃん)
恐怖のあまり声が出ないの。本当だった。
もう一度、アスファルトに向かって振り上げられた背中は、何故か痛くなくて
瞬間的に、全身の力がスっと抜けた。
ふわりと香ってきたシトラスに
全身が、心地よく反応した。
「──やっと見つけた。サヨちゃん」
低く
甘い
艶やかな声。
仄かに聞き覚えのあるそれが、私の耳へ滑らかに滑り込む。
背中に痛みが来なかったのは
「……ロン、さん」
彼が
私を抱きとめていたから。
