II

「お母さんが、入らないでって言ったの。だから私は、部活に入りたくない」
心は、一軍達に向けてそう言い放った。
仮入部期間から、一週間くらいの時が経過した。一年生は全ての部活を見学・体験して、どの部活に入るかを決める頃。
心は、「部活に入らない」と、教室のど真ん中で言ったのである。
部活に入らないだけなら、まだいい。だれにも迷惑はかからないし、むしろ芽流みたいな感じで学業に専念する人もいるから。
ただ、問題は「お母さん」についての発言だった。
「……」
一軍達は、ピシッと石のように固まり、黙ってしまう。
そりゃあそうだ、まさか「可愛くて優しくて明るい心」が、マザコンだったなんて。
誰もが衝撃を受けるはずだ、俺も初めて聞いた時はビックリしたし。
「あはっ、心やっさしー!きっと、なんか事情あったんだよねー」
「入りたくても入れないなんて、辛すぎー!ね、今日カラオケ行こ!」
女子達は都合良く受け取って、自然と話題を逸らす。これ以上、理想の心というものを壊したくなかったのだろう。
芽流は、少し歪んだ顔をしているように見えた。何か、汚い物を見るような目。
最近、芽流はこういう目をすることが増えた。
何故かはわからない。でも一つだけ分かったことは、「芽流が心を嫌悪している」ということだった。
たまに、俺が心に話しかけに行く時があった。「部活の件、どう?」と。
いつも、「まだわかんない、説得中。入りたいなぁ」としか言われないけど、俺は心との会話に少しの楽しさを感じていた。
それは勿論、友人としての「好き」。俺には芽流がいるんだから、浮気なんて絶対にしない。
心と会話している時、ふと後ろを見る時がある。芽流はどうしているのかなぁ、アオと話してるのかな、って見たくなるから。
後ろを向くと、いつも、一瞬。ほんの一瞬だけど、顔をしかめてこちらを見ている芽流が見えた。
きっと、嫉妬だろう。「可愛いなぁ」と最初は流していた。
それがヒートアップしていったのは、いつ頃だったかなんて、もう思い出せない。
「部活、入んないの?」
今日は部がない日。テストがなんちゃらかんちゃらとか言って、休みらしい。
「浮気だと疑われるかもしれないから来て」と誘い、アオと一緒に心に質問をする。
「…ごめん、お母さんが入らないでって言ったからさ」
心は困ったように笑って、帰りの準備を進める。
アオがいても立ってもいられなくなったのか、恐る恐るという感じで口を開いた。
「…私、心ちゃんのサーブ見てたんだけどさ。凄い上手だったよ?もし何かめちゃくちゃ重い事情とかあって入れないなら仕方ないけど、もう一回お母さん説得してみてくれない…?」
そういえば、アオと心は話すの初めてだっけ。俺と芽流としか基本的に一緒にいないから、話す機会などなかったはずだ。
「…私、本当は、みんなと一緒にテニスやりたい。でも…」
心は深刻な顔をして黙り込み、その場に沈黙が流れる。でも、入りたいのは本当なんだ、と、少し嬉しくなる。
「もうちょっと、説得、してみる。無理だったら…ごめんね」
心は苦しそうに笑って、「ごめんね」と言った。心が謝る必要ないのに、と言おうとしても、出てこなかった。
「ううん、全然大丈夫だよ!何かあったら話してね!」
アオはお得意のニコニコ笑顔を貼り付けて、心に向かってそう言う。素ではもっと毒舌で俺に対して笑顔見せないくせに、と少し苛立ちを覚える。
でも、いつもアオが見せる、「社交用の貼り付けた笑顔」とは、なんとなく違う気がした。
きっと、気のせいだろう。でも、俺には「芽流に笑いかけるようないつものアオ」に見えたから。
いや、芽流に見せる笑顔とも、また違う気がしてくる。やっぱり勘違いなのかなぁ、と考える。
「お母さん、説得できたらいいね」
俺はアオの不思議な笑顔とは対照的に、素の自分として、心に笑いかけた。
「応援してるよ、心と一緒にテニスやりたいな」という意味を込めて。伝われ、と願ってみたり。
「…ありがとう、頑張ってみる」
心もにっこりと笑みを浮かべて、そう言った。
それが素の笑顔だったらなぁ、って思った。
「あ、じゃあ、これで…」
「るい、アオ。早く帰ろう?」
「…ぁ、芽流…」
俺の隣には、いつの間にか芽流がいた。俺の腕を組んで、心を睨みつけるかのように。
「…どうも」
芽流は心にそれだけ言って、「ほら、帰ろう?」と、俺の腕を引いた。
…嫉妬?嫉妬だとしても、相手を睨みつけることないじゃん。芽流には、そんなことしないで欲しいんだけどな。
いや、それってただの我儘?ただの理想を押し付けすぎ?
アオは「…あ、じゃあ、また明日ね!」と笑顔で心に挨拶をして、そのまま俺たちは教室を出た。
「…芽流、どうしたの?ただの部活の話だよ?」
芽流に腕を引かれるがまま、ズンズンと廊下を歩いていく。部活がないからか、いつもより空は明るかった。
「別に、知ってるけど」
そっけない返事をされて、少なからずショックを受ける。アオは、「なになに、嫉妬?可愛いな〜」と茶化しているし。
「…嫉妬、」
芽流がボソッと呟くように言う。そして、「嫉妬って、何?」と俺たちに聞いてきた。
「ふふふ、嫉妬っていうのはね、心ちゃんにしてるんだよ!『私の彼氏だから、あんまりるいと仲良くしないで!』ってこと。そりゃまあ、彼女だから嫉妬するよね〜可愛いなぁ〜」
アオがニヤニヤしながら、芽流の問いに早口で答える。別に、俺は心ちゃんに恋愛感情持ったことないんだけど。彼女持ちだし。
やっぱり、誤解されちゃうものなのかな、極力話さないようにしたほうがいいか?
でも、それって普通に人間としておかしいよな。失礼だと思うし、ちゃんと会話した方がいいよな?
そう考えていると、芽流が「…嫉妬、か…」と、また呟くように言う。
「ふふっ、青春!恋愛っていいよねぇ、甘酸っぱ〜い」
アオが近所のおばちゃんみたいなことを言う中、芽流は「半分合ってるけど、なんか違うかも…」と言った。
「まあ、そのなんかは分かんないけど。彼女に嫉妬させちゃったんだから、次からるいが気をつけよーって話でしょ」
「え、俺?何を気をつければいいの?」
確かに、そうかもしれないけど。具体的にどんなことをすればいいのか、よくわからない。
話さないっていうのは、流石に違うと思う。人として、最低な奴にはなりたくないから。
「そりゃあ、他の女子と極力話さないようにする、とか?彼女に尽くして願いを叶えるのは、当然でしょ?」
アオが当たり前のようにそう言った。
マジかよ、と頭を抱えたくなった。何それ、彼女に尽くすのって当然なのか?
もしかして、女子ってみんなそういう考え方なのか?否、それはアオだけだと思いたい。
「…でも」
「あっ、心ちゃんの部活に関しての話は、私がすればいいんじゃない?芽流もるいも二人きりだし、嫉妬する必要もないじゃん!私も心ちゃんと話したいって思ってたんだよね、一石二鳥じゃん!」
俺の声を遮るように、アオがペラペラと喋る。まるでそれが「一番良い案」とでも言うように、「いいよね、芽流?」と問いかけた。
芽流はコクンと小さく頷いて、「いいと思う」と、またポツリと呟くように言った。
「るいも、いいでしょ?」
「…うん、わかった」
まあ、心に恋愛感情とか持ってないし。
それを証明する機会には、丁度いいんじゃないかなって思うことにした。
「じゃあ、もし心ちゃんが部活に入ったとしたら、関わりはあると思うけどさ。それはしょうがないでしょ」
心が部活に入ったら、また話せるみたいだし。まあいっか、くらいに受け流す。
芽流って、こんなに嫉妬深かったけ。
そんな疑問を頭に残しながら、三人で家へと向かう。