「はい、じゃあ、一年もサーブ練やってー!」
部長のそんな掛け声で、一年生のサーブ体験が始まった。
気が重い、やりたくない。
だって、顧問の要望で二年生だけが教えることになったんだから。
三年生は今年引退するから、二年生が引っ張っていけとか、なんとか。
面倒臭い、俺がやりたかった部活は、こんなんじゃなかったはずなのに。
流石にそれは我儘すぎだな、と考え直して苦笑いを溢す。
さっきまで心ちゃんとは、何気ない日常会話みたいなのをしていた。
趣味とか、好きな食べ物とか。案外話が弾んだものだから、もしかしたらいい友達になれるかも、と考えていたところ。
心ちゃんの趣味は、「人間について考えること」。
お母さんがロボット開発エンジニアだそうで、その手伝いをしている内に趣味になっていたという。
『感情を持たないロボットとは正反対に、人間はいつだって感情と付き合いながら生きているでしょ? じゃあ、なんで人間は感情を持つことができるのか。いつも、そればっかり考えてる』
『…それを知って、何になるの?何か、他のロボットでも開発するの?』
よく分からない、難しい話だった。人間が感情を持つことに、そもそも疑問なんて抱いたことなかったから。
『その謎が解けたら、感情を持てるロボットを造るつもり。身体の構造も、人間と同じにする。血液が流れて、心臓も、胃も、肺もあって。ついでに、AI搭載の…。人間の分身、ドッペルゲンガーみたいな』
そう語る心ちゃんは、とても楽しそうだった。ロボットが本当に好きで、それについて考えることがよほど楽しいんだろうな、と感じる。
『私の夢は、AIとか、ロボットを完全に理解すること。全部理解したら、感情を持たせて、人間のドッペルゲンガーを造るの。るいくんも、楽しそうだと思わない?』
心ちゃんは、笑顔で俺にそう投げかけた。正直、俺にはその「ロボット」について、理解できなかった。
人間のドッペルゲンガーを造って、何をしたいのか。それを聞きたかった。
『その、ロボットを造ったら…』
『はい、じゃあ、一年もサーブ練やってー!』
タイミングが悪すぎる。そんな部長の声のせいで、俺は質問できなかったのである。
「…心ちゃん、サーブ練やろ」
なんとなく誘うのは気が引けたけど、流石に一年生と関わるのは面倒くさかったから、心ちゃんとサーブ練をやることにした。
「うん、心でいいよ。一年生とやらなくていいの?」
小首を傾げてそう聞いてくる。少なからず胸の高鳴りを覚えたけど、「否、俺には芽流がいるだろバカ」と心の中で罵倒して、返答する。
「…いやぁ、一年苦手だからさ。同級生は苦手意識ないし…心ならいいかなぁって…」
うわぁ、やばい。芽流とかアオとか以外の女子、名前呼び&呼び捨てにしつあった。
え、なんか罪悪感残るんですけど。今からでもちゃん付けにしようかな。
「うん、心の方が気楽でいい感じ。一年生苦手な人いるよね」
まあ、本人がいい感じって言ってくれてるし。躊躇いはあるものの、俺は心呼びを継続することにする。
「…じゃあ、やろっか。ラケットの持ち方は…」
テニスの基礎を順調に教えていく。飲み込みが早いから、めちゃくちゃ助かる。
「そう、そんな感じ。じゃあ俺が一回手本見せるわ」
サーブ。
ボールに回転をかけることを意識して、素早く打つ。
顧問から教わったことを忘れずに、しっかりと決めるようにしないと。
一応、入ってくるかもしれない一年生もいるんだし。ここは見せ場だ。
ゆっくり歩いて、コートへと向かう。少しの緊張はあるけれど、入部したての頃よりはマシになった気がする。
「…じゃあ、いくよ?」
俺がそう言うと、心はこくんと頷いた。
パンッ、と気持ちいい音がした。
反響して、コート全体に大きく響く。
「…どう?こんな感じでやってみてよ」
まあ正直、初心者には絶対無理だ、出来そうにない。
もしこれを一発で出来たのなら、天才としか言いようがないだろう。俺にはない才能だ。
「…わかった」
コートを出て、心にラケットを渡す。渡し忘れそうだった、ボールも。
心は俺と入れ替わるようにコートに入って、その場で立ち止まる。
しばらく経っても、心は動こうとしなかった。
何してるんだろう、精神統一?初心者がやったって、意味ない気がするけど。
精神統一したって、その途端に上手くなるわけじゃない。あくまで集中する為のものであって、決して初心者が使うものではないんだけどな。
まあ、集中するための方法か。俺はそう捉えて、静かに見守ることにする。
「…やるね」
「うん」
そう言葉を交わした後、心は前を向いた。
ボールを手に持って、上に投げる。
その瞬間、全てがスローモーションに見えた。
スパーンッ
そんな効果音が付きそう、否、もうついている。
心は、俺以上に上手いサーブを、見事に決めたのだ。
…悔しい。なんで、経験者じゃないとあんなサーブは出来ないはずなのに。
悔しさと同時に、純粋に「凄い」とも思えてくる。
ああ、きっと才能だ。天才だから、こんなことが出来るんだ。
いいなぁ、俺にも才能が欲しいなぁ。あの子みたいに、もっと上手くなりたいなぁ。
気がついたら、勝手に足が動いていた。
その足はどんどん、サーブを打ってから立ち尽くしている心の方へと向かっていく。
「…心っ!!凄い、凄いよ...!テニス部、入らない?」
興奮が抑えきれずに、そう話しかける。
凄い、凄い、凄い。もしかしたら心となら、全国優勝を目指せるかもしれない。
逆に、俺が心に教えてもらいたいくらいだ。どうしたらそんなに綺麗なサーブができるのかを。
心と一緒にペアを組みたい、二人で全国を目指したい。
「…えっ、でも…」
「心となら、絶対いいプレーできると思う!俺、心と一緒にテニスしたい!」
自分の感情のままに、心を「男女合同テニス部」に誘った。
「…嬉しいし、やりたい、けど…」
心はそう言った。
でもその言葉を口にした瞬間、ハッとしたように口元を抑えた。
「…心?」
「…ううん、何でもない。入部したいけど、まだ仮入部期間だから、他の部活も行かなきゃ。それに…お母さんから許可貰えるか、わかんないし」
『親がオススメした部活なら、入ろうかなぁって』
『お母さんが許してくれそうな部活…探してる』
脳内で、ついさっきの記憶…音声が再生される。
…そうだ、この人はマザコンだった。いや、マザコンではないんだろうけども。
親への愛が強いんだろうな、と解釈することにする。お母さんはロボットエンジニアらしいし、忙しいから部活とか大変なんだろうな、と。
それより、心とテニスがやりたいし。
「…わかった、待ってる。許可貰えたら、言ってね!」
俺はにっこりと笑顔を向けた。単純に、心とプレーをするのが待ち遠しかった。
さっき「やりたい」と言ってくれたし、きっと時間が経てば入部してくれるだろう。
お母さんを説得させられるような言葉は、きっと心が思いつくはずだ。なんて、投げやりな思考回路になってしまう。
「…わかった、るいくん。お母さんに言ってみるね」
「あ、俺の呼び方、るいでいいから。よろしくね!」
これで、仮入部は終わった。