俺たちは、もう二年生。
まだ先輩に頼れる立場でありながらも、引退試合を終えたら、俺たちが部活のトップになってしまう。
つまり、今からでも後輩を引っ張っていかなきゃならない。そんな大事な時期。
そんな大事な時期、五月。俺たちは仮入部期間を迎えた。
芽流は、「帰宅部」という部活に一応入っているけど、活動はしないから仮入部はない。
名前だけの、活動なしの部活。俺はそんな芽流を、少し羨ましく思っていたところ。
「あぁ〜…仮入部期間〜…きっつぅ…」
そろそろ部活に行かなきゃダメな時間。俺は芽流に助けを求めるように、教室で嘆いていた。
「るい、早く行かないとマジでやばいよ?嫌なのわかるけどちゃんとしてよ…」
アオが呆れたようにため息をつく。俺を軽蔑するような目で見てくるものだから、負けじとギロっと睨んでみる。
そうすると何故か笑われて、しまいには芽流にため息をつかれて「早く行きなよ」と言われてしまった。
教室を半ば強制的に出ていき、ジャージに着替えて廊下に出る。
すぐそこにアオが立っていて、「早く行くよ」と言わんばかりの顔をしていた。
「あぁ〜、マジだるい…。俺年下苦手なんだよ」
「大丈夫だって、るいコミュ力あるし。そんな心配しなくていいよ」
「年下はマジで無理…」
男女合同テニス部の入部者は毎年多い。
仮入部でめちゃくちゃ年下が来るってだけでも無理なのに、そこに部活の後輩になるやつがいるなんて、本当にしんどすぎる。
大体、年下は生意気だから苦手なのだ。
なんというか、そういう態度に自然と拒否反応が出てしまう。
何故かはわからない。原因不明、だけど年下は本当に無理。
俺に弟とか妹とかがいたら、もうちょっとこの考え方も良くなってたんだろうなぁ、なんて。
「はぁー…。まあ、なんかピンチだったら私が助けるから。いつも通りやっといてよ」
「アオ...!マジで神!ありがとう!!」
「調子乗んなって…。正式に後輩入ってきたらどうなっても知らないから」
「アオ、見捨てるなよ…」
「しーらね、勝手に困ってろ」
毒舌なアオと雑談をしながら、テニスコートへと向かう。
今日はいつもよりどっと気が重い。仮入部なんてなければいいのに。

「こんにちはー!」
アオは笑顔で、元気に声を張り上げる。途端に女子の先輩たちがクルッと振り返り、「アオちゃん、こっちこっち〜!」と手招きされていた。
アオは女子に人気。ボーイッシュだけど、人懐っこくて、犬みたいだ。
けど「女子」枠にも限らず、アオを恋愛対象として見ている人は思いのほか多い。
チラチラと先輩と話しているアオを見ている先輩もいる。ああ、この人はアオが好きなんだなぁって、見ただけでわかる。
「るい〜、今日仮入部だろ?ダルすぎだよな!」
同級生に肩をポンっと叩かれ、そう言われる。
あれ、こいつの名前はなんだっけ。というか、友達だっけ。喋ったことあるっけ?
「わかるわ〜、俺年下苦手だもん。お前も頑張れよな」
無難の「お前」でやり過ごす。最近、名前を思い出せなくなったことが増えた気がする。
同級生は「おう、準備しようぜ〜」と俺の腕を引いて、何やら親しげに話し始めた。
「それでな〜、心ちゃんが可愛くって仕方なくて…あ、今田さんな?転校生の」
「今田さん?」
ああ、そういえばそんなこともあったな。この前、今田心という人がこの学校に転校してきたのを思い出す。
ぼんやりとした記憶。思い出せたのは、転校生が美人だったということと、芽流が少し怖い顔をしていたことくらいだった。
「いやー、マジで可愛いわ。恋というより、推し?に近い」
どうやら、同級生は今田さんを「推し」ているらしい。正直よくわからないけど、人柄がいいから好きなのかなぁと解釈することにした。
「ふーん、つまり今田さんのこと好きなわけ?」
「いや、違うって、推し。るいも可愛いって思わないの?」
「いや、俺彼女持ちだよ?美人だとは思うけどさ、浮気じゃん」
「うわぁ、リア充うぜーw橘さんだよな、美人だもんな。羨ましいわー」
「さっそく今田さんから芽流に乗り換え?お前が一番の浮気者じゃん…」
「ちげーってw」
軽く雑談を交わしていたら、部長が「そろそろ始めるよ、集まって!」と言っているのが聞こえてきた。
俺と同級生は「仮入部だるー」と同時にぼやきながら、小走りでいつもの集合場所へと向かう。
今、芽流は何してるのかな?きっと、受験に向けての勉強だろうな。
偉いなぁ、毎日やってるんだもんなぁ。俺も好きでテニスやってるけど、流石にやる気出ない日とかもあるし。
高校違うのかぁ、嫌だなぁ。芽流がいないとやる気出ないし。
アオもどこ行くかわかんないしなぁ。俺高校どうしようかな。
話も聞かずにボーッと考え事をしていると、いつの間にか部長の手の叩く音が聞こえてきた。
「はい、じゃあ今日はこのメニューでいくよ!仮入部そろそろ始めるけど、いつも通りでいいから!」
「いつも通りでいい」。その言葉に、酷く安心した自分がいた。
「一年生は、三年生みんなでまとめるから。二年はみんな気にせずプレーしてて!」
よかった、一年生と関わる機会はなさそうだ。
ふとアオを見ると、少し唇を尖らせて不満そうな顔をしていた。
まあ、年下好きのアオだし、残念がるのも無理はない。俺は心の中で「お疲れ」と告げ、部長の話に耳を傾ける。
「…それで、今日は転校生してきた二年生も、仮入部に来るらしいの」
「…え?」
その途端、二年のみんながザワザワと騒ぎ出す。まさか、転校生って今田さんのことだろうか。
「えっ、心ちゃん来るの?マジで嬉しい」
さっきの同級生が話しかけてきたから、俺は「そうだな」と適当に返事をする。
部長が「静かに!」と声を張り上げると、シン、と一気に静かになるものだから、流石に驚く。
「確か、名前は…今田さんだっけ?顧問が言ってたから、よろしく」
最後の方は適当っぽくなってしまった部長。さっきの騒めきにイライラしているのかしていないのか、よくわからない表情をしている。
「はい、じゃあ練習開始!とりあえず準備運動した後、筋トレするよ!」
部長が手をパンッと叩き、みんな各自で準備体操を始めた。
俺もそれに合わせて、さっきの今田ファンの同級生と体操を始めた。
「いやぁ、心ちゃん来るのは神だわー、あの顧問やるじゃん」
何やら同級生は、気持ち悪い笑みを浮かべている。うわぁ、厄介オタクみたい、引くわぁ、と内心で毒付く。
俺は別に、今田さんに興味があるわけじゃないし。
仮入部だから、入部するかもわからない段階だし。
みんな、何をそんなに盛り上がっているんだろう、と不思議に思っていた俺がバカだった。

「おっ、来た」
いつも以上にキツい筋トレが終わった直後。
仮入部をする一年生が入ってきて、げんなりする。
いや、せめて筋トレは見せようよ。いつもよりキツくした意味ないじゃん。
つい先程遅れてやってきた顧問を静かに睨んで、ため息をつく。
ああ、面倒臭い。どうして俺が一年と関わらなきゃいけないんだろう。
ゾロゾロと一年生がコートに入ってきて、さらに気落ちする。
その中に一際輝いた顔があるものだから、俺は目をパチパチと瞬きさせた。
美しい、誰だ、あれは。彼女持ちの俺でも見惚れてしまう可愛らしさだ。
…ああ、今田さんか。いつも髪を下ろしているけど、運動するからかポニーテールにしているらしい。
だから見慣れていてもわからなかったのか、と一人で納得していると、隣で同級生が「やばぁ、ポニーテール可愛い〜…」と呟いていた。
限界オタクかよ、と心の中で突っ込む。いや、そんなことどうでもいいんだけど。
ミニ試合が始まり、俺が同級生の応援をしている時。
相変わらずアオは年下好きなようで、すぐ一年生に話しかけていた。
会話を聞いてみようと耳を澄ませていると、「アオ先輩カッコい〜、私テニス部入りたい!」なんて声が聞こえてきた。
流石、もう一年生を勧誘しているのか、と感心する。俺や芽流とつるんでいても、コミュ力は相変わらず健在のようだった。
「えっ、マジ?おいでおいで!…あっ、そうだ、アイツとも仲良くしてあげて?そうそう、あそこで黄昏てるヤツ。…あははっ、うん、一応私の友達。るいっていうんだけどコミュ力全然ないからさぁ、絡んであげてよ」
アオの話に耳を傾けていると、突然「るい」と自分の名前を呼ばれて、眉間にシワを寄せる。
続きを聞いていると、「絡んであげて」なんていうもんだから、思わずアオを睨んでしまう。
なんだそれ、まるで俺が陰キャみたいな扱いじゃないか。てか巻き込むなよ。そんな意味を込めて。
アオはクスクスと笑ってきて、口パクで「ごめん」と伝えてきた。
いや、絶対思ってねえじゃんと苛立ちながら、アオとは目を合わせないようにしようと試みる。
バッと効果音が付きそうなくらい思いっきり反対側を向くと、ある人と目が合ってしまった。
「…あ、ども」
今田さん。目が合ってしまったから、とりあえず無難な挨拶をする。
「…るいくん、だっけ」
いきなり下の名前で呼ぶものだから、ビックリしてしまう。え、この子距離の詰め方やばくない?と。
「話したことなかったから、嬉しい。その、すっごいカッコいいね」
「…は、ぇ?」
どうやら彼女は、話を続けるつもりらしい。へえー、コミュ力高いんだ、凄いなぁと感心する。
いや、そうじゃなくて。頭の中が混乱しすぎて情報を整理できない。
え、やばい、めっちゃパニック。え、なに、この人。
初対面の人に、いきなり「カッコいい」って言った??え、なんなの、え?
「…あっ、いや、ごめん!すぐ思ったこと言っちゃうからさ…嫌だったよね…」
すぐ思ったこと言っちゃうからって、初対面でカッコいいなんてどう考えてもおかしいと思うけど。
「…あ、いや、いいんだけど…俺彼女いるから、そういうのは…」
恐る恐る、という感じで、まだ混乱している頭を落ち着かせながら、そう告げる。
そう、俺は彼女持ち。他の女の子にドキドキするなんてまずありえないし、そもそもダメ。
そういうのには周りからも気を遣ってほしいものだ。
「あっ、そっか!るいくんの彼女、芽流ちゃんだよね、可愛いよね。どんなところに惹かれたの?」
距離を少し詰めて、隣に座った彼女。いや、この子にデリカシーとかないのかよ。
俺も反撃として、「心ちゃん」と呼んでみることにした。
「まあ、可愛いところとか、優しいとことか。心ちゃんはなんで仮入部に来たの?」
この話題を少し変えたくて、単純に思っていた疑問を口にする。
「…わかんない」
心ちゃんは、ぽつり、と呟くようにそう言った。
「私が今、なんでここにいるかもわからない。ここに入りたいわけでもないし、やりたいわけでもないんだ。」
ぽつり、ぽつり。心ちゃんは、俺には到底理解できないようなことを、言っていく。
「でも、私の…親がオススメした部活なら、入ろうかなぁって。」
「お母さんが許してくれそうな部活…探してる途中」
「…へぇ」
マザコンかよ、と思った。
俺には、よくわからなかったから。