II
ピコン
LINEの通知音。俺が頭を悩ませる数学の問題を頑張って解いていた時に、静かに鳴ったスマホ。
返信するの面倒くさいな、と思いながらも、早くこの勉強から抜け出したいという気持ちが勝ち、ベッドに放り投げてあるスマホを開く。
ホーム画面に表示されているのは、「めぐる」の文字。内容は、「めぐるがスタンプを送信しました」と書いてあるから、何を送られたのかは分からない。
画面をスワイプして、パスワードを慣れた手付きで解除して、LINEを開く。「めぐる」をタップし、トーク画面を開く。
『ねえ、休み時間さ、今田さんと何話してたの?変なこと吹き込まれてない?』
『私、ただ心配なだけなの。るいのこと疑ってるとかそういうんじゃないから』
その下に、うさぎが目を潤ませて「だいじょうぶ?」と可愛いフォントで書いてあるスタンプがある。
あ、どうしよう。ここで嘘ついたら、ダメだよな。
でも、「悩みある?」なんて聞かれたこと言ったら、芽流が余計に心のこと嫌いになっちゃうんじゃないのか?
それに、最悪もっと俺に依存しちゃうんじゃ――。正直、それだけは絶対に避けたいんだけど。
グルグルと思考を巡らせても、中々良い言い訳が見つからない。そもそも、嘘なんかつきたくないのに。
トーク画面を開いたまま返信を考えていると、芽流から追加のLINEがやって来た。
『大丈夫?なんかあった?』
『もしかして既読スルー?笑それは流石に酷いよー』
あ、どうしよう、返信しなきゃ。芽流に心配、されてるから。
『え、どうしたの?既読スルーやめてよ』
『え、流石に心配なんだけど…体調悪いとか?』
『返信考え中?』
『考える必要ないよね?どうしたの?』
――『まさか、今田が乗り込んできたとかないよね』
違う、違う、違う。心がそんなことするはずないでしょ。
どうしてそんな勝手に妄想を膨らませるの?どうして心をそんなに下げようとするの?
俺はただ、返信を考えていただけなのに。心のこと、どうして悪く言うの?
芽流、心のこと今田って呼んでる。いつもさん付けなのに、どうしてだろうなぁと、頭ではどうでも良い情報が追加されてしまう。
―『このスマッシュってどうやるか分かる?』
あ、そうだ、テニスのコツを教えてたって言えば良いんだ。心も最初そう聞いてきたんだから、疑うことはないでしょ。
必死に、打ち込む。早く、早く、早く。早く返信しないと、また芽流が怒っちゃう。
『テニスのこと教えてただけだよ、心が家に乗り込んできたわけないでしょ、安心して笑』
送信マークを押した。わざと明るく振る舞った文に、吐き気すら覚えてしまう。
すぐに、既読がつく。
嫌になって、スマホの画面を閉じた。
「…はぁっ、はぁ…」
そこで初めて、自分の息が荒くなっていることに気がついた。
「…はあぁっー…」
盛大なため息をつく。こんなに深いため息が出たのは、今日が初めてなのかもしれない。
LINEをしていて、息が荒くなる。普通に考えて、これはおかしいのではないか。
芽流からLINEが来て、心のことを悪く言われた。返信して画面を閉じたら、息が荒くなっていた。
どうして?何かのストレス?そもそも、運動していないのに息が荒くなるって、どう言う原理?
さっきみたいに、グルグルと思考を巡らせる。
「…疲れた」
もう、疲れた。何も、考えたくなかった。
誰かと言葉を交わしたくない。考えて、返信したくない。面倒くさい、もう、全部――。
ピコン。
また、スマホが鳴った。
『嘘だ』
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。
嘘じゃない、嘘じゃない。そう心の中で言い訳をしている自分が、嘘をついている。
いや、きっと見間違いだろう。芽流が嘘だって、気づくわけない。
スワイプして、パスワードを打って、またLINEを開いて。さっきと同じことをしている気がする。
怖くて、目を閉じながら画面をタップする。またさっきと同じトーク画面が開かれた。
『嘘だ』
見間違いじゃ、なかった。
なんで、なんでなんでなんで?なんで嘘ってバレたの?
バクバクと、脈が激しくなっていく音が聞こえる。
もし、これで話していた内容がバレていたら?いや、「悩みある?」と聞かれただけで、何も問題はないはず。
でも、芽流は心のことが嫌いだ。明日、問い詰めてしまうかもしれない。
嘘、バレた。どうしよう、どうしよう。
考えているうちに、芽流から次の文章が送られてきた。
『だって、表情からして明らかに部活の話じゃなかったでしょ?内容は聞こえなかったけど、なんか嫌なこと言われたんでしょ?』
表情?見られてた?なんで?
監視されてた?アオと話してたんじゃなかったの?どうして監視なんかするの?
嫌なこと、一つも言われてない。なにも、害悪なことはされてない。
むしろ、相談に乗ってくれようとしてくれた。
芽流のこと、全部話そうと思った。
『私、ただ心配なだけなの。あいつもしかしたらさ、るいに色目使ってるかもだからさ』
追加で、文章が送られてくる。
ああ、今度は心のことあいつって言った。それだけ、嫌いなんだ。
『ていうか、もうあいつと関わらないでくれない?部活もなるべく口聞かなければいいと思う』
『性格とか絶対悪いし、悪影響だよ。るいが可哀想になる』
ぷつん、と何かが切れた音がした。
いつもよりずっと早く、猛スピードで文字を打つ。
話したかった。心の誤解を解こうと思って。芽流が心を嫌悪する理由も、聞きたかった。
『電話しよう』
それだけ送ると、すぐに電話が向こうからかかってきた。
ひとつ深呼吸して、電話に出る。
「…もしもし」
声を出すことって、こんなに辛かったっけなぁ、って、たまに思う。
『もしもし、るい?よかった、無事だね!あいつが乗り込んできたのかと思った!』
そこの誤解も解けてなかったんだな、と呆れる。何に呆れたかは分からなかった。
「…あの、唐突だけど、なんで心のこと嫌いなの?」
聞いた。聞いちゃった。
ずっと、知りたかった。聞きたかった。
何か、決定的な理由があるんじゃないかって思って。それならしょうがなくもないけど、芽流が「関わらないで」って言うのはおかしいと思って。
心はいいヤツなんだってことも、伝えたかったから、聞いた。
『今田、さんのこと、嫌いな理由?』
「うん」
あ、今度はさん付けになった。ちょっと感情が落ち着いたのかな?
俺も、さっきより落ち着いた気がする。呼吸が荒くなっていた時より、感情も、身体も、冷静だ。
『――だって、完璧なんだもん』
「…は?」
予想外すぎて、理解するのに時間がかかった。
そんな俺にはお構いなしに、芽流は殻を破ったようにどんどん話を続ける。
『あの子、見た目も性格もいいでしょ?ただの嫉妬ってだけで、最初は嫌いだったよ。顔がいいだけで一軍に囲まれて、チヤホヤされてさ。』
嫉妬だけで、嫌いになった。顔がいいだけで、チヤホヤされていたから。
そこに、どうしようもない怒りが湧いてくる。そんなに簡単に、人を嫌いになるなんて。それをどこにぶつければいいかは、分からない。
咄嗟に「芽流も可愛いよ」って言おうとしたけど、言葉は出てくれなかった。
『最初は、本当にそれだけで嫌いになったの。でも、あの子が…』
言い逃れ、にしか聞こえない。
結局、芽流も汚い人間だったのかな?
『あの子が、るいに色目を使ってるから。だから、嫌いになった』
それ、LINEでも言ってたな、って思った。
しばらく、返事をする気になれなかった。その場でただ、電話の音声を聞く。
『あの子が一軍に嫌われた時は、内心凄く嬉しかったんだよね。やっと嫌われてくれた、やったーって。でも、今日さ、るいに話しかけてきたでしょ?部活以外で話しかけてくるなんて、絶対好きに決まってる。人の彼氏奪おうとするなんて、本当に最低だよね。だから、私はあいつが嫌い』
「…心は、色目なんか使ってないと思う」
ようやく、話す気になれた。まだ、俺は冷静でいられた。
「心、そんなに悪い子じゃないよ。テニスも上手いし、優しいし、気遣いもできる。彼女いる俺に色目使ったりとかする子じゃない」
『…嘘だ、絶対色目使ってるよ…!るい、騙されてるよ?るいの優しさに漬け込んで、私からるいを奪おうとしてるっ…!』
少し、芽流の息が荒くなった気がする。怒っているのだろうか、俺には分からない。
「俺、騙されてなんかないよ。仮に心が俺のこと好きだったとしても、絶対に奪ったりする子じゃない」
『仮に心が俺のこと好きだったら』。なんて、自分に自信ありすぎだろ、と自嘲する。
『なんで…?なんでるい、私のこと否定するの?私のこと好きなんじゃないの?』
震える声で、そう尋ねてくる。
「芽流のこと否定なんかしてないよ。ただ、意見を言っただけ」
『嘘だっ…!なんで私が言ったこと分かってくれないの?理解してくれないの?私のこと嫌いなの?』
この子は、狂っている。
「ちがっ…」
違う、と言おうとして、やめた。
『私のこと嫌いなの?』という質問に対して、「違うよ、好きだよ」と言える自信がなかったから。
俺って、芽流のことが好きなのか?
本音を飲み込まなくちゃいけなくて、ストレスを感じる相手が?
重圧で押し潰されそうで、「怖い」と感じる人を、好き?
『…ねえっ、るい!?答えてよ、好きでしょ?』
『嫌いとか、あり得るわけないでしょ!?』
もはや怒鳴るように、そう言ってくる芽流。
「…っ、俺は…」
「芽流のこと、好きじゃない」
…言っちゃった。
でも、なんだかスッキリした。
『…なんで?なんでなんでなんでなんで?』
『私のどこがダメだった?なんで好きじゃなくなっちゃうの?やっぱり何かあいつにつけ込まれ――』
「違うっ…!」
部屋で、大声を出した。
もう、全部言ってやろうと思った。
「…付き合い始めた最初の頃は、好きだった。大好きだった…愛してた。精一杯の嘘偽りない愛情を、注いでたつもりだった」
この事実に、変わりはない。心が転校してきてから、芽流は変わってしまった。
「でも、もう…限界なんだよ。本音を飲み込むのも、…俺にめちゃくちゃ依存されるのも」
『…はっ、…?私っ、依存なんか…!』
「俺のことを好きでいてくれたのは、凄い嬉しかった。だけど…本音を言えなくなるような恋愛は、好きじゃない」
芽流には、たくさん愛情をもらった。
「それに…部活の大事な仲間を――、心を悪く言われるのが一番嫌だった」
〝今田さんって性格悪いよねー、この前噂聞いたんだけど…〟
〝部活以外ではあんまり近づかない方がいいよ?あんな人…〟
「…芽流」
『…だってっ、しょうがないじゃん!あいつがるいに変な目使って…!』
『全部、あの子が悪いんだよ!私のせいじゃない、るいと私を狂わせたあの子が…!』
芽流の声は、涙で震えていた。
泣いているのかは分からない。
「芽流」
『…るい…?分かってくれる?』
無理だ。
俺は君を、受け入れられない。
「――別れよう」
言っちゃった。
『………は?』
「愛をたくさんくれて、ありがとう」
『…ちょっと、待ってよ…?』
もはや笑いが溢れて来たのか、震える声で、「えっ…ふふっ、え…なんの冗談?」と繰り返している。
『…別れるわけ、ないじゃん…?私、るいのこと好きなんだよ…?』
「うん」
『こんなに、いっぱい愛をくれたのに…?今までの愛情とか、全部嘘だったって言うの?可愛いって褒めてくれたのも?優しいって言ってくれたのも?』
何も、答えなかった。
『桜の道で、大好きって言ってくれたのも…?』
『ねえっ、何か言ってよ!!別れるわけないじゃん!!』
「…ごめん」
『あの時言ってくれた好きは?愛してるは!?もう一回言ってよ!?』
芽流、ごめんね。
「好きだったよ、大好きだったよ、愛してたよ」
『…だよねっ…?やっぱりるいは、私のことっ…』
「ありがとう、芽流。愛をくれて、ありがとう」
「さようなら」
先輩の引退試合前、もうそろそろ夏休みの時期。
そんな時期に、電話を切った。
I
新着通知があります
めぐる
『なんで電話切っちゃうの?』
めぐる
『さようならって何?私たちまだ付き合ってるでしょ?好き同士でしょ?』
めぐる
『既読付けてよ』
めぐる
『愛してるって言ってたじゃん』
めぐる
『嘘つき』
めぐる
『あの女に乗り換えるの?』
新着通知があります
めぐる
『最低』
めぐる
『るいがいっちばん嫌なことしちゃうからね』
めぐる
『いいよね?裏切ったのそっちだし』
めぐる
『これでちゃんと反省してね?』
めぐる
『既読付ければいいのに』
めぐる
『明日から話しかけてこないで、行きも帰りも一緒に行きたくない』
めぐる
『大っ嫌い』
めぐる
『さよなら』
II
新着通知があります
こころ
『こころがメッセージの送信を取り消しました』
こころ
『ごめん、なんでもない』
III
「お昼、一緒に食べよう」
「…えっ、あ、うん」
芽流と別れた、次の日。今日は、アオは熱で休みらしい。
あれからすぐに芽流のLINEはブロックして消したから、何か送られて来たのかもしれないけど見ていない。
教室に入った途端に、芽流の隣の席に座らなくちゃいけないから気まずかったけど、当の本人は俺にも目もくれずに本を読んでいたから、安心した。
昼休みの教室。芽流も、心も、俺も。三人孤立してお弁当を食べていたから、心の方へ行ったのである。
芽流とは別れたんだから、もう気にすることはない、と気付いたのだ。
教室で自由に心に話しかけてもいいし、悪口を聞く必要もない。
意外とメリットが多いんだなぁと最低なことを考え、一緒にお弁当を食べる準備をする。
席は近くも遠くもなかったから、机を移動するのに時間がかかった。
「…芽流ちゃんいるのに、私とお弁当なんか食べていいの?」
ヒソヒソと、耳打ちしてそう聞いてくる。
「うん、別れたから」
「…えっ!?」
信じられない、という顔をして固まる心。俺は少し面白くて笑ってしまうも、彼女との別れ話で笑えるようになるの早っ、俺最低じゃん、と思い直す。
俺はひとつ咳払いをして、本題に入った。
「…それでさ、相談があるんだけど」
「相談?なんかあったの?もしかして…芽流ちゃん…?」
息を潜めて元カノの名前を呼ぶ心に、苦笑いをしてしまう。
俺はコクリと頷いて、相談を始めた。
昨日、言われた「悩み」について、話し始めた。
ピコン
LINEの通知音。俺が頭を悩ませる数学の問題を頑張って解いていた時に、静かに鳴ったスマホ。
返信するの面倒くさいな、と思いながらも、早くこの勉強から抜け出したいという気持ちが勝ち、ベッドに放り投げてあるスマホを開く。
ホーム画面に表示されているのは、「めぐる」の文字。内容は、「めぐるがスタンプを送信しました」と書いてあるから、何を送られたのかは分からない。
画面をスワイプして、パスワードを慣れた手付きで解除して、LINEを開く。「めぐる」をタップし、トーク画面を開く。
『ねえ、休み時間さ、今田さんと何話してたの?変なこと吹き込まれてない?』
『私、ただ心配なだけなの。るいのこと疑ってるとかそういうんじゃないから』
その下に、うさぎが目を潤ませて「だいじょうぶ?」と可愛いフォントで書いてあるスタンプがある。
あ、どうしよう。ここで嘘ついたら、ダメだよな。
でも、「悩みある?」なんて聞かれたこと言ったら、芽流が余計に心のこと嫌いになっちゃうんじゃないのか?
それに、最悪もっと俺に依存しちゃうんじゃ――。正直、それだけは絶対に避けたいんだけど。
グルグルと思考を巡らせても、中々良い言い訳が見つからない。そもそも、嘘なんかつきたくないのに。
トーク画面を開いたまま返信を考えていると、芽流から追加のLINEがやって来た。
『大丈夫?なんかあった?』
『もしかして既読スルー?笑それは流石に酷いよー』
あ、どうしよう、返信しなきゃ。芽流に心配、されてるから。
『え、どうしたの?既読スルーやめてよ』
『え、流石に心配なんだけど…体調悪いとか?』
『返信考え中?』
『考える必要ないよね?どうしたの?』
――『まさか、今田が乗り込んできたとかないよね』
違う、違う、違う。心がそんなことするはずないでしょ。
どうしてそんな勝手に妄想を膨らませるの?どうして心をそんなに下げようとするの?
俺はただ、返信を考えていただけなのに。心のこと、どうして悪く言うの?
芽流、心のこと今田って呼んでる。いつもさん付けなのに、どうしてだろうなぁと、頭ではどうでも良い情報が追加されてしまう。
―『このスマッシュってどうやるか分かる?』
あ、そうだ、テニスのコツを教えてたって言えば良いんだ。心も最初そう聞いてきたんだから、疑うことはないでしょ。
必死に、打ち込む。早く、早く、早く。早く返信しないと、また芽流が怒っちゃう。
『テニスのこと教えてただけだよ、心が家に乗り込んできたわけないでしょ、安心して笑』
送信マークを押した。わざと明るく振る舞った文に、吐き気すら覚えてしまう。
すぐに、既読がつく。
嫌になって、スマホの画面を閉じた。
「…はぁっ、はぁ…」
そこで初めて、自分の息が荒くなっていることに気がついた。
「…はあぁっー…」
盛大なため息をつく。こんなに深いため息が出たのは、今日が初めてなのかもしれない。
LINEをしていて、息が荒くなる。普通に考えて、これはおかしいのではないか。
芽流からLINEが来て、心のことを悪く言われた。返信して画面を閉じたら、息が荒くなっていた。
どうして?何かのストレス?そもそも、運動していないのに息が荒くなるって、どう言う原理?
さっきみたいに、グルグルと思考を巡らせる。
「…疲れた」
もう、疲れた。何も、考えたくなかった。
誰かと言葉を交わしたくない。考えて、返信したくない。面倒くさい、もう、全部――。
ピコン。
また、スマホが鳴った。
『嘘だ』
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。
嘘じゃない、嘘じゃない。そう心の中で言い訳をしている自分が、嘘をついている。
いや、きっと見間違いだろう。芽流が嘘だって、気づくわけない。
スワイプして、パスワードを打って、またLINEを開いて。さっきと同じことをしている気がする。
怖くて、目を閉じながら画面をタップする。またさっきと同じトーク画面が開かれた。
『嘘だ』
見間違いじゃ、なかった。
なんで、なんでなんでなんで?なんで嘘ってバレたの?
バクバクと、脈が激しくなっていく音が聞こえる。
もし、これで話していた内容がバレていたら?いや、「悩みある?」と聞かれただけで、何も問題はないはず。
でも、芽流は心のことが嫌いだ。明日、問い詰めてしまうかもしれない。
嘘、バレた。どうしよう、どうしよう。
考えているうちに、芽流から次の文章が送られてきた。
『だって、表情からして明らかに部活の話じゃなかったでしょ?内容は聞こえなかったけど、なんか嫌なこと言われたんでしょ?』
表情?見られてた?なんで?
監視されてた?アオと話してたんじゃなかったの?どうして監視なんかするの?
嫌なこと、一つも言われてない。なにも、害悪なことはされてない。
むしろ、相談に乗ってくれようとしてくれた。
芽流のこと、全部話そうと思った。
『私、ただ心配なだけなの。あいつもしかしたらさ、るいに色目使ってるかもだからさ』
追加で、文章が送られてくる。
ああ、今度は心のことあいつって言った。それだけ、嫌いなんだ。
『ていうか、もうあいつと関わらないでくれない?部活もなるべく口聞かなければいいと思う』
『性格とか絶対悪いし、悪影響だよ。るいが可哀想になる』
ぷつん、と何かが切れた音がした。
いつもよりずっと早く、猛スピードで文字を打つ。
話したかった。心の誤解を解こうと思って。芽流が心を嫌悪する理由も、聞きたかった。
『電話しよう』
それだけ送ると、すぐに電話が向こうからかかってきた。
ひとつ深呼吸して、電話に出る。
「…もしもし」
声を出すことって、こんなに辛かったっけなぁ、って、たまに思う。
『もしもし、るい?よかった、無事だね!あいつが乗り込んできたのかと思った!』
そこの誤解も解けてなかったんだな、と呆れる。何に呆れたかは分からなかった。
「…あの、唐突だけど、なんで心のこと嫌いなの?」
聞いた。聞いちゃった。
ずっと、知りたかった。聞きたかった。
何か、決定的な理由があるんじゃないかって思って。それならしょうがなくもないけど、芽流が「関わらないで」って言うのはおかしいと思って。
心はいいヤツなんだってことも、伝えたかったから、聞いた。
『今田、さんのこと、嫌いな理由?』
「うん」
あ、今度はさん付けになった。ちょっと感情が落ち着いたのかな?
俺も、さっきより落ち着いた気がする。呼吸が荒くなっていた時より、感情も、身体も、冷静だ。
『――だって、完璧なんだもん』
「…は?」
予想外すぎて、理解するのに時間がかかった。
そんな俺にはお構いなしに、芽流は殻を破ったようにどんどん話を続ける。
『あの子、見た目も性格もいいでしょ?ただの嫉妬ってだけで、最初は嫌いだったよ。顔がいいだけで一軍に囲まれて、チヤホヤされてさ。』
嫉妬だけで、嫌いになった。顔がいいだけで、チヤホヤされていたから。
そこに、どうしようもない怒りが湧いてくる。そんなに簡単に、人を嫌いになるなんて。それをどこにぶつければいいかは、分からない。
咄嗟に「芽流も可愛いよ」って言おうとしたけど、言葉は出てくれなかった。
『最初は、本当にそれだけで嫌いになったの。でも、あの子が…』
言い逃れ、にしか聞こえない。
結局、芽流も汚い人間だったのかな?
『あの子が、るいに色目を使ってるから。だから、嫌いになった』
それ、LINEでも言ってたな、って思った。
しばらく、返事をする気になれなかった。その場でただ、電話の音声を聞く。
『あの子が一軍に嫌われた時は、内心凄く嬉しかったんだよね。やっと嫌われてくれた、やったーって。でも、今日さ、るいに話しかけてきたでしょ?部活以外で話しかけてくるなんて、絶対好きに決まってる。人の彼氏奪おうとするなんて、本当に最低だよね。だから、私はあいつが嫌い』
「…心は、色目なんか使ってないと思う」
ようやく、話す気になれた。まだ、俺は冷静でいられた。
「心、そんなに悪い子じゃないよ。テニスも上手いし、優しいし、気遣いもできる。彼女いる俺に色目使ったりとかする子じゃない」
『…嘘だ、絶対色目使ってるよ…!るい、騙されてるよ?るいの優しさに漬け込んで、私からるいを奪おうとしてるっ…!』
少し、芽流の息が荒くなった気がする。怒っているのだろうか、俺には分からない。
「俺、騙されてなんかないよ。仮に心が俺のこと好きだったとしても、絶対に奪ったりする子じゃない」
『仮に心が俺のこと好きだったら』。なんて、自分に自信ありすぎだろ、と自嘲する。
『なんで…?なんでるい、私のこと否定するの?私のこと好きなんじゃないの?』
震える声で、そう尋ねてくる。
「芽流のこと否定なんかしてないよ。ただ、意見を言っただけ」
『嘘だっ…!なんで私が言ったこと分かってくれないの?理解してくれないの?私のこと嫌いなの?』
この子は、狂っている。
「ちがっ…」
違う、と言おうとして、やめた。
『私のこと嫌いなの?』という質問に対して、「違うよ、好きだよ」と言える自信がなかったから。
俺って、芽流のことが好きなのか?
本音を飲み込まなくちゃいけなくて、ストレスを感じる相手が?
重圧で押し潰されそうで、「怖い」と感じる人を、好き?
『…ねえっ、るい!?答えてよ、好きでしょ?』
『嫌いとか、あり得るわけないでしょ!?』
もはや怒鳴るように、そう言ってくる芽流。
「…っ、俺は…」
「芽流のこと、好きじゃない」
…言っちゃった。
でも、なんだかスッキリした。
『…なんで?なんでなんでなんでなんで?』
『私のどこがダメだった?なんで好きじゃなくなっちゃうの?やっぱり何かあいつにつけ込まれ――』
「違うっ…!」
部屋で、大声を出した。
もう、全部言ってやろうと思った。
「…付き合い始めた最初の頃は、好きだった。大好きだった…愛してた。精一杯の嘘偽りない愛情を、注いでたつもりだった」
この事実に、変わりはない。心が転校してきてから、芽流は変わってしまった。
「でも、もう…限界なんだよ。本音を飲み込むのも、…俺にめちゃくちゃ依存されるのも」
『…はっ、…?私っ、依存なんか…!』
「俺のことを好きでいてくれたのは、凄い嬉しかった。だけど…本音を言えなくなるような恋愛は、好きじゃない」
芽流には、たくさん愛情をもらった。
「それに…部活の大事な仲間を――、心を悪く言われるのが一番嫌だった」
〝今田さんって性格悪いよねー、この前噂聞いたんだけど…〟
〝部活以外ではあんまり近づかない方がいいよ?あんな人…〟
「…芽流」
『…だってっ、しょうがないじゃん!あいつがるいに変な目使って…!』
『全部、あの子が悪いんだよ!私のせいじゃない、るいと私を狂わせたあの子が…!』
芽流の声は、涙で震えていた。
泣いているのかは分からない。
「芽流」
『…るい…?分かってくれる?』
無理だ。
俺は君を、受け入れられない。
「――別れよう」
言っちゃった。
『………は?』
「愛をたくさんくれて、ありがとう」
『…ちょっと、待ってよ…?』
もはや笑いが溢れて来たのか、震える声で、「えっ…ふふっ、え…なんの冗談?」と繰り返している。
『…別れるわけ、ないじゃん…?私、るいのこと好きなんだよ…?』
「うん」
『こんなに、いっぱい愛をくれたのに…?今までの愛情とか、全部嘘だったって言うの?可愛いって褒めてくれたのも?優しいって言ってくれたのも?』
何も、答えなかった。
『桜の道で、大好きって言ってくれたのも…?』
『ねえっ、何か言ってよ!!別れるわけないじゃん!!』
「…ごめん」
『あの時言ってくれた好きは?愛してるは!?もう一回言ってよ!?』
芽流、ごめんね。
「好きだったよ、大好きだったよ、愛してたよ」
『…だよねっ…?やっぱりるいは、私のことっ…』
「ありがとう、芽流。愛をくれて、ありがとう」
「さようなら」
先輩の引退試合前、もうそろそろ夏休みの時期。
そんな時期に、電話を切った。
I
新着通知があります
めぐる
『なんで電話切っちゃうの?』
めぐる
『さようならって何?私たちまだ付き合ってるでしょ?好き同士でしょ?』
めぐる
『既読付けてよ』
めぐる
『愛してるって言ってたじゃん』
めぐる
『嘘つき』
めぐる
『あの女に乗り換えるの?』
新着通知があります
めぐる
『最低』
めぐる
『るいがいっちばん嫌なことしちゃうからね』
めぐる
『いいよね?裏切ったのそっちだし』
めぐる
『これでちゃんと反省してね?』
めぐる
『既読付ければいいのに』
めぐる
『明日から話しかけてこないで、行きも帰りも一緒に行きたくない』
めぐる
『大っ嫌い』
めぐる
『さよなら』
II
新着通知があります
こころ
『こころがメッセージの送信を取り消しました』
こころ
『ごめん、なんでもない』
III
「お昼、一緒に食べよう」
「…えっ、あ、うん」
芽流と別れた、次の日。今日は、アオは熱で休みらしい。
あれからすぐに芽流のLINEはブロックして消したから、何か送られて来たのかもしれないけど見ていない。
教室に入った途端に、芽流の隣の席に座らなくちゃいけないから気まずかったけど、当の本人は俺にも目もくれずに本を読んでいたから、安心した。
昼休みの教室。芽流も、心も、俺も。三人孤立してお弁当を食べていたから、心の方へ行ったのである。
芽流とは別れたんだから、もう気にすることはない、と気付いたのだ。
教室で自由に心に話しかけてもいいし、悪口を聞く必要もない。
意外とメリットが多いんだなぁと最低なことを考え、一緒にお弁当を食べる準備をする。
席は近くも遠くもなかったから、机を移動するのに時間がかかった。
「…芽流ちゃんいるのに、私とお弁当なんか食べていいの?」
ヒソヒソと、耳打ちしてそう聞いてくる。
「うん、別れたから」
「…えっ!?」
信じられない、という顔をして固まる心。俺は少し面白くて笑ってしまうも、彼女との別れ話で笑えるようになるの早っ、俺最低じゃん、と思い直す。
俺はひとつ咳払いをして、本題に入った。
「…それでさ、相談があるんだけど」
「相談?なんかあったの?もしかして…芽流ちゃん…?」
息を潜めて元カノの名前を呼ぶ心に、苦笑いをしてしまう。
俺はコクリと頷いて、相談を始めた。
昨日、言われた「悩み」について、話し始めた。



