カラオケだけが楽しみだった私が、仕事にも恋にも本気になるまで

 次の週の日曜日の午後。カラオケルーム。

 美織と響生は、受付で使用時間を伝え、ワンドリンクを注文した。

 指定された部屋に入り、扉を閉めると、室内は一気に静かになる。
 小さな個室の中、美織は少しだけ緊張していた。

 響生は手早く鞄からICレコーダーと、クリアファイルに挟んだ譜面を取り出す。

「譜面、印刷してきました。見なくても歌えるとは思いますが……念のため」

 ――用意がいいのね。

「あ、ありがとうございます」

「キーはどうしましょう。一度、原キーで合わせてみて、あとで調整しましょうか」

 美織がうなずくと、響生がリモコンを操作し、曲を予約する。
 やがてイントロが流れ始め、モニターに歌詞が映し出される。

 最初のパートは美織。
 そっと息を吸い、柔らかなメロディをささやくように歌い出す。
 続いて、同じく穏やかに――響生のパート。

 そしてサビ。
 ふたりの声が重なり、旋律に厚みが生まれる――はずだった。

 ……けれど、何かが噛み合わない。

「一旦、止めましょうか」

 一番が終わったところで、美織がマイクを置き、演奏停止のボタンを押した。

「うん……なんか、合ってないですね」

「お互い、ソロで歌っているときと同じように歌っているからかもしれませんね」

 美織はソファに座り込み、軽く肩で息をついた。
 響生は無言でICレコーダーの再生ボタンを押す。
 さっきの歌声が、室内に流れる。
 音は外れていない。テンポも、リズムも間違っていない。けれど――

「音量のバランス、ちょっと悪いかも。相手の声をもっとしっかり聴かないと」

「それに……」
 美織は少し迷ってから、ぽつりと続けた。

「……心が、通ってない感じ、します」

 響生はその言葉に小さくうなずき、美織のほうを見た。

「じゃあ、もう一回。今度はちゃんと……高村さんを見て歌ってみます」

「……私も、ちゃんと、あなたの声を聴きます」

 ふたりは、再びマイクを手に取った。

 まだぎこちない。でも、何度か会わせるうちに、少しずつ形になっていった。