「……で、わたしは苦悩したわけですよ」

 飲む気もないワイングラスを傾け、揺れる水面を観察する。

 向かい合って座る男は、蒼白な顔でわたしの話に聞き入っていた。自身のグラスには手を付けようとせず、ただ震えながら膝を握り締めている。

「一週間ぐらいかな。諦めきれずに何度も試して、そのたび絶望して――そうして不意に、気付いたんです」

 ――もしや、『やり直し』の最中は時を戻せないのではないか?

「考えてみたら当然でしょう?『時戻しの魔法』はきっかり三年しか戻せない。それなのにやり直しの最中に時が戻せてしまえば、十年だろうと二十年だろうと戻し放題になってしまうではありませんか。時戻しに限らず、魔法とは何かしらの制約があるものなのです」

 相槌ひとつ打たない男に構わず、わたしは一方的にまくし立てる。

「そう。つまりわたしはリディア殿下を失った状態で、さらに二年の時を過ごさねばならなかったわけですよ。おめおめと殿下を死なせておきながら、このわたしだけが!」

 リディアは遺書を残していた。

 心を病んで死を選択してしまったこと。
 父であるレオン陛下に対する別れと謝罪の言葉。

 そして――自分以外の誰にも咎はなく、どうか従者も侍女も誰も罰さないでくれという嘆願。

「レオン陛下はリディア殿下の最期の願いを聞き届けられました。わたしはこれまで通り、魔法使いとして陛下にお仕えすることとなった。……けれど、やはりわたしの顔を見るのはお辛かったのでしょう。陛下はだんだんとわたしを遠ざけるようになり――」

 わたしが離れている間に、レオン陛下はみるみるやつれ衰弱していった。無論、愛娘を失ったショックが原因だ。わたしには何もできなかった。
 レオン陛下はついには寝たきりとなってしまい、王弟ライナーが政務を代行することになる。

 またも自分の名が出てきて、目の前の男がびくりと身じろぎした。怯える男をわたしはせせら笑う。

「あなたはレオン陛下を慰め、臣下を激励し、瞬く間にこの国の全てを掌握した。国を覆う暗雲を晴らす救い手だと、希望の光だと、国民はこぞってあなたを称賛した」

 当初はわたしも、それを疑問に思わなかった。

 『一度目』の彼はリディアを処刑したが、リディアにも確かに裁かれるだけの罪はあった。だから『二度目』のリディアも、決してライナーを恨んではいなかった。
 叔父様は王族として為すべきことをしただけよ、と寂しげに微笑んだ彼女を思い出す。

 唇を噛み、わたしは目の前に座るライナーを睨み据えた。

「二度目、リディア殿下が心を病んで苦しんでいた際、レオン陛下はあなたを隣国から呼び戻されました。あなたはリディア殿下の相談に乗る傍ら、レオン陛下の右腕となって国に尽くした。……けれど」

 リディアが亡くなってから一月も経たないうちに、今度はレオン陛下が急逝した。

 愛娘を失った痛手から立ち直れず、陛下の体は弱る一方だった。そうしてある朝、陽が高く昇っても目を開くことはなかったのだ。あたかも、リディアの跡を追うように彼は息を引き取った。

「――その時初めて、わたしの中に疑念が生まれました」

 一度目ならず二度目までも、リディアもレオン陛下も死んでしまう。
 そうして権力を握るのは、偽善者ぶった笑みを浮かべるこの男――王弟ライナー・オーレイン。

「わたしは、あなたを怪しんだ」

 だから拷問のような『二度目』残り二年は、ライナーという男を調べるのに費やすことにした。

 王に仕える魔法使いであると明かしても、もちろん最初はライナーも信じなかった。けれど、それは実際にわたしが魔法を使ってみせるまでのこと。

「わたしはあなたに(おもね)り、誠心誠意あなたに尽くす――振りをした。あなたは有頂天になりましたよ。この世ならぬ力を持った魔法使いが、己の意のままに動くのだから」

 ライナーはまさに手足のようにわたしを使い、わたしもまたライナーに命じられるがまま何でもやった。
 ライナーの前では愛想笑いを貼りつけて、ライナーの望みを叶えるためなら己の手を汚すことも厭わない。それがちっとも苦ではなかった。

 ――あの頃のわたしは、単なる抜け殻に過ぎなかったのだから。

「すっかりわたしに心を許したあなたは、得々としてわたしに披露してくれました。隣国で医術を学んでいる最中に手に入れた、様々な効果を持つたくさんの薬物を」

「……!」

 微笑みかければ、すでに白かった男の顔がますます色を失くしていく。
 わたしは構わず、歌うように指折り数えた。

「体の自由を奪う香、自白剤、眠り薬、しびれ薬……。そして、レオン陛下を殺す際に使ったごくごく弱い毒物も、ね」

 そう。
 『二度目』のレオン陛下は、他でもないこの男に殺されたのだ。
 病床の陛下を診察し、この男は薬と称して毎日少しずつ陛下に毒を飲ませた。陛下はじわじわと弱り、そして――……

「一気に命を奪うほどの猛毒を使えば、勘づく者も出たかもしれませんが、上手いやり方でしたね。この秘密を打ち明けた時のあなたは、それはそれは鼻高々でしたよ。……今となっては証拠はありませんが、おそらく『一度目』のレオン陛下も、同じ毒であなたに殺されたのでしょうね」

「う、嘘だっ! 僕が、僕が兄上を殺したりするはずがないっ!」

 弾かれたようにわめき出した男を、わたしは鋭く一瞥して黙らせる。空気がビリビリと震え、男はヒッと息を呑んだ。

「いいえ、あなたはやりますよ。なぜなら、あなたはずっと不満に思っていたのだから」

 ゆらりと立ち上がると、男も大慌てで腰を上げた。ソファから離れ、よろめきながら窓辺へと走る。

「非の打ち所がない完璧な僕。国王たる資格のない無能な兄上、そしてその浅はかな娘。間違っていることは正さねばならないんだ。君ならわかってくれるだろう、アレン?」

 昔この男がわたしに言った台詞を、そっくりそのまま再現してやった。逃げる男の足がもつれる。

「死にたいと泣くリディアに薬をあげたのも僕だよ。安らかに眠り、二度と目覚めることはないと教えてあげたら、あの子は嬉しそうに僕に礼を言った――」

 邪魔なテーブルを蹴り上げる。
 グラスや皿がけたたましい音を立てて飛び散った。

 床にへたり込んだ男にゆっくりと迫れば、男はガクガクと首を横に振った。

「違っ……。僕は、少なくとも、今の僕はそんなことはっ」

「そうですね。確かに今のあなたなら、そんなことはしないと思いますよ」

「……え?」

 男が間の抜けた声を上げる。
 微笑するわたしを見上げる瞳に、みるみる希望の明かりが灯った。

「そ、そうだともっ。僕は決してっ」

「そう。あなたは決して勝てない勝負はしない。こそこそと裏工作はしたところで、不確実な賭けに出るほどの度胸はない。あなたが自ら動くのは、いつだって――」

 状況が己に有利だと判断した時だけだ。

「病気で体の弱ったレオン陛下なら、たとえ毒を盛っても気付かれる心配は少ない。リディア殿下が死にたいと泣けば、好機と捉えて自殺を手助けする。――そういう性根の腐った卑劣な人間なんですよ、あなたは」

 逆に言えば、だからこそ今のライナーは一線を超えないはすだ。
 レオン陛下が堅実に政務を行い、リディアが国民に慕われている現状では。

 けれど、とわたしは声を落とす。

「まっぴらなんです。いつ牙を剥くかわからない(けだもの)を、リディア殿下の側に置くだなんてね」

 リディアと離れたこの一月で、わたしはライナーの身辺を徹底的に調べ上げた。
 王立病院のライナーの執務室には、見覚えのある薬が巧妙に隠されていた。かつてレオン陛下とリディアの命を奪った薬物も。

 凍りつくライナーを見下ろし、わたしは手を上げる。
 床に落ちたナイフが飛んできて、わたしの手の中にすっと納まった。

「今回の『三度目』ではね、わたしは道化になると決めたのですよ。リディア殿下が怒ってあきれる、馬鹿な男を演じてやろうと」

 怒って、あきれて、笑って……そして、死の恐怖なんて忘れてしまえばいい。
 笑いながら、死の運命なんてぶち壊してしまえばいい。

「楽しかったです、この上なく。一度ならず二度までも殿下を死なせたわたしには、そんな資格などないというのに。繰り返す三年間の中で……いいえ。わたしの生涯で、間違いなく一番幸せな時でした」

 ライナーの血走った目はナイフに釘付けだ。
 長い自分語りがようやく終わりに近付き、わたしは安堵の息を吐く。

「三度目、これでようやく終われる……。筋書きはこうです。ライナー殿下の讒言(ざんげん)で従者を首になったと逆恨みし、わたしはナイフを持ってあなたの自室を襲撃した――」

 男の喉首を狙い、ぴたりとナイフを突きつけた。
 男の喉が引きつったような音を立てる。

「ま、待て……。それでは、リディアもただでは」

「関係ありませんね。わたしは昨日付けで解雇されたのですよ。あなたのお陰でね?」

 それに、リディアはレオン陛下が守ってくれるはずだ。
 最大の敵たるこの男さえ排除すれば、後はわたしにできることは何もない。今のリディアならば、きっと一人でだって未来を切り開ける。

 ふっと笑みをこぼし、ナイフを握る手に力を込めた。

「――死は平等に訪れる。安らかに逝くがいい、ライナー・オーレイン」