江戸の長屋で暮らしていた沖田総司は、剣の鍛錬に励む日々を送っていた。
 家族との穏やかな日常は、総司にとって何よりも大切なものだった。
 だが、その日、その幸福は一瞬にして崩れ去った。

 ──異変に気づいたのは、朝だった。

 目を覚ますと、家の中が静まり返っている。
 母の「早く起きなさい」という声も、父の低い咳払いも聞こえない。
 姉たちの楽しげな話し声すらない。

「母上?」

 寝ぼけ眼をこすりながら台所へ向かった総司は、そこで足を止めた。

 父が、母が、姉が──皆、床に崩れるように倒れていた。

「え……?」

 冷え切った空気。
 漂う異様な臭い。
 まるで時間が止まったかのように、誰も動かない。

「母上! 父上! 姉上!」

 総司は必死に呼びかけ、揺さぶった。
 だが、返事はない。
 すでに肌は冷たく、硬直し始めていた。

 ──死んでいる。

 総司の喉が引きつる。

「なんで……?」

 部屋には昨夜の食事がそのまま残されていた。
 味噌汁、ご飯、漬物、そして酒。
 ふと鼻を近づけると、鉄のような匂いがした。

 ──毒だ。

 家族は毒殺された。
 しかし、総司も昨夜の食事を口にしているはずなのに、自分だけが生きている。

「……なんで僕だけ……?」

 理解が追いつかない。

 *

 事件はすぐに近所の者に知られ、奉行所の役人たちが押しかけてきた。
 家族全員が死に、ただ一人生き残った総司。

 それだけで、彼を疑うには十分だった。

「おい、こいつが毒を盛ったんじゃねぇのか?」
「子供だからって、油断はできねぇ……」
「だっておかしいだろ? 家族が皆死んでんのに、この子だけ生きてるんだぞ?」

 近所の住人たちの視線が突き刺さる。
 総司は必死に否定した。

「違う! 僕は何もしてない!」

 だが、大人たちは誰も信じてくれなかった。
 奉行所の役人は冷たい目で総司を見下ろし、無慈悲に言い放った。

「連れて行け」

 こうして、総司は奉行所へと預けられることになった。

 *

 奉行所の牢は、暗く冷たい場所だった。
 総司は独り、狭い部屋の片隅で膝を抱えていた。

 家族が死んだ。
 犯人扱いされた。
 何もしていないのに、誰も信じてくれない。

 どうして、こんなことになったんだろう。

 涙も出なかった。

 しばらくすると、牢の外で役人たちの話し声が聞こえた。

「だがなぁ……どう考えてもおかしいだろ。子供が家族全員毒殺するなんてことがあるか?」
「そうは言っても、生き残ったのはあの子だけだ。普通なら、毒を口にしたなら同じように死んでいるはずだろう」
「……確かにな」

 役人たちは総司を疑いながらも、何か引っかかるものを感じているようだった。
 しかし、疑惑の目が晴れることはなかった。

 ──あの子は、普通じゃない。

 そんな囁きが、牢の外から聞こえてきた。

 彼はこの日、自分が「異常」な存在であることを知ったのだった。