その夜は、銀色の丸い月がぽっかりとあおい湖の上に浮かぶとてもとても寒い夜だった。
私は息を殺し、出窓からその部屋へと入った。
思った通り質素な部屋。とても皇子の部屋とは思えない。離れとは名ばかりの石造りの塔の最上階。
引き出しが3つ程あるきりの木製の古びた鏡台がひとつ。そして、白い天蓋付きの小さなベッドがひとつ。
鏡台の上には銀色の香炉があり、甘く官能的でスパイスの効いた香りが、ほんのりと部屋を満たしていた。
私は、
ゆっくりと天蓋をめくった。そして、息を呑んだ -
美しい。
何と、美しい。
眠る第三皇子は、夢のような美しさだった。
黒絹糸の真っ直ぐな髪がふわりと白いヨーグルトのような肌にかかる。
整えられた聡明そうな細いつり眉、髪と同じ色の蝶のように長く濃い睫毛、芸術品のように高くすっとした鼻、そして紅色の半月の形をした唇。
直に見てみると、女性的な部分を残しつつ、すでにおとなの男性の風貌を持っていた。
美しい。
神々しい。まばゆいばかりだ。
この美しさの前では、今宵の銀色の月も、その月を映してきらめく湖水も霞むだろう。
これは、たしかに、
ヴェールで隠さなければならない程の美しさだ。
私はしばらくその寝顔に、じっと見惚れていた。
そして、唇に触れてみたいと思った。
私はかすかな寝息で震えるその美しい唇に、そっと指を伸ばした。
この美を今宵奪ってしまうのは、余りにも無慈悲な事だ。しかもそれは、実の兄・第二皇子の命(めい)なのだ。
この美しさは全国民の前に、いや、全世界の前にさらされるべきだ。
瞬間、胸を強く蹴り上げられた。
不意打ちに私はきしむ胸をはっと押さえたが、それでもベッドから転がり落ちてやわらかいじゅうたんの上にうつぶせになる。
「あぁ、声を出さないとは、さすがだね。間者(かんじゃ)」
気がつくと、
私の前には、第三皇子が立っていた。
「誰の差し金かなど、聞かずともわかる」
その声は小さな弦楽器のような音色だった。完全におとなの声だ。やわらかいのに、それでいて怒りと嘲笑が混じっている。
「小者、私は、そんなにも美しいか?」
皇子は、上半身に何もまとってはいなかった。
銀色の月の光を浴びて、抜き身の裸体がかがやく。
清流のような細く真っ直ぐな首筋、くっきりとした彫刻のような鎖骨、優しい色をした薄い胸に、木苺のような真っ赤な飾りがふたつ付いている。
流れるような線が腹の筋肉を6つに分ける。長くすらりとした脚。あふれんばかりの生の美しさ。
そして、
サファイアのようなあおいぱっちりとした目が、私を見下ろしている。
「もう一度問う。私は美しいか?」
「はい」
「ふん」
自分で聞いたにも関わらず、皇子は不満そうに小さく鼻を鳴らした。
そして、
床に置かれた私の右手を、右足で軽く踏む。
「兄上が俺を美しい人形のままでここに置いてくれるのなら、望む通りに大人しくしていようと思った」
踏まれた手は痛くはないが、動けない。力が入っていないようなのに、その足の下から手を抜くことができない。
「しかし、考えが変わった。
おまえ、
俺の足を舐めろ」
皇子が、そう言って薄く微笑んだ。研ぎ澄まされたナイフの刃のような笑みだった。
「それは、皇子としてのご命令ですか」
私が感情のない声でそう問うと、皇子の唇から健康的な白い歯が漏れる。
「おまえ、俺を美しいと言ったであろう」
「はい」
「なら、俺のこの美しさに忠誠を誓え」
私の手を踏んでいる足をすっとどけて、皇子はそう低く命令した。
「恐れながら、私は第二皇子様に仕える身で」
「そうか」
皇子が、すうっと目を細くする。かくすもののない肌を、月あかりがまばゆいまでにかがやかせる。
「自分の出世のために兄弟に手をかける意地汚い皇子ぞ。
しかも自分の手は全く汚さずに」
皇子は早口にそう言って、それからゆっくりとひざまづいて私の左ほおに触れた。
まるでムーンストーンのように冷たくさらりとした指先だった。
「なぁ、おまえ」
皇子のサファイアの瞳が、慈悲深く私を見つめる。吸い込まれたら別の世界へ連れていかれそうだ。
「俺の足を舐め、俺に忠誠を誓うと言えば、命だけは勘弁してやる」
私が唇を引き結ぶと、皇子はニッコリと微笑んだ。
何と言う若々しさ、みずみずしさの権化。香の香りがそのまま肉体を持ったようだ。甘く官能的でスパイシー。
月の光を浴び透き通る肌。砂漠の民とは思えないほどに白い。染みひとつない美しいからだ。皇妃に似た純粋な湖水のような目。
(第一皇子に似た)
「さぁ、舐めろ」
私は息を殺し、出窓からその部屋へと入った。
思った通り質素な部屋。とても皇子の部屋とは思えない。離れとは名ばかりの石造りの塔の最上階。
引き出しが3つ程あるきりの木製の古びた鏡台がひとつ。そして、白い天蓋付きの小さなベッドがひとつ。
鏡台の上には銀色の香炉があり、甘く官能的でスパイスの効いた香りが、ほんのりと部屋を満たしていた。
私は、
ゆっくりと天蓋をめくった。そして、息を呑んだ -
美しい。
何と、美しい。
眠る第三皇子は、夢のような美しさだった。
黒絹糸の真っ直ぐな髪がふわりと白いヨーグルトのような肌にかかる。
整えられた聡明そうな細いつり眉、髪と同じ色の蝶のように長く濃い睫毛、芸術品のように高くすっとした鼻、そして紅色の半月の形をした唇。
直に見てみると、女性的な部分を残しつつ、すでにおとなの男性の風貌を持っていた。
美しい。
神々しい。まばゆいばかりだ。
この美しさの前では、今宵の銀色の月も、その月を映してきらめく湖水も霞むだろう。
これは、たしかに、
ヴェールで隠さなければならない程の美しさだ。
私はしばらくその寝顔に、じっと見惚れていた。
そして、唇に触れてみたいと思った。
私はかすかな寝息で震えるその美しい唇に、そっと指を伸ばした。
この美を今宵奪ってしまうのは、余りにも無慈悲な事だ。しかもそれは、実の兄・第二皇子の命(めい)なのだ。
この美しさは全国民の前に、いや、全世界の前にさらされるべきだ。
瞬間、胸を強く蹴り上げられた。
不意打ちに私はきしむ胸をはっと押さえたが、それでもベッドから転がり落ちてやわらかいじゅうたんの上にうつぶせになる。
「あぁ、声を出さないとは、さすがだね。間者(かんじゃ)」
気がつくと、
私の前には、第三皇子が立っていた。
「誰の差し金かなど、聞かずともわかる」
その声は小さな弦楽器のような音色だった。完全におとなの声だ。やわらかいのに、それでいて怒りと嘲笑が混じっている。
「小者、私は、そんなにも美しいか?」
皇子は、上半身に何もまとってはいなかった。
銀色の月の光を浴びて、抜き身の裸体がかがやく。
清流のような細く真っ直ぐな首筋、くっきりとした彫刻のような鎖骨、優しい色をした薄い胸に、木苺のような真っ赤な飾りがふたつ付いている。
流れるような線が腹の筋肉を6つに分ける。長くすらりとした脚。あふれんばかりの生の美しさ。
そして、
サファイアのようなあおいぱっちりとした目が、私を見下ろしている。
「もう一度問う。私は美しいか?」
「はい」
「ふん」
自分で聞いたにも関わらず、皇子は不満そうに小さく鼻を鳴らした。
そして、
床に置かれた私の右手を、右足で軽く踏む。
「兄上が俺を美しい人形のままでここに置いてくれるのなら、望む通りに大人しくしていようと思った」
踏まれた手は痛くはないが、動けない。力が入っていないようなのに、その足の下から手を抜くことができない。
「しかし、考えが変わった。
おまえ、
俺の足を舐めろ」
皇子が、そう言って薄く微笑んだ。研ぎ澄まされたナイフの刃のような笑みだった。
「それは、皇子としてのご命令ですか」
私が感情のない声でそう問うと、皇子の唇から健康的な白い歯が漏れる。
「おまえ、俺を美しいと言ったであろう」
「はい」
「なら、俺のこの美しさに忠誠を誓え」
私の手を踏んでいる足をすっとどけて、皇子はそう低く命令した。
「恐れながら、私は第二皇子様に仕える身で」
「そうか」
皇子が、すうっと目を細くする。かくすもののない肌を、月あかりがまばゆいまでにかがやかせる。
「自分の出世のために兄弟に手をかける意地汚い皇子ぞ。
しかも自分の手は全く汚さずに」
皇子は早口にそう言って、それからゆっくりとひざまづいて私の左ほおに触れた。
まるでムーンストーンのように冷たくさらりとした指先だった。
「なぁ、おまえ」
皇子のサファイアの瞳が、慈悲深く私を見つめる。吸い込まれたら別の世界へ連れていかれそうだ。
「俺の足を舐め、俺に忠誠を誓うと言えば、命だけは勘弁してやる」
私が唇を引き結ぶと、皇子はニッコリと微笑んだ。
何と言う若々しさ、みずみずしさの権化。香の香りがそのまま肉体を持ったようだ。甘く官能的でスパイシー。
月の光を浴び透き通る肌。砂漠の民とは思えないほどに白い。染みひとつない美しいからだ。皇妃に似た純粋な湖水のような目。
(第一皇子に似た)
「さぁ、舐めろ」



