末の皇子は、透き通るような美しさだった。

皇子が入って来た瞬間、息を呑む音が響いた。

その日はあくる日に第二皇子の皇帝着任と戴冠式を控えており、中世欧州調の壁画が天井いっぱいに広がる城の大広間では、沢山の召使達が忙しく行き来していた。
皇帝が座る赤い繻子(しゅす)を張った金の大椅子の頭上にはドーム型の天窓があり、赤や青、緑や金色と言ったクリスタル・ガラスを填め込んだステンドグラスになっている。
広間の壁にはあめ色の東洋風の彫刻が施されている。砂漠の中の大きなオアシスにあるこの小国では、砂漠を渡る民達からもたらされた様々な文化が見事な調和を成していた。

その末の皇子は、黒い絹糸のような艶やかな髪をしていた。

この小国の民芸品である、オアシスの中でのみ採れる植物の糸で織った麻に似た素材の長袖の服を着ている。風通しがよく軽い。その胸と袖口には同じく白い絹糸で、果実の木の蔓(つる)のような刺繍が施され、末端には小さなクリスタルの飾りが付いていた。
今年15歳になるその皇子の線は細く、華奢な身体つきが大きめの服からも容易に想像出来る。
そして、
その顔は、繊細なレース編みの白く長いヴェールに隠されていた。

それでも、行き交う召使達がその皇子を振り返る。その様子を私は、大広間が見渡せるバルコニーから見ていた。
皇子が歩く度にさわさわとヴェールが揺れる小さな音が聞こえるようだ。次々と召使達がひざまづいて行く様はさながらドミノ倒しだ。
「あのヴェールがあっては真の美しさがわからぬだろうに、
何故、みなひざまづく」
見ると私が現在仕えている、明日戴冠する予定の第二皇子が後ろに立っていた。私はゆっくりと右ひざを突き、深々と頭を下げる。

「東洋には『衣通姫(そとおりひめ)』と言う物語があります。
真の美しさとは、衣を通して伝わってしまうものであると」
「ふん、つまらぬ物語だ」
酒と女が好きな小太りの第二皇子は、冷ややかにそう言って弟を見下ろした。
「あれは美しいだけの人形だ。何も出来ん」
療養先の田舎町から、第三皇子が宮廷に戻って来た。
第一皇子は既に亡く、現皇帝は老齢を理由に皇位を第二皇子に譲る事になっていた。
第三皇子は聡明で清らかな美しさを持っていた第一皇子に少し似ている気がする。
もっとも、第一皇子の美しさは、どこまでも男性としての美だったが -

「美しさと言うものは色々と厄介なものだ。そうだろう、おまえ」
「そうですね」
私が感情もなくそう答えると、皇子は満足したようにニヤリと笑って、そっと私の左ほおを撫でた。汗ばんでベタついた手だった。
第ニ皇子はきびすを返しさっさと広間を出て行き、第三皇子もいつの間にか姿を消していた。広間はまた、式の準備の賑わいを取り戻している。
同じ皇帝、同じ皇妃から生まれたはずの三兄弟が、どうしてこうも違うのか。
私は立ち上がってひざの埃を払い、再び広間を見下ろした。第三皇子が通った後の香の香りが、まだほんのりと残っているように思えた。