夜の京都を、沖田はふらふらと歩いていた。
町の灯りがゆらゆらと揺れ、闇に溶けていくようだった。
(僕は……どうすればいい?)
自分が暴走してしまったことが信じられなかった。新選組の仲間を斬ってしまったという事実が、胸に重くのしかかる。
土方の言葉が何度も頭の中で反響する。
「それとも……てめえは妖として生きるつもりか?」
沖田は知らず知らずのうちに、自分の手を見つめていた。
震えていた。
剣を握るこの手が、次は誰を斬るか分からない。
「っ……!」
沖田は思わず、壁に拳を叩きつけた。
何もかもが嫌になりそうだった。
人として生きたい。
だけど、妖としての力が暴走する。
(……僕は、本当に新選組にいてもいいのかな。)
考えたくもない疑問が、心の中に広がる。
「おやおや、そんな顔をするとは……沖田総司ともあろう者が。」
突如、闇の中から聞こえた声に、沖田はハッと顔を上げた。
月明かりの下、そこにいたのは黒い着物をまとった男だった。
細身の体に、切れ長の目。手には漆黒の扇を持ち、どこか楽しげな表情をしている。
「……誰?」
沖田は剣に手をかけながら、低く問いかけた。
男はクスリと笑い、扇で口元を隠す。
「僕かい? そうだね……まぁ、君と同じ側の者、かな?」
「同じ側?」
沖田が眉をひそめると、男はゆっくりと扇を閉じ、空に掲げた。
「君はまだ気づいていないのかい? この世にはね、人と妖の狭間で揺れる者が、君だけではなくいるのだよ。」
「……!」
沖田の心臓が、一瞬止まるような感覚を覚えた。
男の背後に、何か異様な気配を感じたからだ。
風が吹き抜け、闇がうねるように揺れる。
男の周囲に漂うのは、まるで沖田自身が持つ“妖”の気配に似ていた。
「君は選ばなければならない。人として生きるのか、それとも――」
男が微笑みながら、ゆっくりと歩み寄る。
「妖として生きるのか。」
沖田の背筋に、冷たいものが走る。
(この男……何者なんだ?)
本能が告げている。
『こいつは危険だ』 と。
沖田はゆっくりと剣を抜き、構えた。
「……僕は、人間として生きる。」
その言葉を口にした瞬間、男は一瞬、悲しげな表情を見せた。
「そうか。」
そして次の瞬間――
沖田の前に、無数の影がうごめき始めた。
「では、証明してもらおうか。」
男の声が響くと同時に、黒い影が沖田に襲いかかった――。
黒い影がうごめきながら沖田に迫る。
その気配は、人のものではなかった。まるで闇そのものが意思を持ち、沖田を絡め取ろうとするかのようだった。
沖田はすぐさま踏み込んで一閃する。
「――斬る!」
刃が影を切り裂くが、手応えはない。切り裂いたはずの影は霧のように散り、再び形を成していく。
(なんだ、これは……!)
沖田の背筋に冷たい汗が流れる。
「君の力がどれほどのものか、確かめさせてもらおう。」
男は微笑みながら、黒い扇をゆっくりと開いた。
その瞬間、影がまるで生き物のようにうねり、沖田を包み込もうとする。
「チッ……!」
沖田はすぐに後ろへ飛び退いたが、影は追いすがるように伸びてきた。
まるで、獲物を逃がさないという意思を持っているかのようだった。
(くそっ、普通の剣じゃダメなのか……!)
沖田は息を整え、再び剣を構えた。
だが――
「……やっぱり、抗うんだね。」
男の声が静かに響く。
次の瞬間、影が沖田の腕に絡みつき、じわじわと締め上げるように食い込んできた。
「ぐっ……!」
強い妖気が腕を伝い、沖田の中の“何か”が軋むようにうずく。
(まずい……このままだと……!)
意識の奥底から、黒い何かが浮かび上がってくるのを感じる。
それは理性では抑えきれない、獣のような衝動だった。
「ほら、君の中にもあるだろう?」
男の声が、静かに囁く。
「“妖”としての本能が。」
その言葉が引き金になったかのように、沖田の中の力が一気に解放される。
「――っ!!!」
瞬間、沖田の体から膨大な妖気が弾けた。
まるで炎が燃え上がるように、銀色の妖気が辺りを包み込む。
黒い影が焼かれ、消滅していく。
男はそれを見つめながら、ふっと口角を上げた。
「やっぱり、君は面白い。」
沖田の瞳が、淡い金色に染まる。
その姿は、まさしく“妖狐”のものだった。
(僕は……また……!)
自分の中で何かが壊れていくような感覚に、沖田は目を見開いた。
だが――
今は、目の前の敵を倒さなければならない。
理性の揺らぎを押し殺し、沖田は再び男に剣を向けた。
「……次は、お前を斬る。」
男は笑いながら、一歩後ろへと下がった。
「それは楽しみだ。でも、今夜はここまでにしよう。」
男が扇を振ると、黒い霧が辺りに広がる。
沖田はすぐに追おうとするが、霧が視界を奪い、男の姿は消えていた。
静寂が戻る。
沖田は荒い息をつきながら、剣をゆっくりと下ろした。
(……僕は、どうなるんだろう。)
妖としての力を暴走させてしまった自分。
これを知れば、土方や近藤はどう思うのか――。
いや、それ以前に、自分はまだ“人”としてここにいられるのか。
沖田は拳を握りしめ、夜の京都を見つめた。
闇の中で、答えはまだ見えないままだった。


