碧洋学園は夏休みに入った。

 珍しく沙羅は図書館にいた。
 最近、動画で見た古い洋楽ロックの歌詞が妙に意味深で、検索しても納得のいく解釈が見つからなかったのだ。

 「英国ロック大全」を手に取り、閲覧室へ向かう。

――ん?

 入口から中を見渡すと、啓斗が座っているのが目に入った。

 勉強でもしているのだろうか。

「啓斗? 勉強?」

 沙羅はさりげなく近づいて、啓斗の机をのぞき込んだ。

「いや、今はこれ読んでる」

 啓斗の手元には、意外にも小説があった。

「……小説?」

 本のタイトルをちらっと見ると、『白衣の陰影』。

「え、もしかして医療系?」

「手術の手順の描写が詳しくて面白いんだよ」

「……いや、楽しむとこ、そこじゃなくない?」

 沙羅が思わずツッコミを入れつつ、啓斗の隣に座り、「英国ロック大全」を開き、該当の曲を探す。

――ギリシャ神話を下敷きにして作られた詩? どうりで意味がわからんわけだ。

 このまま二人でお茶でも……なんて淡い期待を抱いた矢先——。

「あれ、啓斗も図書館で勉強?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、真帆が立っていた。

「沙羅、なんでここにいるの?」

 その言葉に、沙羅は内心ムッとする。
――それ、こっちのセリフだよ。

「ちょっと調べもの」

 少し不機嫌に答えると、真帆は気にする様子もなく、啓斗の反対側にすっと座り、ノートを開いた。

「私も勉強するわ」

 沙羅はチラッと横目で啓斗を見た。

   ◇◇

 それからしばらく、三人はそれぞれの本に没頭していた。

 沙羅は、本来の目的であった曲の意味をすでに理解していたが、閲覧室を出る気にはなれなかった。
 なんとなくページをめくり続け、別の曲の解説を読むふりをする。

 一方、真帆もまた、問題集を開いたまま微動だにしない。

――絶対、帰るタイミング見計らってるでしょ。

 沙羅はチラッと真帆を見やる。
 しかし、真帆も同じように沙羅の様子をうかがっていた。

――負けるもんか!

 沙羅は、真帆と啓斗と二人きりになることを避けようと、粘り続ける。

――多分、真帆も粘ってるんだよね……

 そして——。

「……ふぅ、読み終わった」

 突然、啓斗が小説を閉じた。

 沙羅と真帆が、同時に彼を見上げる。

「じゃあ」

 啓斗は立ち上がると、特に何の迷いもなく、そそくさと図書館を後にした。

「……え?」

 沙羅と真帆は、ぽかんとした顔で彼の背中を見送る。

「……あんたのせいで、帰るタイミング逃したじゃないの」

「そっちこそ!」

 小声で言い合いながらも、結局二人は、しばらく無言のまま本をめくり続けた——。