うーん。なんか、気になるなぁ。
なにが気になるかって?
ここ最近、いつも天真爛漫な陽人さまの元気がない気がするんだ。
陽人さまは、とても無邪気で、甘えたがりなところがある。
この前もすれちがったとき、『ひなさん、悠真兄と一緒にカフェにいったってほんと!? 悠真兄ばっかりずるいーー! ねえ、僕ともお出かけしよ?』とかわいらしくお願いされて、ドギマギしてしまった。『あれはお仕事をすこし手伝っていただいただけです』と冷静に言いかえして、なんとか納得してもらったけど、『ふーん……?』ってちょっとふてくされていた気が。いや、これ以上考えるのはやめておこう。
そんな、天使でちょっと小悪魔な陽人さまの様子が、この数日間ヘンなのだ。
すれ違っても、ぜんぜん声をかけてこないし。
ボーッとしながら歩いてきて、洗濯カゴを抱えたわたしとぶつかりそうになったこともある。
『ごめん、ひなさん……!』と慌てながら、散らばった洗濯物を一緒に拾ってくれたところは、いつもどおりのやさしい陽人さまだったけど。拾い終えた瞬間に、すぐ立ち去ってしまった。
極めつきは、三時のおやつのプリンを食べなかったこと!
いつもウキウキしながら、こっちがとろけてしまいそうに愛らしい笑みを浮かべて食べているのに、今日は『プリン? ありがとう。でも、今日はいいや。お腹すいてない』と言って、すぐに自分のお部屋へ引っこんでしまったのだ。
思わず、ぽかんとしてしまった。
これは、事件だ……!
一流のシェフが作っている藤堂家の豪華なご飯よりもプリンを愛している気さえする陽人さまが、大好きなプリンを食べずに部屋へ引っこんでしまうなんて!!
「ひなちゃん、どうかしたの?」
「あっ、いえ。なんでもないです」
「そう? なにか困りごとがあったら、すぐに相談してね!」
いけない、すみれさんまで心配させてしまった。
そんなに眉間にしわが寄っていたかな?
藤堂家でメイドとして働き出してから、以前よりも、感情が顔に出やすくなっている気がする。良くも悪くも、心動かされる瞬間が多くなっていた。
一瞬、すみれさんにも陽人さまの異変を共有しようか迷ったけど、やめておいた。
わたしの早とちりかもしれないし。そうじゃないとしても、陽人さま自身の気持ちを確認してからのほうがいいと思ったから。
よし。
この件は、わたしが独自に調査を進めよう。
陽人さまの挙動に注目しはじめてから数日後。
廊下を歩いていたら、急に大きな手のひらで目隠しをされて、ドキッとした。
えっ! なにごと!?
恐怖と驚きのあまり固まってしまったら、背後から楽しそうな声が聞こえてきた。
「だーれだ♩」
「……玲央さま。業務中のメイドをからかうのは、ほどほどにしてください」
「ちぇっ。もっと驚いてくれてもいいのに、つまらないなぁ」
すこし低めの色っぽい声で、すぐにわかった。
そもそも、こんな意地悪を仕掛けてきそうなのは玲央さまくらいだしね。
彼はわたしを解放すると、今度は真正面に周りこんできた。
いつ見ても、圧倒されるほど華やかな容姿だ。
見た目だけは、完ぺきに王子さま。
「ねえ、ひなちゃん。さすがに、俺のことを放置しすぎじゃないかな?」
「おっしゃっている意味がよくわかりません。玲央さまに構うことはわたしの職務内容に含まれていなかったはずですが」
「ふふっ、言うねえ。いつもチヤホヤされまくってるから、女の子にここまで邪険にされるのは人生で初めてだよ」
モテ自慢も、ここまでくると一周まわってすがすがしい。
実際、中学校に藤堂家の三兄弟みたいなきらきら男子が在籍していたら、ものすごく注目を集めるだろう。
「俺を構うことが職務内容に含まれていないとしたら、悠真とカフェに行ったらしいことはどうなるんだろうね?」
うっ。
痛いところをつかれて、つい反応してしまう。
「あとは、最近、やけに陽人のことを気にしているよね?」
どうして、そんなことまでわかるの!?
鋭すぎて、もはや若干の恐怖を感じる。
でも、しらばっくれるしかない。
「……なんのことでしょう。わかりかねます」
「ふーん。答える気がないなら、まあいいや」
「もう行ってもいいですか?」
「ほんとにツレないなぁ。でも、逆に新鮮かも。難攻不落なきみを、ゆっくり時間をかけて落とすのも悪くはないね」
玲央さまは、余裕たっぷりに微笑んだ。
その魔性の笑みに、悔しいけどドキッとして固まってしまう。
呆けていたら、すれ違いざまにこんなことを耳打ちされた。
「陽人のことを気にしているきみに、いいことを教えてあげる。倉庫の裏に通ってみるといいよ」
退勤後。
早速、怜央さまのアドバイス通りに、屋敷の外にある倉庫の裏のほうまでやってきた。
素直に従うのはすこし癪だったものの、怜央さまが観察眼に優れているのは間違いない。
でも、こんなところに、陽人さまの異変の原因が本当にあるんだろうか?
それとも、意地悪な怜央さまに、からかわれているだけ……?
首をかしげながら、倉庫の裏をのぞこうとした、そのときだった。
「にゃぁ……」
「モカ、大丈夫……? 今日も食べる元気がないのかぁ」
!!
この声は……、陽人さまと、猫?
わたしの立てた足音が大きかったせいで、気配を察した陽人さまが急に慌てはじめた。
「!? 待って、誰か来たみたいっ。モカ、その中に隠れていて」
「その必要はありません」
「えっ……。ひなさん!?」
逃げ出される前に踏み出せば、ほわほわした茶色の毛並みの猫を抱えた陽人さまが目をまるくしていた。
陽人さまが猫を抱えていらっしゃる!
かわいいが渋滞していて絵面が神!
って、いやいや……。
そんなのんきなことを思っている場合じゃないよね。
「申し訳ございません。最近、陽人さまが元気なさそうに見えたので、すこし後をつけさせていただきました」
「そう、だったんだ。……僕、そんなにわかりやすかったかな?」
「いえ、他のメイドは気がついていませんよ」
怜央さまにはお見通しだったようだけど、あえてそのことは口にしない。
「ひなさんは、どうして?」
「陽人さまが、大好きなプリンを召し上がられなかったので。気になりました」
彼は大きな瞳をパチパチとまたたいて、照れたように笑った。
「ふふっ。ひなさんって、クールそうに見えるのに、ひとのことをよく見てるんだね」
「……過大評価です」
「ううん、すごくやさしいと思うな。僕、好きになっちゃいそうだもん」
さらりと、とんでもないことを言わないでほしい。
ドキッとしてしまうから。
「冗談はほどほどに。わたしはただのメイドですよ?」
「そうかなぁ。悠真兄と怜央兄も、きみのことを特別に気にかけていると思うけどね」
陽人さまは、抱えた猫を見つめながら、またしょんぼりとした顔をした。
「もう隠せないから正直に言うけど、僕、家には内緒でこの子を飼っているの。モカはね、うちの屋敷の門の前に、捨てられていたんだよ。小学校から帰ってきたときに、僕が見つけたの」
「屋敷の門の前に……?」
「そう。うちなら広いし、誰かが拾ってくれると思ったのかもね」
「でも……、陽人さまは、このことを家には内緒にしているんですよね?」
「うん。お母さまが、ペットを飼うことはゆるしてくれなかったの。お母さまも、昔に猫を飼っていたみたいなんだけど、亡くなったときに心にぽっかりと穴があいたみたいだったから。僕に同じ思いはさせたくないって」
なるほど……。
お母さまの言い分にも共感できるだけに、言葉が見つからなくなる。
「でも……、どうしても、モカを手放したくなかった」
「だから、内緒で飼うことにしたんですね?」
「そう。僕は、お母さまの言いつけを破っている悪い子なんだよ」
そっか。
陽人さまは、罪悪感を抱きながら、モカを守ってきたんだ。
天真爛漫で明るい一面しか知らなかっただけに、心がざわざわと揺れる。
できることなら、落ちこんでいる彼の力になってあげたいと思った。
「陽人さまは、悪い子じゃないです。少なくとも、その猫ちゃんにとってはヒーローです」
「……でも、みんなに内緒にしているんだよ? いざ、この子が元気なさそうにしていても、なにもしてあげられないし」
みんなに内緒にしている、ウソをついている。
ひみつを抱えているという罪悪感に苛まれている彼に、親近感を抱いてしまった。
わたしなんて、ほんとは三兄弟の誰かの婚約者なのに、メイドのフリをしてみんなを騙しているのだ。
それでも……、この選択を後悔はしていない。
最初は、なんとしてでも婚約破棄の理由を探すためだった。
でも、今は。
婚約者としてではなく、メイドのひなだからこそ見られる、彼らの素顔があるのではないかと考えている。
「ひみつには、罪悪感がつきまといます。誰かを傷つけるひみつはよくないけれど、陽人さまのウソは、その猫ちゃんを守るためです。内緒にしてでも、成し遂げたいことだった。ただ、それだけではないですか?」
陽人さまは呆気にとられたように、ぽかんとした表情をした。
あれ。
なんか熱が入って語っちゃったけど……、そんなにヘンなことを言ったかな?
不安になってきたそのとき、陽人さまがぽつりと言葉を漏らした。
「ひなさんは、すごいね。そんな風に考えたことは、なかったなぁ」
大きな瞳に、きらきらとした輝きが灯っていく。
「モカのことは大切だけど、今まで、心のどこかで悪いことをしてるんじゃないかって気持ちがぬぐえなかったんだ。だから、きみの言葉に救われたよ。ありがとう! なんだか胸が軽くなったよ」
ぎゅっとモカを抱きしめる陽人さまに、ホッとして胸があたたまる。
よかったなぁ。
あとは、モカが元気になれば万事解決だ。
「陽人さま。よろしければ、モカさんをお預かりしてもよろしいですか?」
「えっ?」
「個人的な伝手で、動物病院をあたってみます」
「で、でも……メイドとして働いてるひなさんに、そんなことまでお願いするわけには」
「大丈夫だから、安心してください。ひみつはお守りします」
陽人さまは迷うようなそぶりだったけど、モカを託してくれた。
わたしは、こっそりとモカを連れて、すぐに頼れる人物へと連絡を送った。
「ひより~~、お仕事お疲れさまーーー! って、猫!? 猫×ひよりの組合せ最高にかわいい尊いけど、どうしたの? まさか、ひよりが拾ったの!?」
「お兄ちゃん、早速駆けつけて来てくれてありがとう! 説明してる時間はあんまりないんだけど、この子を一緒に動物病院に連れていってほしいの!」
「なんかよくわからないけど、了解! ひよりの頼みなら、なんでも聞いちゃう!!」
ちょろい……あ、いや、やさしいお兄ちゃんがいてよかった。
藤堂家のすぐ近くで律お兄ちゃんと待ち合わせたわたしは、早速、動物病院へと向かった。
わたし一人で連れていってもよかったのかもしれないけど、律お兄ちゃんに同行してもらって正解だったよ。
すぐに前提をのみこんだ上で、『数日前から飼い猫のモカの体調が悪くて……』と切なげな表情で獣医さんに堂々とウソを語る姿は頼もしかったな。
祈るような気持ちで聞いた診断結果は、軽い風邪とのこと。
あたたかいところで安静にしていればすぐに治ると聞いて、ホッとした。
病院を出て、あらかじめ陽人さまから聞いていたお屋敷への抜け道からモカを倉庫の裏に帰す。
陽人さまにモカの診断結果を連絡したら、すぐに返事がかえってきた。
『軽い風邪だったんだね、よかったぁ。本当に本当にありがとう……! 念のために、モカには外じゃなくて、倉庫の中にいてもらうようにするね。ひなさんは僕の救世主だよ』
「よかったぁ……。陽人さま、すごく喜んでくれてる」
かわいいスタンプも一緒に送られてきて、思わず微笑んだら、律お兄ちゃんが横やりをいれてきた。
「藤堂家のメイドって、猫の世話までさせられるの? 中学校に通いながら、大変じゃない?」
「ううん。これはお仕事じゃなくて、わたしのボランティアみたいなものなの。お兄ちゃんも巻きこんじゃって、ごめんね? 貸してもらったお金は、もうすぐもらえるお給料でちゃんと返すから」
律お兄ちゃんは目をぱちくりさせたあと、ふっと笑った。
「なんか、ひより変わったね」
「どこが? 変わってはないと思うけど」
「いや、変わったよ。だって、助けようと思った陽人さまって、男でしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
陽人さまは性別を超えた天使という感じだから、男の子だけどそんなに苦手意識はなかった。
こうしてあらためて直球で聞かれると、急に口ごもってしまう。
「藤堂怜央の兄弟だっけ? その時点でなんかいけ好かないなぁ」
「陽人さまは、怜央さまとの血のつながりを感じさせない天使だから」
「あれの弟がかわいいなんて信じられないけど……。なんていうか、意外と楽しそうに働いてて、安心したよ。辛かったら、メイドも、婚約者も、全部投げ出していいよって言おうと思ってたけどね」
「それは、大丈夫。わたし、まだあのお屋敷で働いてみたいから」
自然とその言葉が出てきたことに、自分でも驚いた。
すこし前までは、婚約を破棄さえできれば、なんでもいいとすら思っていたのに。
今は、わたしの婚約者ってどんなひとなのかな? という興味の気持ちがないといったらウソになる。
言われてみれば、たしかに変わったのかも。
「そっかぁ。お兄ちゃんとしてはさびしーけど、ひよりの幸せを一番に願っているよ。ただし、藤堂怜央がひよりの婚約者だった場合だけはゆるせない」
「ふふっ」
玲央さまだった場合は、身構えてしまうかもしれないな。
でも……、今回、わたしに倉庫の裏のことを教えてくれたのも彼だ。
陽人さまのひみつを彼だけは知っていて、その上で、自分は手を下せないけど解決するようにわたしの背中を押したようにとらえられなくもない。
すごくわかりづらいけど、実はやさしい……とか?
うーん、よくとらえすぎかな。
玲央さまは、三兄弟の中でも、一番つかみどころのないひとだ。
それから数日後の、次の出勤日。
陽人さまからの連絡で、モカが元気になったと聞いていたので、退勤後にこっそり様子を見にいこうとウキウキしながら、屋敷の門をくぐりぬけたそのときだった。
「ひなさんーーー!」
「うわっ! は、陽人さま!?」
突進してきたうえに、突然、ギュッと抱きつかれて動揺してしまう。
ふわりと、日だまりにいるような、いい香りが鼻をくすぐった。
『だって、助けようと思った陽人さまって、男でしょ?』
なんでこんなときに限ってお兄ちゃんの言葉を思い出すの……!
「モカ、すっかり元気になったよ。本当の本当に、ありがとうね!」
花が咲いたような満面の笑みを至近距離でくらって、顔が熱くなる。
陽人さま。元気になったのはとってもいいことだけど、ちょっと距離が近すぎませんか!?
「それは、よかったです。あ、あの、陽人さま」
「ん~?」
「誰が見ているわかりませんので、すこし、離れてもらえませんか……?」
「えー。やだ!」
そんなストレートにやだって言われるとは思ってなかった!
彼は、離れるどころか、甘えるようにわたしの身体をギュッと抱きしめた。
「ねえ。僕、ひなさんのこと、本気で好きかも」
急に声のトーンがいつもよりすこし低くなって、ドギマギしてしまう。
「答えようとしなくていいよ? ひなさんを困らせるだけだって、わかってるしね」
わたしを見つめてくる陽人さまの瞳は心なしかとろんとしていて、白い頬は薄桃色に染まっている。
どうしよう……。
今まで、陽人さまは天使としか思っていなかったけど……、実は小悪魔なのでは!?
「メイドさんを好きになったらいけないのかな? ひなさんみたいな子が婚約者だったら、いいのに」
!
飛び出てきたまさかのワードに、動揺したその瞬間だった。
「陽人、あざとい」
突然、陽人さまの温もりが離れていく。
何が起きたのかと思えば、わたしにひっついていた陽人さまの首根っこを、悠真さまがつかんで引きはがしたらしかった。
「わっ! 悠真兄、なにするのー」
「ひなにセクハラするな。かわいい枠だからって、なにしてもゆるされるわけじゃない」
「えー? セクハラじゃないよ~! 感謝の抱擁だもん」
「同じだろ」
突然の悠真さまの登場に、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。
悠真さま……、いま、『ひな』って呼んだよね?
わたしが驚いた顔をしていたからだろう。悠真さまが首をかしげた。
「なに?」
「いや。……いま、名前で呼んでくださったなって」
「ああ……」
彼は気まずそうに視線をそらして、ボソッと呟いた。
「兄弟の中で、オレだけ呼んだことなかったから。……ベツに、深い意味とかはない」
そう言って、陽人さまをほとんど無理やり引き連れながら、悠真さまは屋敷の中へと入っていった。
名前を呼んでくれたのも驚いたけど、悠真さま、なんだかいつもよりもフキゲンそうだったような……?
気のせい、かなぁ。
なにが気になるかって?
ここ最近、いつも天真爛漫な陽人さまの元気がない気がするんだ。
陽人さまは、とても無邪気で、甘えたがりなところがある。
この前もすれちがったとき、『ひなさん、悠真兄と一緒にカフェにいったってほんと!? 悠真兄ばっかりずるいーー! ねえ、僕ともお出かけしよ?』とかわいらしくお願いされて、ドギマギしてしまった。『あれはお仕事をすこし手伝っていただいただけです』と冷静に言いかえして、なんとか納得してもらったけど、『ふーん……?』ってちょっとふてくされていた気が。いや、これ以上考えるのはやめておこう。
そんな、天使でちょっと小悪魔な陽人さまの様子が、この数日間ヘンなのだ。
すれ違っても、ぜんぜん声をかけてこないし。
ボーッとしながら歩いてきて、洗濯カゴを抱えたわたしとぶつかりそうになったこともある。
『ごめん、ひなさん……!』と慌てながら、散らばった洗濯物を一緒に拾ってくれたところは、いつもどおりのやさしい陽人さまだったけど。拾い終えた瞬間に、すぐ立ち去ってしまった。
極めつきは、三時のおやつのプリンを食べなかったこと!
いつもウキウキしながら、こっちがとろけてしまいそうに愛らしい笑みを浮かべて食べているのに、今日は『プリン? ありがとう。でも、今日はいいや。お腹すいてない』と言って、すぐに自分のお部屋へ引っこんでしまったのだ。
思わず、ぽかんとしてしまった。
これは、事件だ……!
一流のシェフが作っている藤堂家の豪華なご飯よりもプリンを愛している気さえする陽人さまが、大好きなプリンを食べずに部屋へ引っこんでしまうなんて!!
「ひなちゃん、どうかしたの?」
「あっ、いえ。なんでもないです」
「そう? なにか困りごとがあったら、すぐに相談してね!」
いけない、すみれさんまで心配させてしまった。
そんなに眉間にしわが寄っていたかな?
藤堂家でメイドとして働き出してから、以前よりも、感情が顔に出やすくなっている気がする。良くも悪くも、心動かされる瞬間が多くなっていた。
一瞬、すみれさんにも陽人さまの異変を共有しようか迷ったけど、やめておいた。
わたしの早とちりかもしれないし。そうじゃないとしても、陽人さま自身の気持ちを確認してからのほうがいいと思ったから。
よし。
この件は、わたしが独自に調査を進めよう。
陽人さまの挙動に注目しはじめてから数日後。
廊下を歩いていたら、急に大きな手のひらで目隠しをされて、ドキッとした。
えっ! なにごと!?
恐怖と驚きのあまり固まってしまったら、背後から楽しそうな声が聞こえてきた。
「だーれだ♩」
「……玲央さま。業務中のメイドをからかうのは、ほどほどにしてください」
「ちぇっ。もっと驚いてくれてもいいのに、つまらないなぁ」
すこし低めの色っぽい声で、すぐにわかった。
そもそも、こんな意地悪を仕掛けてきそうなのは玲央さまくらいだしね。
彼はわたしを解放すると、今度は真正面に周りこんできた。
いつ見ても、圧倒されるほど華やかな容姿だ。
見た目だけは、完ぺきに王子さま。
「ねえ、ひなちゃん。さすがに、俺のことを放置しすぎじゃないかな?」
「おっしゃっている意味がよくわかりません。玲央さまに構うことはわたしの職務内容に含まれていなかったはずですが」
「ふふっ、言うねえ。いつもチヤホヤされまくってるから、女の子にここまで邪険にされるのは人生で初めてだよ」
モテ自慢も、ここまでくると一周まわってすがすがしい。
実際、中学校に藤堂家の三兄弟みたいなきらきら男子が在籍していたら、ものすごく注目を集めるだろう。
「俺を構うことが職務内容に含まれていないとしたら、悠真とカフェに行ったらしいことはどうなるんだろうね?」
うっ。
痛いところをつかれて、つい反応してしまう。
「あとは、最近、やけに陽人のことを気にしているよね?」
どうして、そんなことまでわかるの!?
鋭すぎて、もはや若干の恐怖を感じる。
でも、しらばっくれるしかない。
「……なんのことでしょう。わかりかねます」
「ふーん。答える気がないなら、まあいいや」
「もう行ってもいいですか?」
「ほんとにツレないなぁ。でも、逆に新鮮かも。難攻不落なきみを、ゆっくり時間をかけて落とすのも悪くはないね」
玲央さまは、余裕たっぷりに微笑んだ。
その魔性の笑みに、悔しいけどドキッとして固まってしまう。
呆けていたら、すれ違いざまにこんなことを耳打ちされた。
「陽人のことを気にしているきみに、いいことを教えてあげる。倉庫の裏に通ってみるといいよ」
退勤後。
早速、怜央さまのアドバイス通りに、屋敷の外にある倉庫の裏のほうまでやってきた。
素直に従うのはすこし癪だったものの、怜央さまが観察眼に優れているのは間違いない。
でも、こんなところに、陽人さまの異変の原因が本当にあるんだろうか?
それとも、意地悪な怜央さまに、からかわれているだけ……?
首をかしげながら、倉庫の裏をのぞこうとした、そのときだった。
「にゃぁ……」
「モカ、大丈夫……? 今日も食べる元気がないのかぁ」
!!
この声は……、陽人さまと、猫?
わたしの立てた足音が大きかったせいで、気配を察した陽人さまが急に慌てはじめた。
「!? 待って、誰か来たみたいっ。モカ、その中に隠れていて」
「その必要はありません」
「えっ……。ひなさん!?」
逃げ出される前に踏み出せば、ほわほわした茶色の毛並みの猫を抱えた陽人さまが目をまるくしていた。
陽人さまが猫を抱えていらっしゃる!
かわいいが渋滞していて絵面が神!
って、いやいや……。
そんなのんきなことを思っている場合じゃないよね。
「申し訳ございません。最近、陽人さまが元気なさそうに見えたので、すこし後をつけさせていただきました」
「そう、だったんだ。……僕、そんなにわかりやすかったかな?」
「いえ、他のメイドは気がついていませんよ」
怜央さまにはお見通しだったようだけど、あえてそのことは口にしない。
「ひなさんは、どうして?」
「陽人さまが、大好きなプリンを召し上がられなかったので。気になりました」
彼は大きな瞳をパチパチとまたたいて、照れたように笑った。
「ふふっ。ひなさんって、クールそうに見えるのに、ひとのことをよく見てるんだね」
「……過大評価です」
「ううん、すごくやさしいと思うな。僕、好きになっちゃいそうだもん」
さらりと、とんでもないことを言わないでほしい。
ドキッとしてしまうから。
「冗談はほどほどに。わたしはただのメイドですよ?」
「そうかなぁ。悠真兄と怜央兄も、きみのことを特別に気にかけていると思うけどね」
陽人さまは、抱えた猫を見つめながら、またしょんぼりとした顔をした。
「もう隠せないから正直に言うけど、僕、家には内緒でこの子を飼っているの。モカはね、うちの屋敷の門の前に、捨てられていたんだよ。小学校から帰ってきたときに、僕が見つけたの」
「屋敷の門の前に……?」
「そう。うちなら広いし、誰かが拾ってくれると思ったのかもね」
「でも……、陽人さまは、このことを家には内緒にしているんですよね?」
「うん。お母さまが、ペットを飼うことはゆるしてくれなかったの。お母さまも、昔に猫を飼っていたみたいなんだけど、亡くなったときに心にぽっかりと穴があいたみたいだったから。僕に同じ思いはさせたくないって」
なるほど……。
お母さまの言い分にも共感できるだけに、言葉が見つからなくなる。
「でも……、どうしても、モカを手放したくなかった」
「だから、内緒で飼うことにしたんですね?」
「そう。僕は、お母さまの言いつけを破っている悪い子なんだよ」
そっか。
陽人さまは、罪悪感を抱きながら、モカを守ってきたんだ。
天真爛漫で明るい一面しか知らなかっただけに、心がざわざわと揺れる。
できることなら、落ちこんでいる彼の力になってあげたいと思った。
「陽人さまは、悪い子じゃないです。少なくとも、その猫ちゃんにとってはヒーローです」
「……でも、みんなに内緒にしているんだよ? いざ、この子が元気なさそうにしていても、なにもしてあげられないし」
みんなに内緒にしている、ウソをついている。
ひみつを抱えているという罪悪感に苛まれている彼に、親近感を抱いてしまった。
わたしなんて、ほんとは三兄弟の誰かの婚約者なのに、メイドのフリをしてみんなを騙しているのだ。
それでも……、この選択を後悔はしていない。
最初は、なんとしてでも婚約破棄の理由を探すためだった。
でも、今は。
婚約者としてではなく、メイドのひなだからこそ見られる、彼らの素顔があるのではないかと考えている。
「ひみつには、罪悪感がつきまといます。誰かを傷つけるひみつはよくないけれど、陽人さまのウソは、その猫ちゃんを守るためです。内緒にしてでも、成し遂げたいことだった。ただ、それだけではないですか?」
陽人さまは呆気にとられたように、ぽかんとした表情をした。
あれ。
なんか熱が入って語っちゃったけど……、そんなにヘンなことを言ったかな?
不安になってきたそのとき、陽人さまがぽつりと言葉を漏らした。
「ひなさんは、すごいね。そんな風に考えたことは、なかったなぁ」
大きな瞳に、きらきらとした輝きが灯っていく。
「モカのことは大切だけど、今まで、心のどこかで悪いことをしてるんじゃないかって気持ちがぬぐえなかったんだ。だから、きみの言葉に救われたよ。ありがとう! なんだか胸が軽くなったよ」
ぎゅっとモカを抱きしめる陽人さまに、ホッとして胸があたたまる。
よかったなぁ。
あとは、モカが元気になれば万事解決だ。
「陽人さま。よろしければ、モカさんをお預かりしてもよろしいですか?」
「えっ?」
「個人的な伝手で、動物病院をあたってみます」
「で、でも……メイドとして働いてるひなさんに、そんなことまでお願いするわけには」
「大丈夫だから、安心してください。ひみつはお守りします」
陽人さまは迷うようなそぶりだったけど、モカを託してくれた。
わたしは、こっそりとモカを連れて、すぐに頼れる人物へと連絡を送った。
「ひより~~、お仕事お疲れさまーーー! って、猫!? 猫×ひよりの組合せ最高にかわいい尊いけど、どうしたの? まさか、ひよりが拾ったの!?」
「お兄ちゃん、早速駆けつけて来てくれてありがとう! 説明してる時間はあんまりないんだけど、この子を一緒に動物病院に連れていってほしいの!」
「なんかよくわからないけど、了解! ひよりの頼みなら、なんでも聞いちゃう!!」
ちょろい……あ、いや、やさしいお兄ちゃんがいてよかった。
藤堂家のすぐ近くで律お兄ちゃんと待ち合わせたわたしは、早速、動物病院へと向かった。
わたし一人で連れていってもよかったのかもしれないけど、律お兄ちゃんに同行してもらって正解だったよ。
すぐに前提をのみこんだ上で、『数日前から飼い猫のモカの体調が悪くて……』と切なげな表情で獣医さんに堂々とウソを語る姿は頼もしかったな。
祈るような気持ちで聞いた診断結果は、軽い風邪とのこと。
あたたかいところで安静にしていればすぐに治ると聞いて、ホッとした。
病院を出て、あらかじめ陽人さまから聞いていたお屋敷への抜け道からモカを倉庫の裏に帰す。
陽人さまにモカの診断結果を連絡したら、すぐに返事がかえってきた。
『軽い風邪だったんだね、よかったぁ。本当に本当にありがとう……! 念のために、モカには外じゃなくて、倉庫の中にいてもらうようにするね。ひなさんは僕の救世主だよ』
「よかったぁ……。陽人さま、すごく喜んでくれてる」
かわいいスタンプも一緒に送られてきて、思わず微笑んだら、律お兄ちゃんが横やりをいれてきた。
「藤堂家のメイドって、猫の世話までさせられるの? 中学校に通いながら、大変じゃない?」
「ううん。これはお仕事じゃなくて、わたしのボランティアみたいなものなの。お兄ちゃんも巻きこんじゃって、ごめんね? 貸してもらったお金は、もうすぐもらえるお給料でちゃんと返すから」
律お兄ちゃんは目をぱちくりさせたあと、ふっと笑った。
「なんか、ひより変わったね」
「どこが? 変わってはないと思うけど」
「いや、変わったよ。だって、助けようと思った陽人さまって、男でしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
陽人さまは性別を超えた天使という感じだから、男の子だけどそんなに苦手意識はなかった。
こうしてあらためて直球で聞かれると、急に口ごもってしまう。
「藤堂怜央の兄弟だっけ? その時点でなんかいけ好かないなぁ」
「陽人さまは、怜央さまとの血のつながりを感じさせない天使だから」
「あれの弟がかわいいなんて信じられないけど……。なんていうか、意外と楽しそうに働いてて、安心したよ。辛かったら、メイドも、婚約者も、全部投げ出していいよって言おうと思ってたけどね」
「それは、大丈夫。わたし、まだあのお屋敷で働いてみたいから」
自然とその言葉が出てきたことに、自分でも驚いた。
すこし前までは、婚約を破棄さえできれば、なんでもいいとすら思っていたのに。
今は、わたしの婚約者ってどんなひとなのかな? という興味の気持ちがないといったらウソになる。
言われてみれば、たしかに変わったのかも。
「そっかぁ。お兄ちゃんとしてはさびしーけど、ひよりの幸せを一番に願っているよ。ただし、藤堂怜央がひよりの婚約者だった場合だけはゆるせない」
「ふふっ」
玲央さまだった場合は、身構えてしまうかもしれないな。
でも……、今回、わたしに倉庫の裏のことを教えてくれたのも彼だ。
陽人さまのひみつを彼だけは知っていて、その上で、自分は手を下せないけど解決するようにわたしの背中を押したようにとらえられなくもない。
すごくわかりづらいけど、実はやさしい……とか?
うーん、よくとらえすぎかな。
玲央さまは、三兄弟の中でも、一番つかみどころのないひとだ。
それから数日後の、次の出勤日。
陽人さまからの連絡で、モカが元気になったと聞いていたので、退勤後にこっそり様子を見にいこうとウキウキしながら、屋敷の門をくぐりぬけたそのときだった。
「ひなさんーーー!」
「うわっ! は、陽人さま!?」
突進してきたうえに、突然、ギュッと抱きつかれて動揺してしまう。
ふわりと、日だまりにいるような、いい香りが鼻をくすぐった。
『だって、助けようと思った陽人さまって、男でしょ?』
なんでこんなときに限ってお兄ちゃんの言葉を思い出すの……!
「モカ、すっかり元気になったよ。本当の本当に、ありがとうね!」
花が咲いたような満面の笑みを至近距離でくらって、顔が熱くなる。
陽人さま。元気になったのはとってもいいことだけど、ちょっと距離が近すぎませんか!?
「それは、よかったです。あ、あの、陽人さま」
「ん~?」
「誰が見ているわかりませんので、すこし、離れてもらえませんか……?」
「えー。やだ!」
そんなストレートにやだって言われるとは思ってなかった!
彼は、離れるどころか、甘えるようにわたしの身体をギュッと抱きしめた。
「ねえ。僕、ひなさんのこと、本気で好きかも」
急に声のトーンがいつもよりすこし低くなって、ドギマギしてしまう。
「答えようとしなくていいよ? ひなさんを困らせるだけだって、わかってるしね」
わたしを見つめてくる陽人さまの瞳は心なしかとろんとしていて、白い頬は薄桃色に染まっている。
どうしよう……。
今まで、陽人さまは天使としか思っていなかったけど……、実は小悪魔なのでは!?
「メイドさんを好きになったらいけないのかな? ひなさんみたいな子が婚約者だったら、いいのに」
!
飛び出てきたまさかのワードに、動揺したその瞬間だった。
「陽人、あざとい」
突然、陽人さまの温もりが離れていく。
何が起きたのかと思えば、わたしにひっついていた陽人さまの首根っこを、悠真さまがつかんで引きはがしたらしかった。
「わっ! 悠真兄、なにするのー」
「ひなにセクハラするな。かわいい枠だからって、なにしてもゆるされるわけじゃない」
「えー? セクハラじゃないよ~! 感謝の抱擁だもん」
「同じだろ」
突然の悠真さまの登場に、まじまじと彼の顔を見つめてしまう。
悠真さま……、いま、『ひな』って呼んだよね?
わたしが驚いた顔をしていたからだろう。悠真さまが首をかしげた。
「なに?」
「いや。……いま、名前で呼んでくださったなって」
「ああ……」
彼は気まずそうに視線をそらして、ボソッと呟いた。
「兄弟の中で、オレだけ呼んだことなかったから。……ベツに、深い意味とかはない」
そう言って、陽人さまをほとんど無理やり引き連れながら、悠真さまは屋敷の中へと入っていった。
名前を呼んでくれたのも驚いたけど、悠真さま、なんだかいつもよりもフキゲンそうだったような……?
気のせい、かなぁ。


