「初めてのお仕事、お疲れさま! いや〜〜、思い出しただけでもドキドキするほど胸キュンだったねえ」
「……すみれさん。お仕事に対する感想ではないと思います」
さっきの出来事を思い出さないようにそっけなく告げれば、すみれさんはからからと笑った。
「まーまー。さっきは失敗しちゃったけど、初めてだったしね。気をとりなおして今度は他のお二人にも紅茶を出そう!」
すみれさんと二人で、次のターゲットである陽人さまを探していたら、廊下で思わぬ人物と遭遇した。
「お? 橘さんに、新入りメイドじゃん」
「あっ、玲央さま。ちょうどいいところに!」
すみれさん! 全然ちょうどよくないよー!
このひとの下に向かうのは最後って決めてたのに。まだ、心の準備ができてない……!
「あれ、俺になにか用だったの?」
「はい。先ほど、咲宮がアールグレイを淹れたのですが、よろしければいかがですか?」
玲央さまは、大きな瞳をパチパチとまたたいて、意味深に口角をつりあげた。
「へえ? 面白いじゃん」
面白いってなに! すでに感想が不安!!
玲央さまは王子さまスマイルを浮かべて、すぐ近くの部屋を指差した。
「これからそこの書斎で勉強しようかと思ってたんだよね。きみが淹れた紅茶、持ってきてもらえる?」
「……はい」
「あっ。橘さんは、書斎の外で待っていてもらってもいい? 橘さんとしては、なるべく早くこの子に独り立ちしてもらいたいでしょ」
お願いというか、ほぼ命令だよ。
「承知いたしました」
決めた。もしも玲央さまがわたしの婚約者だったら、『性格が悪そうだから無理!』って言いはろう。
玲央さまは、書斎に入ってすぐに、部屋の奥にある机の椅子に腰かけた。
「失礼いたします」
玲央さまには、今度こそまともに紅茶をお出しできた。
顔には出さないけど、内心めちゃくちゃホッとしていたら、玲央さまはじっとわたしを見つめてきて、ふっと微笑んだ。
「ふふっ。俺にはちゃんと運べたね? よくできました」
心臓がドクッと飛びはねる。
エッ。
この発言は、もしかして……。
「ははっ。さっき、屋敷からたまたま見えちゃったんだよねぇ。悠真、まるでドラマに出てくるヒーローみたいでかっこよかったね?」
なんかニヤニヤしてるし、完全にからかわれてるやつだ……!
ダメ、ここで反応したら負けだ。冷静に、冷静に。
「お見苦しいところをお見せしてすみません。悠真さまにはご迷惑をおかけしてしまいました。……以後、失敗しないように注意いたします」
「責めてるわけじゃないよ? まだ勤務初日なんだし、ミスは誰にでもあることでしょ。そうじゃなくて、悠真が、女の子をあんな風に助けるなんて珍しいと思っただけ」
「そうなのですか?」
「ははっ、さっきのことでもう悠真のことが気になってるの? クールそうに見えて、実はちょろいんだ。もしかして、紅茶をこぼしそうになったのすら計算だったりする?」
疲れる……。
怜央さまと話していると、普通のひとの二倍は疲れる。
「すみれさんをお待たせしているので、もう帰っていいですか?」
「ごめんごめん。怒らないでよ、ひなちゃん」
「……咲宮とお呼びください」
「ん~。苗字のことも悠真の反応も気になるし、 どうにも単にお金稼ぎのために働いている中学生メイドには見えないんだよねぇ。俺、ひなちゃんのことが気になるな」
怜央さまは物騒すぎる独り言をぼやきながら、やっとアールグレイに口をつけた。
その仕草だけを見ると本物の王子さまのように気品がある。いっそ喋らなければいいのに。
うう、反応はどうだろう。すみれさんが、怜央さまは紅茶の味に厳しいと言っていたから、やっぱり緊張しちゃうな。
怜央さまはカップから顔をあげると、わたしと視線を合わせて、余裕たっぷりに微笑んだ。
「そんなに見つめないでよ。照れちゃうでしょ?」
「照れません。味はいかがでしたか?」
「ふふっ。照れるのは、きみじゃなくて俺だよ」
ウソばっかり、と口からこぼれ出そうになるのをなんとかとどめる。
「味の感想? うーん、五十点ぐらいかな」
かなり頑張ったつもりだけど、それでも五十点……! 悔しい。
厳しいとは聞いていたけど、想像以上だ。この屋敷に、彼が百点を出す紅茶を淹れられるメイドはいるのだろうか。
「……精進いたします」
「すごいね、きみは。初日で及第点を出したのは、きみが初めてかも」
えっ。
予想外の反応に瞳をまたたけば、怜央さまはどこか和らいだ表情をしていた。不覚にもすこし戸惑ってしまう。
「紅茶の淹れ方を習ったことがあるの?」
「いえ。……十回、淹れなおしをしましたが」
「十回!? ははっ、すごすぎ。ひなちゃんは努力家さんなんだね?」
怜央さまはなぜか立ちあがって、わたしの目の前までやってきた。
間近で見ても、芸能人みたいにかっこいい。律お兄ちゃんとは違う方向性で、この性格でさえなければ……という感想を抱いてしまう。
「なにか?」
彼は、なにを思ったのか、すこしだけ屈んで急に耳打ちをしてきた。
「俺、ひなちゃんのこと、気にいっちゃった」
楽しそうに、でも、どこか甘い響きを持ったその言葉に、胸がドキッとする。
「はい?」
「クールそうに見えて努力家だし、メイドなのにちょっと不遜。すごくいい」
「……まったく褒められている気がしませんが」
「ふふっ。ねえ、悠真なんて気にするのはやめて、俺の専属メイドにならない? 退屈はさせないよ」
不覚にも、またドキッとしてしまう。
「そうやって日頃からメイドをたぶらかしているのですか?」
すこし動揺してしまったことが悔しくて、今まで以上に辛らつな口調になれば、怜央さまは大きな瞳をパチパチとまたたいた。
「あははっ。みんなにも言っているんじゃないかって? 安心して、こんな提案をしたのはきみが初めてだから」
ウソとも本気ともとれる口調に、心拍数が上がってしまう。
油断したら、思わず瞳がとろんとなって、うなずいてしまいそうな魔性の香りがする。
いや、ダメダメ! わたしってば、なに若干流されそうになってるの。流されたら終わりだってば!!
「嫌です、お断りいたします」
「あははっ、こんなにきっぱり振られたのも初めてかも。やっぱりいいなぁ」
失礼を承知で思いきり後ずさったのに、怜央さまは愉快そうに笑った。
「ひなちゃん! ずいぶん長いこと怜央さまにつかまっていたみたいだけど、大丈夫だった……?」
「は、はい……。なんとか」
あんな危険人物がわたしの婚約者候補かもしれないなんて、怖すぎる。やっぱり、メイドとして調査にきたのは正解だった。
「それは良かった! 怜央さまに紅茶を飲んでいただけた?」
「はい。五十点と言われてしまいましたが」
「ええええええっ⁉ あの怜央さまが、いきなり及第点を出したの?」
あれ? そこ、そんなに驚くんだ。
すみれさんは内緒話をするように声をひそめた。
「さきに伝えちゃうとひなちゃんに余計なプレッシャーを与えちゃうと思って言わずにいたんだけど……実は、怜央さまは新人メイド潰しとしても有名なんだ。新人メイドが紅茶を淹れてきても、『飲めたもんじゃない』ってつき返されることのほうが多くて、そのうち心が折れてやめちゃうの」
うーん。失礼かもしれないけど、イメージはそこまで変わらないな。
物騒なイメージに、より物騒が加わったというだけで。
「あたしも新米だったころは、何度もつきかえされたよ~」
「それは……大変でしたね」
「いや、怜央さまのご尊顔を職権で堂々と眺められるから幸せだったよ?」
幸不幸の基準って、ひとそれぞれなんだなぁ。
「厳しすぎて心折れちゃう子も多いみたいだけど、個人的には、ハッキリ指摘してくれることもやさしさだと思うよ。言っていることは真っ当で納得できるし、ただの理不尽ってわけでもないから。悠真さまや陽人さまみたいに甘いご主人さまばっかりじゃ、藤堂家のメイドの質が今より落ちていたと思う」
なるほど。
怜央さまがそこまで考えて発言しているのかはさておき、一理あるのかもしれない。
「そのようにとらえることができるすみれさんのような方がいて、怜央さまは救われましたね」
すみれさんと話しながらリビングを通ったそのとき、探していた人物がソファから立ちあがった。
「あっ! すみれさんと新人メイドのひなさんだ~~!」
陽人さまが愛らしい笑顔を浮かべて、ぱたぱたと駆けよってくる。
「ちょうどよかった。実は、陽人さまを探していたのです」
「そうだったの?」
「新人の咲宮が紅茶を淹れたので。よろしければ、召し上がりませんか?」
「ええーっ! 飲みたいーー! ありがとう〜〜!」
悠真さまや玲央さまと違って、明るくニコニコとしてくれる姿に癒される。大きな瞳を縁取るまつ毛が長くて、肌もすべすべだ。
「んー? 僕の顔、なにかついてる?」
「……失礼いたしました」
いけない。あまりに清らかなので、見つめすぎた。
陽人さまはソファに座りなおして、瞳をきらきらとさせながら、わたしが注いだ紅茶を口にした。
「ん〜〜、美味しいー! 初日でこんなに上手に淹れられるなんて、ひなさんはすごいね!」
笑顔が天才的にかわいい。
危うくほおがゆるみそうになるのをこらえる。
「せっかくのひなさんの初紅茶だったから最初はあえてストレートで飲んでみたけど、ほんとは甘いのが僕の好みなんだ〜。砂糖をとってもらっていい?」
「はい」
「ありがと!」
ニコニコとしながら砂糖をドバドバいれている姿もかわいい。なにをしてもかわいい。
小学六年生と言っていたから年はひとつしか変わらないと思うけど、顔だちと振る舞いが愛らしいので、もうすこし幼く感じる。お兄ちゃんたちのようにはならず、このままピュアに育ってほしい。
「喜んでいただけたようで、お世辞だとしてもうれしいです。ありがとうございます」
「お世辞じゃないよ〜。さっき、悠真兄もそう言ってたよ?」
思わぬ名前の登場に、また心拍数があがった。
視界の端ですみれさんが目をまるくしたのが見えた。
動揺しているのを悟られぬように、無表情を保ったまま確認する。
「……悠真さまは、なんて?」
まぁ、悠真さまからしたら、初日からドジを踏んでいたメイドという印象しかないだろうけど……。
「すごく美味しかったって言ってたよ! 勤務初日のはずなのに、どこかで習ったことがあるのかなってつぶやいてたし」
「そうですか」
ホッとして息をついたら、陽人さまがかわいらしく首をかしげた。
「ねえ。もしかして、紅茶を出したときに悠真兄となんかあった?」
「な、なぜですか?」
えええ、まだこの話つづくの!?
「いや? なんか悠真兄の顔がやけに赤くなってたから、体調でも悪いのかと思って心配したんだけど、気のせいだ!! って話をそらされちゃったんだよね〜。でも、ひなさんに関係あるわけないかぁ。ヘンなこと聞いてごめんね!」
「……。そうでしたか」
なんだろう。聞いてはいけないことを聞いてしまったようなこの感覚は……。
いや! 陽人さまの言うとおり、わたしには関係ないはず! ここで意識しだしたら、むしろ自意識過剰で失礼だろう。
「へえ〜〜? そうだったんですかぁ? 陽人さま、差し支えなければ、その話をもっと詳しく……」
「すみれさん。無事に紅茶の提供をしおえたので、わたしはこれで失礼いたします」
「あっ! ひなちゃん、ちょっと待ってよーー!」
すみれさんがよからぬ詮索をする前に、とっととお先に失礼する。
心なしか顔が熱くなっているのは、きっと気のせいだ。そうじゃないと、困る。
三兄弟それぞれに紅茶をお出ししたあと、他にどんな業務があるのかを簡単にすみれさんに教わっている途中で、今日のシフト勤務の終了時間となった。
中学生メイドという立場のわたしの本分は、あくまでも学業。勤務時間は、平日の学校帰りと土日のみで、疲れすぎないように日数も調整してもらったんだ。
そうはいっても、今日はさすがにアールグレイの淹れなおしに時間をかけすぎたけど……。
「初勤務、お疲れさまー! 初めてのお仕事、疲れたでしょ? あたしは、ひなちゃんみたいなまじめで有望そうな後輩ができてうれしいよー。これからも一緒にがんばろうね!」
多少のハプニングはあったものの、笑顔のすみれさんに見送られながら、藤堂家の広大な敷地をあとにする。
はあ。
やっぱり緊張していたのかな、一気に疲れがおそってきて、なんだか眠くなってきた。
初勤務の感想!
次男の悠真さまは、クールそうに見えて、意外と一メイドを気にかけるほどやさしい……? それとも、ただの偶然? ミステリアスなので要観察対象。
三男の陽人さまは、いまのところ、ただの天使。唯一の欠点は、彼が婚約者だった場合に、婚約を回避すべき理由がまったく見当たらないところだ。つまり、かわいすぎるのも罪ってこと……?
長男の玲央さまは、王子さまな外見に騙されることなかれ。わたしの中では最も危険人物だ。
うーん。
結局、わたしの婚約者はいったい誰なの!?
「……すみれさん。お仕事に対する感想ではないと思います」
さっきの出来事を思い出さないようにそっけなく告げれば、すみれさんはからからと笑った。
「まーまー。さっきは失敗しちゃったけど、初めてだったしね。気をとりなおして今度は他のお二人にも紅茶を出そう!」
すみれさんと二人で、次のターゲットである陽人さまを探していたら、廊下で思わぬ人物と遭遇した。
「お? 橘さんに、新入りメイドじゃん」
「あっ、玲央さま。ちょうどいいところに!」
すみれさん! 全然ちょうどよくないよー!
このひとの下に向かうのは最後って決めてたのに。まだ、心の準備ができてない……!
「あれ、俺になにか用だったの?」
「はい。先ほど、咲宮がアールグレイを淹れたのですが、よろしければいかがですか?」
玲央さまは、大きな瞳をパチパチとまたたいて、意味深に口角をつりあげた。
「へえ? 面白いじゃん」
面白いってなに! すでに感想が不安!!
玲央さまは王子さまスマイルを浮かべて、すぐ近くの部屋を指差した。
「これからそこの書斎で勉強しようかと思ってたんだよね。きみが淹れた紅茶、持ってきてもらえる?」
「……はい」
「あっ。橘さんは、書斎の外で待っていてもらってもいい? 橘さんとしては、なるべく早くこの子に独り立ちしてもらいたいでしょ」
お願いというか、ほぼ命令だよ。
「承知いたしました」
決めた。もしも玲央さまがわたしの婚約者だったら、『性格が悪そうだから無理!』って言いはろう。
玲央さまは、書斎に入ってすぐに、部屋の奥にある机の椅子に腰かけた。
「失礼いたします」
玲央さまには、今度こそまともに紅茶をお出しできた。
顔には出さないけど、内心めちゃくちゃホッとしていたら、玲央さまはじっとわたしを見つめてきて、ふっと微笑んだ。
「ふふっ。俺にはちゃんと運べたね? よくできました」
心臓がドクッと飛びはねる。
エッ。
この発言は、もしかして……。
「ははっ。さっき、屋敷からたまたま見えちゃったんだよねぇ。悠真、まるでドラマに出てくるヒーローみたいでかっこよかったね?」
なんかニヤニヤしてるし、完全にからかわれてるやつだ……!
ダメ、ここで反応したら負けだ。冷静に、冷静に。
「お見苦しいところをお見せしてすみません。悠真さまにはご迷惑をおかけしてしまいました。……以後、失敗しないように注意いたします」
「責めてるわけじゃないよ? まだ勤務初日なんだし、ミスは誰にでもあることでしょ。そうじゃなくて、悠真が、女の子をあんな風に助けるなんて珍しいと思っただけ」
「そうなのですか?」
「ははっ、さっきのことでもう悠真のことが気になってるの? クールそうに見えて、実はちょろいんだ。もしかして、紅茶をこぼしそうになったのすら計算だったりする?」
疲れる……。
怜央さまと話していると、普通のひとの二倍は疲れる。
「すみれさんをお待たせしているので、もう帰っていいですか?」
「ごめんごめん。怒らないでよ、ひなちゃん」
「……咲宮とお呼びください」
「ん~。苗字のことも悠真の反応も気になるし、 どうにも単にお金稼ぎのために働いている中学生メイドには見えないんだよねぇ。俺、ひなちゃんのことが気になるな」
怜央さまは物騒すぎる独り言をぼやきながら、やっとアールグレイに口をつけた。
その仕草だけを見ると本物の王子さまのように気品がある。いっそ喋らなければいいのに。
うう、反応はどうだろう。すみれさんが、怜央さまは紅茶の味に厳しいと言っていたから、やっぱり緊張しちゃうな。
怜央さまはカップから顔をあげると、わたしと視線を合わせて、余裕たっぷりに微笑んだ。
「そんなに見つめないでよ。照れちゃうでしょ?」
「照れません。味はいかがでしたか?」
「ふふっ。照れるのは、きみじゃなくて俺だよ」
ウソばっかり、と口からこぼれ出そうになるのをなんとかとどめる。
「味の感想? うーん、五十点ぐらいかな」
かなり頑張ったつもりだけど、それでも五十点……! 悔しい。
厳しいとは聞いていたけど、想像以上だ。この屋敷に、彼が百点を出す紅茶を淹れられるメイドはいるのだろうか。
「……精進いたします」
「すごいね、きみは。初日で及第点を出したのは、きみが初めてかも」
えっ。
予想外の反応に瞳をまたたけば、怜央さまはどこか和らいだ表情をしていた。不覚にもすこし戸惑ってしまう。
「紅茶の淹れ方を習ったことがあるの?」
「いえ。……十回、淹れなおしをしましたが」
「十回!? ははっ、すごすぎ。ひなちゃんは努力家さんなんだね?」
怜央さまはなぜか立ちあがって、わたしの目の前までやってきた。
間近で見ても、芸能人みたいにかっこいい。律お兄ちゃんとは違う方向性で、この性格でさえなければ……という感想を抱いてしまう。
「なにか?」
彼は、なにを思ったのか、すこしだけ屈んで急に耳打ちをしてきた。
「俺、ひなちゃんのこと、気にいっちゃった」
楽しそうに、でも、どこか甘い響きを持ったその言葉に、胸がドキッとする。
「はい?」
「クールそうに見えて努力家だし、メイドなのにちょっと不遜。すごくいい」
「……まったく褒められている気がしませんが」
「ふふっ。ねえ、悠真なんて気にするのはやめて、俺の専属メイドにならない? 退屈はさせないよ」
不覚にも、またドキッとしてしまう。
「そうやって日頃からメイドをたぶらかしているのですか?」
すこし動揺してしまったことが悔しくて、今まで以上に辛らつな口調になれば、怜央さまは大きな瞳をパチパチとまたたいた。
「あははっ。みんなにも言っているんじゃないかって? 安心して、こんな提案をしたのはきみが初めてだから」
ウソとも本気ともとれる口調に、心拍数が上がってしまう。
油断したら、思わず瞳がとろんとなって、うなずいてしまいそうな魔性の香りがする。
いや、ダメダメ! わたしってば、なに若干流されそうになってるの。流されたら終わりだってば!!
「嫌です、お断りいたします」
「あははっ、こんなにきっぱり振られたのも初めてかも。やっぱりいいなぁ」
失礼を承知で思いきり後ずさったのに、怜央さまは愉快そうに笑った。
「ひなちゃん! ずいぶん長いこと怜央さまにつかまっていたみたいだけど、大丈夫だった……?」
「は、はい……。なんとか」
あんな危険人物がわたしの婚約者候補かもしれないなんて、怖すぎる。やっぱり、メイドとして調査にきたのは正解だった。
「それは良かった! 怜央さまに紅茶を飲んでいただけた?」
「はい。五十点と言われてしまいましたが」
「ええええええっ⁉ あの怜央さまが、いきなり及第点を出したの?」
あれ? そこ、そんなに驚くんだ。
すみれさんは内緒話をするように声をひそめた。
「さきに伝えちゃうとひなちゃんに余計なプレッシャーを与えちゃうと思って言わずにいたんだけど……実は、怜央さまは新人メイド潰しとしても有名なんだ。新人メイドが紅茶を淹れてきても、『飲めたもんじゃない』ってつき返されることのほうが多くて、そのうち心が折れてやめちゃうの」
うーん。失礼かもしれないけど、イメージはそこまで変わらないな。
物騒なイメージに、より物騒が加わったというだけで。
「あたしも新米だったころは、何度もつきかえされたよ~」
「それは……大変でしたね」
「いや、怜央さまのご尊顔を職権で堂々と眺められるから幸せだったよ?」
幸不幸の基準って、ひとそれぞれなんだなぁ。
「厳しすぎて心折れちゃう子も多いみたいだけど、個人的には、ハッキリ指摘してくれることもやさしさだと思うよ。言っていることは真っ当で納得できるし、ただの理不尽ってわけでもないから。悠真さまや陽人さまみたいに甘いご主人さまばっかりじゃ、藤堂家のメイドの質が今より落ちていたと思う」
なるほど。
怜央さまがそこまで考えて発言しているのかはさておき、一理あるのかもしれない。
「そのようにとらえることができるすみれさんのような方がいて、怜央さまは救われましたね」
すみれさんと話しながらリビングを通ったそのとき、探していた人物がソファから立ちあがった。
「あっ! すみれさんと新人メイドのひなさんだ~~!」
陽人さまが愛らしい笑顔を浮かべて、ぱたぱたと駆けよってくる。
「ちょうどよかった。実は、陽人さまを探していたのです」
「そうだったの?」
「新人の咲宮が紅茶を淹れたので。よろしければ、召し上がりませんか?」
「ええーっ! 飲みたいーー! ありがとう〜〜!」
悠真さまや玲央さまと違って、明るくニコニコとしてくれる姿に癒される。大きな瞳を縁取るまつ毛が長くて、肌もすべすべだ。
「んー? 僕の顔、なにかついてる?」
「……失礼いたしました」
いけない。あまりに清らかなので、見つめすぎた。
陽人さまはソファに座りなおして、瞳をきらきらとさせながら、わたしが注いだ紅茶を口にした。
「ん〜〜、美味しいー! 初日でこんなに上手に淹れられるなんて、ひなさんはすごいね!」
笑顔が天才的にかわいい。
危うくほおがゆるみそうになるのをこらえる。
「せっかくのひなさんの初紅茶だったから最初はあえてストレートで飲んでみたけど、ほんとは甘いのが僕の好みなんだ〜。砂糖をとってもらっていい?」
「はい」
「ありがと!」
ニコニコとしながら砂糖をドバドバいれている姿もかわいい。なにをしてもかわいい。
小学六年生と言っていたから年はひとつしか変わらないと思うけど、顔だちと振る舞いが愛らしいので、もうすこし幼く感じる。お兄ちゃんたちのようにはならず、このままピュアに育ってほしい。
「喜んでいただけたようで、お世辞だとしてもうれしいです。ありがとうございます」
「お世辞じゃないよ〜。さっき、悠真兄もそう言ってたよ?」
思わぬ名前の登場に、また心拍数があがった。
視界の端ですみれさんが目をまるくしたのが見えた。
動揺しているのを悟られぬように、無表情を保ったまま確認する。
「……悠真さまは、なんて?」
まぁ、悠真さまからしたら、初日からドジを踏んでいたメイドという印象しかないだろうけど……。
「すごく美味しかったって言ってたよ! 勤務初日のはずなのに、どこかで習ったことがあるのかなってつぶやいてたし」
「そうですか」
ホッとして息をついたら、陽人さまがかわいらしく首をかしげた。
「ねえ。もしかして、紅茶を出したときに悠真兄となんかあった?」
「な、なぜですか?」
えええ、まだこの話つづくの!?
「いや? なんか悠真兄の顔がやけに赤くなってたから、体調でも悪いのかと思って心配したんだけど、気のせいだ!! って話をそらされちゃったんだよね〜。でも、ひなさんに関係あるわけないかぁ。ヘンなこと聞いてごめんね!」
「……。そうでしたか」
なんだろう。聞いてはいけないことを聞いてしまったようなこの感覚は……。
いや! 陽人さまの言うとおり、わたしには関係ないはず! ここで意識しだしたら、むしろ自意識過剰で失礼だろう。
「へえ〜〜? そうだったんですかぁ? 陽人さま、差し支えなければ、その話をもっと詳しく……」
「すみれさん。無事に紅茶の提供をしおえたので、わたしはこれで失礼いたします」
「あっ! ひなちゃん、ちょっと待ってよーー!」
すみれさんがよからぬ詮索をする前に、とっととお先に失礼する。
心なしか顔が熱くなっているのは、きっと気のせいだ。そうじゃないと、困る。
三兄弟それぞれに紅茶をお出ししたあと、他にどんな業務があるのかを簡単にすみれさんに教わっている途中で、今日のシフト勤務の終了時間となった。
中学生メイドという立場のわたしの本分は、あくまでも学業。勤務時間は、平日の学校帰りと土日のみで、疲れすぎないように日数も調整してもらったんだ。
そうはいっても、今日はさすがにアールグレイの淹れなおしに時間をかけすぎたけど……。
「初勤務、お疲れさまー! 初めてのお仕事、疲れたでしょ? あたしは、ひなちゃんみたいなまじめで有望そうな後輩ができてうれしいよー。これからも一緒にがんばろうね!」
多少のハプニングはあったものの、笑顔のすみれさんに見送られながら、藤堂家の広大な敷地をあとにする。
はあ。
やっぱり緊張していたのかな、一気に疲れがおそってきて、なんだか眠くなってきた。
初勤務の感想!
次男の悠真さまは、クールそうに見えて、意外と一メイドを気にかけるほどやさしい……? それとも、ただの偶然? ミステリアスなので要観察対象。
三男の陽人さまは、いまのところ、ただの天使。唯一の欠点は、彼が婚約者だった場合に、婚約を回避すべき理由がまったく見当たらないところだ。つまり、かわいすぎるのも罪ってこと……?
長男の玲央さまは、王子さまな外見に騙されることなかれ。わたしの中では最も危険人物だ。
うーん。
結局、わたしの婚約者はいったい誰なの!?


