伊東甲子太郎が入隊してから、屯所内の空気は日に日に変わっていった。表向きは新選組の一員として振る舞っていたが、彼の周囲には次第に"彼の考えに共感する者たち"が集まり始めていた。

新選組は、今まではただ"幕府に尽くす"という信念でまとまっていた。だが、伊東は違う。彼は"幕府の先"を見据えた考えを持ち、彼に共感する者たちは、新選組がこのまま幕府の忠実な手足であり続けることに疑問を抱き始めていた。

その影響は、目に見える形で現れ始めていた。

たとえば、屯所での稽古。

かつては隊士同士が純粋に腕を磨く場だったが、今では妙な緊張感が漂っていた。

「……今の、わざと手を抜いただろ?」

「……お前こそ、本気でやってないんじゃねぇか?」

些細な言葉が、衝突の火種になりつつあった。



「なあ、春樹。」

夜、屯所の廊下で藤堂さんが声をかけてきた。

「最近、屯所の雰囲気がヤバいと思わねぇか?」

「……ああ。」

俺もそれを感じていた。隊士たちが互いを疑い始め、以前のような団結は失われつつある。

「さっきも、伊東派の連中と他の隊士が言い合いになってた。土方さんが止めに入らなかったら、マジで斬り合いになってたかもしれねぇ。」

藤堂さんは珍しく真剣な表情をしていた。

「俺さ、新選組がこうなるなんて思ってもいなかった。」

「……。」

「俺たちは一緒に戦ってきた仲間だろ? なんでこんなことになっちまうんだよ……。」

俺は答えられなかった。

そのとき——

「春樹。」

背後から、静かな声がした。

振り向くと、そこに立っていたのはそうちゃんだった。

「話があるんだ。」



「……伊東さんが、新しい部屋を屯所の奥に作ったのは知ってる?」

そうちゃんの言葉に、俺は眉をひそめた。

「新しい部屋?」

「うん。表向きは"研究室"ってことになってるけど……そこに出入りしているのは、伊東さんに賛同している隊士ばかり。」

そうちゃんは低い声で続けた。

「何かを企んでいる可能性が高い。」

「……。」

「近藤さんや土方さんも、すでに警戒してる。だけど、今のところ伊東さんは"新選組をより良くするための提言"という形で動いているから、強引に排除することはできないみたい。」

俺は唇を噛んだ。

「つまり、このまま何もしなければ——」

「——新選組は確実に割れる。」

そうちゃんの言葉が、ずしりと胸に響いた。

「春樹。」

「……なんだ?」

「もし、新選組の中で本当の"戦い"が起きたら……どうする?」

俺はその問いに答えられなかった。

今までは、敵は常に外にいた。尊王攘夷派の志士たち、幕府に仇なす者たち。

だが、もし戦わなければならない相手が——"仲間"だったとしたら?

俺は剣を握ることができるのか?

「……。」

沈黙する俺を見て、そうちゃんは小さく微笑んだ。

「大丈夫。まだ、決まったわけじゃないから。」

「……そうだな。」

「でも、覚悟だけはしておいたほうがいい。」

そうちゃんの声は、どこか悲しげだった。

「私たちは、新選組なんだから。」

俺は拳を握りしめた。

新選組は、今まさに分岐点に立たされている。

そして、その先にあるのは——仲間同士の対立か、それとも——

何にせよ、もうすぐ"何か"が動き出す。

それだけは、確かだった。