すべてはあの花のために➓


「ありがとうございます九条様」

「え……?」


 エレベーターの中で、秘書さんがそう言った。


「……なんで」

「お忙しい方ではありましたが、いつもどこか寂しそうだったので」

「寂しい……」

「ですので、あんなにはっちゃけ過ぎた社長も、見たことは今までありませんでした。……時々お馬鹿な時はありますが」

「(でしょうね……)」


 そんなの、彼を見てたらすぐにわかる。……全く予想できない、変なことをし出すのもよく似てる。


「……何かを、仕事の合間にされていたのは存じ上げておりました」

「そうなんですか?」

「きっと大事なことなのだろうと。合間の時の方が、社長の表情は真剣でしたから」

「それもそれでどうなんですか……」

「仕事の方はきちんとされていましたし、真摯に取り組んでおられました。……ですが、そちらはどこかつらそうで」


 その時、エレベーターが目的の階へと着いた。


「なので九条様にお礼を申し上げたのです」

「……でも、仕事が……」

「初めからそのおつもりだったのでは? ですから、九条議員といらっしゃったのでしょう」

「……そうですね。すみません」


 頭を下げても、許されないことだ。日本のトップの社長に、こんなことをさせたんだから。


「私はお礼を申し上げたのですよ」


 彼女はエレベーターから降りなかった。オレはそっと降りて、彼女の方へと向き直る。


「お休みになるようにお伝えしても、決して社長はそうしてくださいませんでした。ですから、……自分から休むと。そう連絡が入った時は少し、嬉しくもあったんです。こんなことを言えば秘書失格ですが」


 そう言う彼女の表情は、本当に嬉しそう。そして、その伏し目な感じが、誰かに似てる気がした。


「余程、九条様のお話が仕事よりも大切なんでしょう」

「……そうみたいで、オレも嬉しいです」

「ここにいるものは皆、そのようなことで信を欠くようなものたちではありません」


 そして彼女は、そっと胸に手を当て、軽く頭を下げた。


「社長がお休みになるということで、社の者もほっと息をつくことと思います。……うちの社員は、社長のことが大好きですので」

「……そっか。それはよかったです」

「案件の方はご心配なく。……まあ痛手というのが本音ですが、社長不在でも大丈夫だと。だから体を休めてくれと。間接的に言えるチャンスですのでこの機会を逃すわけにはいきません」

「はは。そうなんですね」


 どうやらここにいる人たちは、一人一人の芯が強く、そして繋がりが強いみたいだ。


「なので九条様。本日は逆に、社長をこちらへ来させないくらいの勢いで捕まえておいてくださいませ」

「わかりました。任されました」


 そして、誰よりも社長の彼を信じて止まない、やさしい人たちの集まりなんだ。


「……どうか。よろしくお願い致します」


 彼女もまた、何かを知っているのかなと思った。……どこか、苦しそうにそう言うから。


「いつかは来ると、そう思っていました。……けれど本当のところは、私も存じ上げないので」


「……? どういう、ことですか」


 秘書さんはただ、苦しげに笑うだけだった。


「……九条様? 社長は多分あっちの方にいると思います」

「え。いきなり雑……」


 そう言って指差された方を見ると…………あ。めっちゃ手振ってたわ。行く行く。すぐ行きますから。


「それでは、よろしくお願い致しますね」

「はい。わかりました」


 それから頭を下げていこうと思ったけれど、エレベーターが閉まる瞬間。


「どうか兄を。……もう。止めてあげてください」

「――え」


 そう聞こえた気がした。
 誰かと似ていると思ったのは、そういうことだったのか。