すべてはあの花のために➓


「くるちゃん! 頑張って……!」


 それから、くるちゃんは妊娠した。爺ややあおばに一緒に支えてもらいながら。大切に大切に、子どもを育ててきた。
 妊った体で申し訳なかったけど、卒業と同時に、前から探していた『見つからない場所』へ、俺らは移り住んだ。何かあったらいけないからと、俺らのことを隠してくれそうな、よく知っている病院の近くだ。しばらくは、あおばに彼女のことを見てもらうことにした。

 俺は、家に内緒で受けていた会社に、朝日向とは無縁の朝日向と偽り、そこへ入社した。

 そして、入社一年目の夏。俺らの子どもが産まれた。名前は、葵。太陽の恵みをいっぱいに受け取って咲く、かわいい花の名前だ。彼女が葵にしたいと言った理由は、他にもあるんだ。


「大好きなあおばの名前、ちょっともらいたいのだけど。……いい?」

「……。くるみさん……」


 今までこうして助けてくれた彼女と、すっかり仲良くなった彼女はそう言っていた。


「(……あおい、か。うん。すごくいいと思う)」


 朝日向の『日向』と『葵』を足して、日向葵(ひゅうがあおい)。これは、向日葵の別名でもあるんだと。嬉しそうにそう言う彼女に、俺は顔を歪めながら笑った。


「……かなた様……」

「……あおばか」


 母体がまだ、成人までいっていなかったせいか、子どもは未熟児として産まれた。今は保育器の中で安定するまで、母体とともに病院にいる。


「……カナタ様。このままクルミ様には黙っておくおつもりなのですか」

「……ううん。いつかはちゃんと言うよ」


 あおばは、俺に付いてくるため朝日向を辞めた。爺やは流石にそうはいかなかったので、時々こうして心配して様子を見に来てくれていた。


「……ちゃんと。話さないとだよね……」


 二人とも病院にいるため、今は三人で話をしていた。内容は――……。


「……くるみさんは、きっともう自分は朝日向だと思っておられます」

「……うん」


 俺が18になり、そして彼女が16になった時。俺らは婚姻届を書いた。……書いた、だけだ。


「カナタ様……」

「違うよ? 別に、保険とか。そんなこと思ってない」


 そう最初に口から出る辺り、……そう思ってると言っているようなものなのに。


「クルミ様のお気持ちが少しでも楽になるように。そのようなおつもりで、書かれたのですよね。爺やはよくわかっております」

「……うん。そうだね」


 それはもちろんある。彼女のために、すぐに名前を消さなきゃと思って。彼女が一番安心できるのは、これしかないと思ったんだ。


「……はあ。弱いな。俺は。……っ」


 いつかは、あそこへ戻らなければいけないなんて。どうして、そんなことを思ってしまうんだろう。


「俺はっ。……戻りたくなんてないんだ」


 このまま彼女と、産まれた子どもと三人で。そして、そばにあおばと爺やがいてさえくれれば、……いいはずなのに。


「……少し、お休みになりましょう。あおば、寝る支度をしてもらえるかな」

「はい。もちろんです」

「……ごめん。二人とも」

「何を仰るのですか。あなたは、父親にこそなりましたがまだ子どもで御座います。……頼れる者がそばにいる時は、しっかり頼ってくださいませ」

「そうですよ、かなた様。今は、くるみさんのおそばにずっとおられましたから、きっとお疲れなんです。今は休みましょう」

「……うん。ありがとう、二人とも」


 二人の存在が、とても助かった。朝日向を思い出す度、……俺は、そのいつかを想像してしまっていた。
 そんな日は絶対にこさせないように、きちんと準備をして、覚悟を決めて、……あの家を出たというのに。『責任』というものを背負った途端、弱気になってしまう。


「……きっと、俺よりもくるちゃんの方が、十分強いよね……」

「かなた様……?」


 その『いつか』なんて来させない。……絶対に。
 でも、そうは思っていても俺は、届けを出すことができなかった。

 出したかった。出せるものなら。出しちゃいなよって思った。でも、……無理だったんだ。

 どうしても、ちらつく。……なんで、どうして。
 そんなことを思いながら月日は流れ、いつしか彼女と出会って三回目の秋が。そして、彼女との偽物の結婚記念日が来ようとしていた。