すべてはあの花のために➓


「(……出たい、って。どういうことだろう……)」


 彼女のことは何も聞かないことにした。彼女が、あそこから出て初めて、やっと彼女のことを聞こうと。そして、俺のことを話そうと思ったから。
 でも、異常に彼女に執着していた俺を心配して、ミクが彼女のことを……いや。彼女の家について調べてくれたみたいだ。と言ってもただの噂だけど。


「……神の子、か……」


 俺の話を聞いて、二人とも勘付いただろう。彼女が、それだと。
 月の神を身に宿した神の子どもの助言に従うことが、あの家を今まで繁栄へと、そして存続へと導くのだと。信じて疑っていないらしい。


「(そこから、出たいのかな……)」


 俺は、彼女に会うまでは出たいと思わなかった。
 出られるものなら出てみたい。でも、そうすることで俺への期待を全て裏切ることになる。


「(……それでも、俺は……)」


 彼女にも、決められた相手がいると言っていた。……嫌だった。
 俺にも決められた相手は、もう何となく決まっている。どうやら、政界の娘らしい。……それでもいいと思ってた。別に、俺は……。……でも。


「(諦めたくない)」


 自分の道は自分で決めるものだと、二人が言ってくれたんだ。俺は、俺が生きていきたい道を選びたい!


「あ! ヤバイ……!!」


 それでもなんとか、彼女をあそこから彼女の意志で出してあげることに成功した。そして、何もかもぶっ飛ばしてしまったけれど、どうやら彼女も俺のことを好いてくれていたみたいだった。それは、……これ以上ない幸せだった。

 決めてたんだ。……ううん、違うか。もし、彼女があそこから出てきたのなら……って。自分の中にあった願望を、ずっと誰にも言わずに抱えてた。


「(すみませんお父さん。それでも俺は、彼女と生きたい……!)」


 暗くなる前に攫ってしまおうと思っていたのに、彼女のやわらかくて甘い唇に夢中で、すっかり辺りは明るくなり出していた。
 大急ぎで彼女の手を取って、俺は駆け出す。そうしたら、彼女の方から自分で手を繋ぎ直してくれて、……握り返してくれて。一緒に。……俺と一緒に、駆けてくれた。


「名前は、望月来美っていうの。あなたは?」


 信号で止まって、彼女がそう俺にこっそり教えてくれた。


「俺の名前は、朝日向彼方っていうよ」


 そうしたら、どうしてか彼女はクスクスと笑い出した。


「『かなた』と『あなた』って似てるなっと思って。わたし、もうずっと前からあなたのこと、名前で呼んでたみたい」

「――……!!」


 すごく嬉しそうに言ってくれるもんだから、信号が青になった瞬間に思い切り駆け出した。


「くるみいぃぃーッ!!」

「ええ……!?」


 叫んだ。叫んでしまった。どうしてかって。そんなの……。嬉しかったからに決まってる。


「え? ……えっと。か、かなた?」

「……っ!? あーっ。……やっばい!!」


 それからずっと、彼女のことをこれからなんて呼ぼうかと、呼び方を考えながらいろんなパターンの彼女の名前を叫んだ。
 そしたら、俺よりは小さな声だけど、彼女も俺の名前を呼んでくれて。すっごい嬉しかった。

 どうしてだろう。別に、名前なんて大したことないのに。いつも呼ばれてるのに。彼女に呼ばれるだけで、どうしてこうも自分の名前が好きになるんだろう。


「っ。はあー! 着いたー!!」

「え? ……こ、ここ?」


 そこは最寄り駅のロータリー。ここが待ち合わせ場所だ。と言うか、俺がここからあそこまでの道しか覚えられなかった! 乗り換えとか一人じゃ難しくて電車とか乗れないし! ……まあ一回乗ったけど、全然違うとこ行ったからもうやめた。


「こっちだよ」


 そこに止めてあるのは、至って普通の軽自動車。乗り心地はいつも乗るリムジンに比べたら相当劣るけど、お忍びで来てるから仕方ない。


「爺や。帰ったよ~」

「カナタ様! 爺やはっ。爺やは。またカナタ様が迷子になったのかと心配で心配で……!」


 軽自動車で待っていたのは、小さい頃から俺のお世話をしてくれた、使用人兼教育係の爺や。名前は(しの)さん。


「ごめんごめん。でも、もう来なくてよくなったから」

「はて? それはどういう、……!?」