すべてはあの花のために➓


 この子が生まれてからは、もっと幸せな日々だった。料理とか、家事全般をしたことがなかったわたしは、わたしの『友達』に教えてもらいながら上達していった。今じゃもう、何でもできる。
 彼はわたしとこの子を養うために、毎日お仕事を頑張ってる。とてもよくしてもらってるのか、行く時も笑顔だからちょっと妬けてしまうほど。

 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、彼は必ず行く前にわたしに身嗜みを確認させたあと、長い長いキスをする。腕にはまだ、小さいあおいがいるというのに。……本当、困ったお父さん。


「あっ。あっ」

「ん? どうしたのー? あおい」

「どうしたんだ?」


 何やら、わたしの腕から逃れて、どこかへ行こうとしているみたいに暴れ出す。あおいが必死に手を伸ばしていたのは……ん? 傘?


「……あなた。今日の天気ってどうだったかしら?」

「え? 多分、一日晴れだったと思うんだけど……」


 そうだったはず。朝の天気予報で言ってたもの。


「……傘がそんなに気になるのかしら?」

「そうかもしれないな。……あ! ヤバイ! 遅れる!」


 そう言って、慌ててもう一回キスをしてから、大慌てで家を出て行った彼を、あおいの手を振りながら笑顔で見送った。


「うぅー……」

「ん? 今度は何?」


 どこかムスッとしているような、そんな感じがしたけれど、彼が出て行ってからは傘を気にすることはなくなった。けど、何でかずっと唸ってた。

 でも、彼が帰ってきた時に、どうしてあおいがそんなことをしたのかがわかった。


「た、ただいま……」

「そんなになるくらいなら傘買って帰ればよかったのに……!」


 通り雨に遭って、びしょびしょになって帰ってきたのだ。小さなこどもは何かしらそういうことを感じることが多いから、きっと今朝のあおいも、そういうことだったんじゃないかなと思った。


「あおいの言う通りだったー……。ごめんなー。こちょこちょこちょ~」

「きゃっ。きゃっ」


 楽しそうに彼があおいと遊んでいるのを見るのが、わたしの楽しみの一つでもあったりする。


「うー……」

「はは。……見て見て? あおいが、俺の仕事の資料とさっきからにらめっこしてるんだけど」

「あら。ほんとね」


 まるで眉間に皺を寄せて、彼の上司のようにその資料を見ていた。それがなんだかおかしくて、二人して笑いながら見てたんだけど……。


「うー、あっ」

「「え?」」


 ペシンぺしんと、いきなりあおいが仕事の資料を叩き出した。大事なものだろうにと思ったけれど、それを彼は止めもせずに、楽しそうに「どうした~?」と覗き込んでいた。


「あーあ! うーっあ!」

「ん? すごいだろ~。お父さんは難しいことしてるんだぞ~」

「……あら?」


 実は彼よりもわたしの方が、まあ生まれつきなんだけど頭がよかったから、時々仕事の手伝いをしてあげたりもしてたんだけど。


「あなた? ここ、漢字の変換間違いしてる。それからここ。計算が間違ってる」


 そこは、あおいがちょうど叩いていた場所と同じところで。


「さ、流石にまぐれだよー」

「……そう、ね」


 きっと、わたしのことを気遣ってそう言ってくれたんだろう。まぐれだ。たまたまだ。……そう言って、彼はわたしの中の望月を消そうとしてくれていた。