すべてはあの花のために➓


「……なんで、逃げないの?」


 わかってるくせに。なんでいじわるなことするの……?


「どうして。……ここまで来ちゃったの?」


 声が。……すごくやわらかい。
 それだけで、胸が苦しくなるのに……。どうしてか恥ずかしくて見られない。


「あーあ。……いろいろすっ飛ばしちゃったじゃん」


 ゆっくり視線を上げた。そしたら彼も恥ずかしいのか視線を外して、腕で真っ赤な顔を隠していた。


「……いろいろ。決めてたこと」


 ちょっと拗ねた様子で話す彼から、目が離せない。


「だってさ。まだ、名前聞いてないのに……。俺だって名前言ってないのに。君の話聞いてないのに。俺の話だって。……してないのに」

「……?」

「抱き締める前に。……キス。しちゃったじゃん」

「――……!!」


 かあああと、二人して真っ赤になる。自分も恥ずかしくなって、合わせてた視線を慌てて外した。
 その前に彼が真っ赤な顔を両手で隠してたのが、……ちょっとかわいくて、それが見られて嬉しかったりもする。


「き。……決めてたんだ」


 それでも、彼は何故か必死でその決めていたことを話そうとしていた。


「初めて。君を見たその時に。……恋に落ちた。その時に……」


 よかった。今が月がない夜で。真っ赤になった顔が、見えにくいから。


「言ったでしょ? 俺が、何がなんでも守ってあげたいんだって。言ったでしょ? 俺が、幸せにしてあげたいんだって」

「…………?」

「……言ったでしょ? 俺が、あそこから絶対に助け出してあげるって」

「……!!」


 それは。……そうとは、ハッキリ聞いていない。


「……初めて会った日に。聞いたんだ。君の気持ち」

「……。え……?」


 何……? わたしは一体。何を言ったんだっけ。


「……ここから出たいって。こんなところ嫌だって。……苦しそうに言ってたから」

「…………!」


 確かに言った。
 いつ見ても変わらない、ムカつくほど綺麗な青空を見ながら。自由に空を羽ばたく、鳥を見つめながら。


「だからね、俺は君を助けたかったんだよ。ずっと」

「……。っ……」


 そんなこと、全然言ってなかったのに。やさしい声にまた、……涙が零れ出す。


「でも、言ったでしょ。俺からは、絶対にこの扉は開けないって。……そこから出たいのに、出るつもりはなさそうだったからさ」


 それは。……うん。間違ってない。
 だってわたしは、出たとしてもどうせ家に連れ戻されるって。そう思ってたから。


「君が本気で出たいって思ってないのに、俺が連れ出しちゃっても、きっと君はあそこに戻ると思った。……だから俺は、ずっと待ってたんだよ。君の方から、あそこを飛び出してくれることを」


 ……あたたかい。
 彼が話す言葉だけで。こんなにも胸の中が、じんわりとあたたかさを帯びる。


「……やっと、拭ってあげられる」

「え……? んっ……」


 彼の指が目元に延びてきて、そっと涙を払ってくれる。その指が少し。……震えてた。


「……よく見せてよ。一年振りに会えたんだから」


 両頬をやさしく包まれて、もう視線が外せない。
 わたしのことをやさしく見下ろしてくれる彼の瞳に。……吸い込まれそうだ。


「……作戦は、成功かな」

「え……?」

「押してダメなら引いてみろ作戦。今度は成功したんだって、あいつらに教えてやらないとね」

「……。あいつらって……」


 一人じゃなかったのか。
 ていうか、おかしな作戦考える人たちだな……。


「俺は嫌だったんだよ? 君に嫌われてるとか、ちょっとだって思いたくなかったんだもん」

「そ、そうなんですか……?」

「そうに決まってるじゃん! ……ほんと、好きすぎて困っちゃうよ」

「……!!」


 そ、そんなハッキリ言われても。……どうしていいかわからない。


「……ねえ。俺のこと、好き?」

「……!」


 そっと耳に寄せられた唇から甘い声が聞こえてきて、カクンと力が抜けてしまった。


「ええ!? だ、……大丈夫?」


 膝が地面につきそうになる寸前に、なんとか彼が支えてくれたけれど。足に上手く力が入らない。


「だ。……大丈夫じゃ。ない……」

「……もしかして、腰抜けた?」

「……? 腰って、抜けるんですか?」

「あ。いや、わかんないならいいんだ。っていうか、俺がその方が嬉しいからそうってことにする」

「……?」


 でも、支えてくれる彼の腕の中が温かくて安心する。


「……もう、引かないで」

「え? 何?」


 ぎゅっと、彼の服を掴む。上手く力が入らなくて、震えたけれど。でも、……気にしない。


「もう。……押してダメなら引いてみろ作戦は。……っ、しないで」

「いやうん。俺だってしたくないんだけどね」

「……。引いちゃ。嫌です」

「……!!」

「もう。……引かないで」

「……うん。そうだね」

「……。さよならなんて。言わないで」

「…………」

「…………。すき」

「――――」