『俺があそこの会社で働いてたのは、シントに聞いたか』

『はい。……と言っても、本当についさっきですけど』


 雑音が殆どない。まあ朝だし、静かなところを選んでくれたんだろう。けど……。


「(……誰?)」


 こ、声からして多分カエデさんなんだろうけど……。こんな口調の声を聞いたことがなくてオレは動揺してるけど、あおいは聞いたことがあるのか微動だにしていない。


『にしてもお嬢ちゃん、いつの間にチカゼくんとあんな仲良くなってたんだ。……アキの奴ピンチじゃねえかよ』


 ……これは確かに聞いた方がいい。どういうことかなあ?


『いつも仲良いですけど……?』

『いや、なんか違うんだよ。……まさか、一線越えたか?』

『一線?』

『いや、アキが傷つくかもしれねえからやめとくわ』


 おいおい。みんなに迷惑掛けておきながら、あのバカ何してくれちゃったわけ。
 でも、そんなのもすぐに冷める。カエデさんの、次の発言で。


『昨日届いた。差出人は全く知らない名前だ』

「(手紙……)」


『一体どういうことだ。お嬢ちゃんは何を隠してる』

『隠してはいませんよ。カエデさんは、そのお手紙に書かれてあるとおりのことをしていただければそれで』

「(……もしかして、トーマん家の道場で書いてた手紙って、……カエデさん宛?)」


『俺がそうしなかったらどうする』

『それならそれで仕方がありません。わたしがあなたを動かせなかった。それまでのことですから』

「(確かにそうだ。それに、きっと大事な手紙だ。アオイが中身は見せられないって言ってたし、……誰宛なのかも、言えないって)」


『どうしてこれを俺に渡した。直接渡すか、話してやればいいじゃねえか』

『……それが、できない恐れがあるので』

「(本当は、カエデさんに宛てたものじゃないってこと? カエデさんに関係がある人物って言ったら、もう……)」


 そのあとカエデさんが、なんとかあいつから引き出そうと説得をして……。


『むかしむかし、ある咲きたての花から、小さな芽が、出ました』

「(あおい……)」


 それは、あの本に書かれている素敵な物語だ。


「(……でも、本当は違う)」


 カエデさんもそんな風に思ったのだろう。


『……その蕾が、お嬢ちゃんだって言いてえのか』


 苛ついた声で、そうあおいに突っかかる。でも、それ以上あおいが話すことはなかった。


『カエデさん。わたし、すっごく今楽しみなんです』

「(あおい……)」

『どうやら、わたしの未来を変えちゃってくれる人がいるみたいなんで』

「(……うん。絶対変えてあげるから。待ってて)」

『わたしは花を咲かせられるかもしれない。それも黒くない花を。それが楽しみで楽しみで仕方ないんです』


 録音を聞き終わったオレは、すぐにカエデさんに連絡をする。


『はい。カエデです』

「ヒナタです。連絡ありがとうございました」

『お聞きになりましたか』

「はい。……あいつの話からして」

『ええ、きっと彼女は『芽と蕾』にたとえて――』

「まあ、カエデさんがそれで気づいたんならいいです」

『……え』

「まあ、そんなことよりも」

『手紙ですか?』

「はい。それについて少し、気になることがあるので」

『……そうですね。あなたには報告しておくべきでしょう。現物をご覧になりますか?』

「そうですね。できれば。……カエデさん、今から会えたりしますか?」

『……え。今から?』

「まあ拒否させませんけどね。駒ですし。じゃあ時間は7時に。場所は桜ヶ丘区役所の前で。車の中で話をしましょう」

『はい。わかりました。一度皇へ帰ってからそちらに向かいますので、少し遅れたら申し訳ありません』

「いいですよ。……こちらこそ、無理言ってすみません」

『いえいえ。こちらこそ助かりましたので、お互い様です』

「……そう言っていただけて、助かります。それじゃあまたあとで」

『はい。それではまた後程』


 それからさっとシャワーを浴びて制服に着替えたあと、コーヒーを一杯だけ飲んで、母さんに置き手紙を残して家を出た。


「そこら辺がオレも学校には行きやすいし、ちょうどいいからね。ごめんねーカエデさん。事故んないでねー」


 今頃必死で時間に間に合わせようとしているカエデには、流石にそんな声は届くはずもないけど。