すべてはあの花のために⑦


 そしてゆっくり、まずは自己紹介から、彼女に届くように話し出す。


『一番最初のお名前はね? 言えないの。……言っちゃったら。わたしは消えちゃうから』


 日が沈んで、当たりが暗闇へと包まれていく。


『次の名前は、花咲って言うの。……ルニちゃん、覚えてるかな。下手くそって言った人。わたし、その人たちが大好きなの。わたしのこと、……多分、愛してくれてたから』


 愛なんて、わからない。自分の中にできそうだったのに、摘み取られてしまったのだから。


『今の名前は、一応道明寺。道明寺 葵って、一応名乗ってるの。……でも、この名前は、わたしに用意してもらった名前じゃないの。だから学生証だって、パスポートだって偽物。こんなもの、わたしに必要ない。使っちゃ、いけないんだ……』


 自分の名前を。返して欲しかった。誰かに……呼んで欲しかった。


『あの時。ルニちゃんにあおいっていうのだけでも伝えておけばよかったなって。……後悔してたの。一回でいい。……ううん。できればたくさん。呼んで欲しかった』


 でも、今はそれももうできない。彼女のやわらかい、心にすとんと届く声で、呼んでもらいたかった。


『それから今は、高校に通ってるんだ~。学校って楽しいね。授業って、当てられたら。どきどきするね。……お友達。欲しいな……』


 でも、どうやったって作れっこない。
 作ったら最後。その人たちも。……彼女のように。…………っ。


『……さっきね……? 可愛い男の子。助けてきたの』


 助けて。 ……あげられたんだ。


『……っ。ごめん。るに、ちゃんっ……』


 助けて。……あげられなくてっ。


『痛かった。よねっ。……苦し、かったよねっ。ごめんっ。……ごめん。わたしと。……仲良くなったせいで……』


 助けて。……あげたかったのに。
 守って。……あげたかったのにっ。


『……自分だけ。学校にも行ってっ。……ごめん』


 人の人生を終わらせたくせに。


『るにちゃんを。……ころしちゃって。ごめんなさい……!』


 それからはずっと謝ってた。涙が、止まらなかった。声も、しゃがれた。
 流石に遅くなるから、頑張って止めたけど。


『……ルニちゃんに。言いたいこと、あったの……』


 そう言って、立ち上がりながら葵は叫ぶ……!


『るにちゃんにっ。……あいたい!!』


 ちゃんと、わかってる。


『るにちゃんに。だきしめてもらいたいっ……』


 そんなこと。……もう、ないんだって。


『るに。ちゃんの……。こえがっ。……ききたいっ』


 わかっていても。……言わずにいられないんだ。


『るにちゃんのっ。えがおがみたい……!!』


 笑いかけて欲しい。もう一度。


『……ぐずん。もう。いわないからね……? ごめんね……』


 それから今度は、葵の決意を。


『……もう、るにちゃんみたいな子を、わたしは絶対に作らない』


 ううん。違うな。こうじゃない、か。


『ルニちゃんみたいにっ、わたしのせいで傷ついちゃう子を作らない!』


 じゃないと、また。……消えちゃうから。


『わたしが、守る! ルニちゃんのこと、守れなかった分まで!! たくさんの人! 守るから!!』


 だから、見守ってて。
 そして、……ごめんなさい。守れなくて。


『それじゃあね! またねは、もう言わない。言って、会えなかったら怖いもん! それに。もうわたしの時間は少ないから……』


 だから言わない。次の約束ほど、怖いものはないから。


『だから。……さようなら! ルニちゃん!』


 それから、流石に遅くなってしまったので、ダッシュで家に帰ったのだった。



 丘の下。見えるのは灯りが綺麗に灯る町並み。すっかり日が落ち、辺りにはもう人影は見当たらない。
 そんな静かな花畑に響き渡る大きな叫び。葵の声はもしかしたら、きちんと届けられたかも知れない。


 ――――――…………
 ――――……