すべてはあの花のために⑦


 つい嬉しくなりながら、少女に尋ねた。けれど少女は、何かを悩んでいるようだった。


『……どう、かな……?』


 何も言わない少女に、不安になってしまう。


『……ハナちゃんの名前はひまわり?』

『――……!!』

『ちがう? あ、そっか。言いたくないんだっけ』

『え。……な、なんで……?』

『? だって、自分のお花の名前なんでしょ? だから単純にそうかと思っただけ』

『……そ、か』


 一瞬、ドキッとした。いや、呼ばれるかと思っただけだけど……。でも、これだけじゃきっとわからないから。


『(言えたら、いいのに。……絵にするのが精一杯だった)』


 描いてる最中も、胸の奥の方が冷たくなっていったのがわかった。


『(だから、汚く描くので精一杯だったんだ)』


 ま、そんな上手に描けなかったのもあるけど。
 そんなことを思ってると、『そっか』と、少女から漏れた。


『……あれ? だめ、かな。やっぱり』

『ううん。そう呼んで? うれしかったから』


 そう言って、少女改めルニは、ふんわり嬉しそうに笑ってくれた。


『え!? ほんと!?』

『うん』

『ほんとにほんと!?』

『え。う、うん』

『ど、……どうしてうれしかったの……?』


 葵がそう言うと、ルニはちょっと照れくさそうに笑った。


『は、……ハナちゃんの名前。くれた、から……』

『……!!』


 それだけで喜んでもらえるなんて。 


『ルニちゃん!』

『ん? なに?』

『わー! ルニちゃんっ!』

『……なあに? ハナちゃん』


 何度も何度も呼んであげた。きっと、だいぶしつこかったと思う。
 でも、葵が笑顔でそう呼んでくれるのが嬉しいのか、ルニも嬉しそうに笑ってくれていた。


『でも、なんでロシア語? ハナちゃん賢いんだね』

『あ。……あのね。ちょっとだけ、ロシアに行ってた時があったの』

『え? すごい。ハナちゃんのお家はお金持ち?』

『ま、まっさか~。た、たまたま、だよ??』


 その動揺は、ジト目を向けてくるルニには恐らくバレていただろうけれど。
 それから葵は、この花畑に来たらルニに会えると思って、勉強がない日は毎日のように家を飛び出してここへ来ていた。ルニも会うのが楽しみなのか、いつも来たらひょっこり現れてくれた。

 帰る時間になったら、いつも『またね』と言って帰ってた。


『……うん。決めた! 決めたよヒイノさん! ミズカさん!』


 葵は、次に会った時、ルニに絵本を渡そうと決めた。



 また今日も、勉強が終わったら花畑に行こうと思っていた。


『ちゃんと勉強はしているのか』


 アザミにそう聞かれる。


『はい。ちゃんとしています』


 葵は真顔でそう返す。でもアザミの目の奥は、嗤っているような気がした。


『きちんとしていないと、あとで困るのはお前だからな』

『……はい』


 ここに来てしばらく経った頃、単身でロシアの学校に入れられた。わざわざロシアという時点でもしかしてと思ったけど、やはりそういう学校だった。


『(……なんでわたしが、スパイみたいなことを学ばにゃならんのだ!)』


 それでも、行事があったのは嬉しかった。
 葵の能力の高さから、あっという間に卒業して帰ってきたが、その時の体育祭に大爆笑。


『(わたしが来たからって、浴衣着たんだよね)』


 実際笑ったのはその時ぐらい。そんなこと学びたくなんてなかったけど、早く帰りたかったのは事実。


『(……もう。嘘のパスポートなんか。使いたくなかった……)』


 道明寺など、仮の名前。今の葵には仮で十分だと、赤に代わってから正式に手続きをすると言われてきた。


『(道明寺葵なんてこの世にいない。……そんな偽物なんて、これっきりだっ)』


 超特急で帰ってきたはいいものの、やっぱり赤には仕事を、葵には教養をされていた。
 そんなひとときの幸せが、ルニに会うことだった。それがないと、生きている心地など感じなかった。