すべてはあの花のために⑤


「……あい。くん……?」


 その子は女の子だった。
 でも何故か、目の前の彼と重なって見えて。


「……どう。して……」

「……なんだかまた、あおいさんが泣いている気がして」

「……!」


 彼の前で泣いたことなんて一度だってなかったはずなのに、そう言って彼は、葵にそっと着ていたコートを掛けてくれた。


「あったかい時はいいですが、今は冬ですよあおいさん? ……よいしょっと」

「え……っ?」


 彼はにこっと笑ったあと、コートで葵を包み込んで、そのまま軽々と持ち上げる。


「あっ、アイくん。お、降ろして」

「いいえ降ろしません。寒いですから、せめてベンチに座りましょう?」

「あ、歩けますからっ!」

「俺が運んであげたいので、少々お待ちくださーい」


 この状況に、頭が全くついていかなくて。ひとまず降りようと思っても「暴れないでくださーい」と言われて、もっとがっちり抱き抱えられてしまうし。
 結局ビクともしないまま、されるがままベンチまで運ばれてしまった。


「さあ! どうぞあおいさん! 思い切り叫んでください!」


 そして降ろすや否や、両手を広げた彼だけがやる気満々だった。


「いえ、あの。もう大丈夫です」


 なんだかもう、バカらしくなってしまった。


「ふふ。……もう大丈夫です。アイくんの笑顔を見たら落ち着きました。ありがとうございます」

「あおいさん……」


 葵の隣に腰をかけた彼は、前屈みになって覗き込んでくる。


「あおいさん」

「アイくんはどうしてこちらへ?」

「あおい、さん」

「この間も会いましたけど、お家はこの近くなのですか?」

「……っ、あおいさんっ」

「今日はちょっと肌寒いですね。コート、貸してくださってありがとう」

「あおいさん……!」

「っ、はい。なんでしょう」


 頬を包み込まれてようやく、彼の言葉に反応を返す。


「……気づいて、いらっしゃらないんですか」

「……? なにが。でしょう」


 視界が、ぼやけた。


「……泣いて、いらっしゃるんです」

「そんなはずないじゃないですか。だって。わたしはもう。泣かないんです。から……」


 瞬きをしたら、鮮明な視界に戻る。


「でも、全然止まらないじゃないですか」

「……きっと。アイくんの気のせい。です」


 触れていた彼の指が、何かを拭うように頬を撫でた。


「そんなにつらいことがあったんですか? 俺には言えませんか?」

「……大したことでは。ないので」

「ならどうして涙が止まらないんですか」

「……っ、だから。さっきから泣いてないって……っ」


 顔を動かした時、ようやく涙が流れていることを自覚する。


「……っ。え。なんで……」

「あおいさん」

「あいくん。わたし。泣いてないですよ。……っ。泣いて。ないんです」


 泣いていない。これは涙じゃない。
 必死で訴える葵に、彼はただ、背中をさすってくれていた。