どこの誰かもわからないような、気持ちが悪いわたしを、彼は奥さんと一緒に育ててくれました。二人の間には、子どもがいませんでした。だから、これは何かの縁だからと。そう言って、いつも笑ってわたしを育ててくれました。
わたしを海から掬ってくれた旦那さんは、昼間は農業の仕事をしていて、夜は地域の学校に行って空手を指導していました。
奥さんは、小学校の先生をしていました。奥さんが勤める学校に、旦那さんは夕方から、指導しに行っていたそうです。
わたしは知りませんでしたが、旦那さんはそちらの方面では有名な方のようで、一通りの武道を極めていました。
奥さんはピアノと歌が上手で、時々茶道を習いに行っていました。あとは趣味で絵本を描いていました。
助けてもらった時、わたしは旦那さんにしがみつきながら、こう言ったそうです。
『生きたい!』
『わたしの何が悪い!』
『わたしが一体何をした……!』
表に出てしまった黒い感情が、そう叫んでいたと。
時々情緒が不安定になっていたわたしを、二人は優しく包み込んでいてくれました。ただただやさしく、接してくれました。そんな二人に、わたしもだんだん落ち着きました。
それから、自分の名前を言いました。
わたしのなまえは『あおい』です。ただ、それだけですと。二人は首を傾げていました。
わたしにはもう『太陽』がなくなってしまったので。
わたしにはもう『あおい』しか、残っていませんと。
二人は、どうしてなくなったのかを聞いてきました。『太陽』と引き替えに、わたしを生かしてくれた『わたし』がいるからですと。そう、答えました。
二人は、それを聞いて何となくわかったんだと思います。『黒いわたし』が、わたしから『太陽』を奪ったのだと。
二人は、そんなわたしを温かく包み込んでくれました。一緒に『黒いわたし』を直していこうねと、そう言ってくれました。
それから、二人にはいろいろなことを教わりました。旦那さんには、畑仕事と武道を一通り。奥さんにはお歌とピアノ。あとは絵を少しだけ。
お父さんに言われたことは、正しいことだったのだと思いました。わたしの知らないことがたくさん、二人に出会ってからあったから。
はじめはいろんなことを教えてくれようとした二人ですが、わたしはもうすでに『いろんなこと』を知っていました。まだこんな小さな子が、小学校……いいえ。中学校や高校、大学で教えられるようなことを、もう三つの時には知っていたからです。
それでも、二人は何も言いませんでした。わたしのことを、気持ち悪がりもしませんでした。
それならと、わたしが知らないようなことを二人は優しく教えてくれました。
わたしが食べてきたご飯やお野菜が、すごい苦労してできていたこと。自分を強くする方法や身を守り、他人を守る方法。お歌一つで、人を喜ばせたり、切ない気持ちにさせたりできること。絵本を描くことで、いろんな人に自分の思いを伝えられること。
そして二人はわたしに、花の育て方を教えてくれました。
あたたかくてやわらかい土に、小さな種を撒きました。毎日毎日、お水をあげました。毎日毎日、お話をしてあげました。
二人に、愛情を注いであげると大きくて綺麗な花を咲かせてくれるよと、教えてもらったからです。
しばらくすると、土から小さな小さな芽が出ました。わたしは喜びました。二人も、そんなわたしを見て、嬉しそうに笑ってくれました。
その芽が二葉になり、どんどん大きくなるにつれて、わたしから『黒いわたし』が出てくることが少なくなってきていました。
それから芽が大きくなり、何の花かはわからない、蕾のようなものが出てきました。何の花なのだろうか。わたしは毎日が楽しみで仕方がありませんでした。



