すべてはあの花のために⑤


 どこの誰かもわからないような、気持ちが悪いわたしを、彼は奥さんと一緒に育ててくれました。二人の間には、子どもがいませんでした。だから、これは何かの縁だからと。そう言って、いつも笑ってわたしを育ててくれました。

 わたしを海から掬ってくれた旦那さんは、昼間は農業の仕事をしていて、夜は地域の学校に行って空手を指導していました。
 奥さんは、小学校の先生をしていました。奥さんが勤める学校に、旦那さんは夕方から、指導しに行っていたそうです。

 わたしは知りませんでしたが、旦那さんはそちらの方面では有名な方のようで、一通りの武道を極めていました。
 奥さんはピアノと歌が上手で、時々茶道を習いに行っていました。あとは趣味で絵本を描いていました。


 助けてもらった時、わたしは旦那さんにしがみつきながら、こう言ったそうです。

『生きたい!』
『わたしの何が悪い!』
『わたしが一体何をした……!』

 表に出てしまった黒い感情が、そう叫んでいたと。


 時々情緒が不安定になっていたわたしを、二人は優しく包み込んでいてくれました。ただただやさしく、接してくれました。そんな二人に、わたしもだんだん落ち着きました。

 それから、自分の名前を言いました。
 わたしのなまえは『あおい』です。ただ、それだけですと。二人は首を傾げていました。

 わたしにはもう『太陽』がなくなってしまったので。
 わたしにはもう『あおい』しか、残っていませんと。

 二人は、どうしてなくなったのかを聞いてきました。『太陽』と引き替えに、わたしを生かしてくれた『わたし』がいるからですと。そう、答えました。
 二人は、それを聞いて何となくわかったんだと思います。『黒いわたし』が、わたしから『太陽』を奪ったのだと。

 二人は、そんなわたしを温かく包み込んでくれました。一緒に『黒いわたし』を直していこうねと、そう言ってくれました。



 それから、二人にはいろいろなことを教わりました。旦那さんには、畑仕事と武道を一通り。奥さんにはお歌とピアノ。あとは絵を少しだけ。

 お父さんに言われたことは、正しいことだったのだと思いました。わたしの知らないことがたくさん、二人に出会ってからあったから。

 はじめはいろんなことを教えてくれようとした二人ですが、わたしはもうすでに『いろんなこと』を知っていました。まだこんな小さな子が、小学校……いいえ。中学校や高校、大学で教えられるようなことを、もう三つの時には知っていたからです。
 それでも、二人は何も言いませんでした。わたしのことを、気持ち悪がりもしませんでした。

 それならと、わたしが知らないようなことを二人は優しく教えてくれました。
 わたしが食べてきたご飯やお野菜が、すごい苦労してできていたこと。自分を強くする方法や身を守り、他人を守る方法。お歌一つで、人を喜ばせたり、切ない気持ちにさせたりできること。絵本を描くことで、いろんな人に自分の思いを伝えられること。

 そして二人はわたしに、花の育て方を教えてくれました。


 あたたかくてやわらかい土に、小さな種を撒きました。毎日毎日、お水をあげました。毎日毎日、お話をしてあげました。
 二人に、愛情を注いであげると大きくて綺麗な花を咲かせてくれるよと、教えてもらったからです。

 しばらくすると、土から小さな小さな芽が出ました。わたしは喜びました。二人も、そんなわたしを見て、嬉しそうに笑ってくれました。
 その芽が二葉になり、どんどん大きくなるにつれて、わたしから『黒いわたし』が出てくることが少なくなってきていました。

 それから芽が大きくなり、何の花かはわからない、蕾のようなものが出てきました。何の花なのだろうか。わたしは毎日が楽しみで仕方がありませんでした。