すべてはあの花のために④


 それからすぐにヒエンも起きてきたので、みんなで朝ご飯に。じゃんけんに勝ったアキラが、代表して葵を起こしに行くことになった。

 アキラはゆっくり扉を開いて、部屋の中に入る。


「(……まだぐっすり眠ってる)」


 起こすのに少し気が引けながら、アキラはそっと葵の頬に触れた。


「(よかった。顔色がよくなって)」

「んん……」


 ほっと安堵していると、葵が身動ぎをしてうっすら目を開けた。


「おはよう葵。みんなで朝ご飯にしよう」

「……ここ、どこ……」

「(寝ぼけてる。可愛い)」


 まだ目が開ききっていない葵の頭を撫でながら、「ここは桜李の家。昨日ここに泊まっただろう?」と答えると、撫でられるのが嫌だったのか、その手は気怠そうに払われる。そして返ってくるのは「……オウリ?」と疑問形。

 葵はアキラの手首を掴みながら、もう片方の手は自分の頭に持って行き、ゆっくりと体を起こしていく。「お、うり。おうり……、オウリ……」と呟きながら、徐々にアキラへ焦点を合わせた。


「……葵。大丈夫か? 頭が痛かったり」

「あなた、は……」

「(あなた?)秋蘭だけど」

「あ、きら。……あきら。……スメラギ、アキラ?」

「そう――、……?」


 その言い方はまるで――名前だけを知っている人のようで。


「スメラギ、アキラ……」

「……葵、だよな」


 有り得ないとわかっていても、アキラはそう尋ねていた。
 葵に、――妙な【違和感】を感じたから。


 けれどその質問に返答はなく、彼女は幽艶に微笑むだけ。
 アキラは背筋が冷えた。理由もわからず、距離を取ろうと後退る。

 でも掴まれている手首に痛みが走り、思うように逃げられない。


 彼女は、不安げなアキラに舌舐めずりした。まるで獲物を見るような、赤くぎらつかせた瞳で。
 蛇に睨まれた蛙のように、腰が抜けて動けなくなったアキラを見下ろしながら、彼女はアキラの左頬に触れた。


「……っ、あっ。葵……?」


 そのまま左耳に触れられたアキラの体は、ピクッと跳ね上がった。その反応に満足そうに口角を上げた彼女だったが、そのあとすぐに眉を顰める。


「……カフが、ない」

「えっ?」

「……ああ。だから、すぐには気づかなかったんだわ。まああの時はまだ(、、)だったけれど」


 アキラは首を傾げた。彼女が口にした言葉の、理解が追いつかなかったからだ。
 けれどその答えにたどり着く間もなく、妖艶な彼女の腕がアキラの首に回ってくる。


「よかったわね。外せて?」

「――!」


 囁いた彼女の唇が、僅かに耳朶を掠めて、アキラはようやく正気を取り戻した。


「葵! お前また、体が冷たくなって……ッ」


 アキラは温めようと、まずは彼女の体を抱き締めることにした。一瞬驚いたように体をこわばらせたが、すぐに可笑しそうに……愉しそうに、彼女は嗤い始める。


「……あ、おい……?」

「もうすぐ……もうすぐよ」


 背中に回った彼女の手は、触れ合う頬は、まるで死人のように冷たくて。


「……もうすぐ、会えるわ。スメラギアキラ」


 彼女はその言葉を最後に、気を失ったように眠りに落ちた。