しばらく撫でていたら「さんきゅ」と声が聞こえたので、葵はそっと腕を下ろす。
「……オレ、病院行くわ」
「うん。そうだね。きっと、おばあさま待ってると思うよ?」
「……と、時にアオイさんや」
「? 何かね、チカさんや」
見つめられたかと思ったら、チカゼは急にそわそわし出した。
「お、お前さ。あの時のこと、覚えてっか」
「どの時だ。いっぱいありすぎてわからん」
「ははっ。そうだよな」と笑っている顔はもう、いつもの彼だった。
「オレが変態マンに襲われてさ」
「いや、助けたんだし」
「え。変態マンは否定しないのか」
「もう自分でも変態だと思ってるからいいよ」
「いや、そこは頑張って粘れよ」と言ってくれるが、「もういいんだ。しょうがないから」と返しておいた。
そんな話が聞きたかったわけじゃないようで、彼は「よっこらせ」と立ち上がる。葵も倣って「よっこいしょーたろー」と立ち上がった。
「あのジンクス……オレが、お前の手首にネクタイ結んだ時、新しいジンクス作ろうってやつ」
「あ、うん。ちゃんとキサちゃんに届いてたから、彼女はメッセージ残してくれたよね」
あの時のことを思い出して思わず顔を綻ばせていると、彼は「それだけじゃねえんだよ」と真面目な顔をしていて。
「オレは確かに、お前に誓いを立てた。諦めない。届くまで、ってな」
チカゼは、辺りが明るくなり始めた海の方へと、ざくざく足音を立てて歩いて行く。
「オレはその誓いに、二つの意味を込めたんだよ」
「え? ごめん。ちょっと理解が追いつかなくて……」
葵は、一定の距離を保って彼について行く。
「一つはもちろんキサのこと。ちっと挫折しそうになったけど、お前が見ててくれたから。ちゃんとあいつに届けることができた」
「……うん。本当に、届いてよかった!」
「や。お前さ、元ジンクスの【手首に結ぶ】って、どう意味だったか覚えてねえの」
「え? 確か、右は学業だよね? 来年のSクラス進学の確定と、玉の輿に乗れる可能性もあるとかないとか。それから、左手首は――」
「左は恋愛。そのネクタイまたはリボンの持ち主との、恋が実るかもしれない」
チカゼが葵の方を振り返る。
昇り始めた綺麗な朝日を背にしてもわかる満面の笑顔に、心臓が早鐘を打つ。



