すべてはあの花のために③


「お一人ですか?」

「――!」


 完全に気配を消したと思っていた葵は慌てて顔を上げる。スラリとした体躯に銀髪、燕尾服に真っ赤なタイ、シルクハットに杖のようなものを持っていた、白い仮面の男の人。
 葵の知らない人が、そこには立っていた。


「(マントがあったら完全にタキシ〇ド仮面なのに……しかも真っ赤なタイって。そこは名探偵コ〇ンなのね)」


 まあそもそも燕尾服ですけどと思っていたら、「どこか具合でも悪いんですか」と尋ねられる。だから少し強めに「ええ。少し疲れてしまいまして。動く気力もありませんの」と答えると、彼は「そうですか」と。諦めたのか、葵の側から離れていった。


「(嘘は言ってない。だって体はすごく重いから)」


 立っているのがやっと……というわけではない。でも今は、ただ一人になりたい。


「宜しければ、こちらをどうぞ」

「えっ?」


 しかし、戻ってきた先程の彼に、飲み物を差し出される。


「お疲れのようだったので。お願いして『はちみつレモン』を作っていただきました」


「なので、本当によければですが」と、彼が葵の手にそっと触れる。慌てて引っ込めたけれど、遅かった。葵の手は、まだ氷のように冷たかったのだ。
 一瞬触れた彼は、怪訝そうに眉間に皺を寄せる。


「温かい飲み物の方がよかったですね」

「い、いえ。大丈夫です」


「有難く戴きます」と、葵は彼が持ってきてくれた飲み物に手を伸ばす。彼はふっと微笑みながら、葵の手にそっと触れ、やさしく手渡してくれる。


「あ。……おいしい」


 一口飲んで零れた葵の独り言に、彼は「それはよかった」と、心底嬉しそうに目を細めた。